わたしを連れ出して

 三人はピアノのある部屋に移動した。渚がピアノの蓋を開けて、鍵盤の上の紅色をした絨毯生地のカバーを取り去っている。その様子を、豆美はどこか懐かしく思いながら、少し距離を取った場所で眺めていた。


 豆美の隣では、綾香がいつもと同じ悠然とした態度でいる。別にこれがオーディションの本番というわけでもないのだから、当然といえば当然の反応だ。それだというのに、対して渚の方はというと、見ているこちらが不安になるくらいに、目に見えて緊張している様子だった。


 生まれてこの方、一度として姉の失敗する姿を見ることのなかった豆美だったので、彼女にとってそれはとても新鮮なものとして映った。 


「じゃあ、見ててね」渚は、ちらりと二人の方を窺ってからそう言った。姿勢を正して、ピアノの方に向き直る。


 渚の弾き始めた曲は、豆美にとって聞き覚えのあるメロディだった。ただ有名なクラシックやジャズとかではない。懐古的な、昭和の時代の流行曲みたいな、現在を生きている豆美には古臭く感じられるものだった。


 久方ぶりに聴く渚の歌声は、相変わらず綺麗で、むしろ以前よりも洗練されているような気がした。歌詞はあくまでも普遍的なもののように感じられたけれど、その言葉選びにどことなく特異な部分を感じる。渚らしさがそのままに出ているものと思えた。


「……ふぅ。どうだった?この曲で音源を録音して、レコード会社に送ろうと思ってるんだ。……あ、タイトルは一応『わたしを連れ出して』のつもりでね」


 演奏を終えた渚が、一息ついて豆美の方に語りかけてくる。彼女の晴れ晴れとした表情に、豆美は鬱々とした気持ちを募らせるばかりだった。


「いいんじゃない?ちょっと、古臭い感じは否めないけど」


「そこがポイントなのよ。ほら、服でもなんでも、最近昔のものがよく流行っているじゃない。今の時代に、こういう曲は絶対に売れると思うんだよね。私のやりたいことともちょうど合致しているし」


「ふぅん」豆美は、もう用事は済んだとばかりに、部屋を出ていこうとした。その彼女の裾を、綾香が摘まんで引き留める。


「来たいと思ったら、いつでもおいでね」口元を歪める綾香。


 彼女の笑顔を見ていて、綾香がカラオケに来ていたのは、渚に歌のレッスンをする練習のためだったのではないかということに、ようやくのことで気づいた豆美だった。

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