第5話 終わりの気配

さゆきに深澤との関係を「許されて」からも、夫婦の会話はほとんどない。


それがもう当たり前になって、何も感じなくなった。


仕事帰り、まっすぐ帰宅する気になれず、なんとなく駅前のカフェに向かう。


夜風が少し冷たくて、足取りがゆっくりになる。


店の前に置かれたメニューを見ている男女の姿が視界に入った。


女は、--さゆきだ。


隣の男とは、そういう関係なんだろう。


視線が合いそうになって、俺はとっさに背を向けた。


そのままあてもなく歩く。


***


少し歩いた先でカフェに入り、コーヒーを啜る。


カップの中の液面に、さっきの光景が何度も浮かんでは消えた。


(やっぱりな)


心のどこかで、もう気づいてた。


さゆきが俺と深澤の関係を許したのは--自分にも、同じような相手がいたからだと。


あの夜から、薄々感じてはいた。


( だとしたら、俺が少しでも修復しようとしたことは、ただの自己満足だったのかもしれない)


コーヒーを飲み干し、家に帰る。


玄関には脱がれた靴。


リビングの灯り。


「おかえり」


妻は何事もなかったかのように言う。


俺も、何事もなかったかのように頷いた。


あの男のことを問いただす気力は、もう残っていなかった。


自室に戻り、ベットに腰を下ろす。


(俺たち、いつから他人になったんだろう)


ふと窓の外の月を見上げた。


静かな夜が、やけに遠く感じる。


こんな夜は、深澤に会いたくなる。


スマホを手に取り、メッセージアプリを開く。


彼女とのトーク画面を遡り、過去の言葉を指でなぞる。


たいした内容なんてないけれど、そこには確かに、寄り添ってくれた温度があった。


メッセージを送ろうとして、指が止まる。


(俺は、いつまで彼女に甘えるんだろう)


独身で、自分より若い彼女の時間を――俺が奪い続けていいのか。


答えは出ないまま、アプリを閉じ、スマホを伏せた。


シーツに顔を埋める。


まぶたの裏で、月だけが静かに光っていた。

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