三上探偵事務所の事件簿〜解決〜
解決――[人間の弱さと信仰心]――
俺たちは、床板を剥がしたままの寝室の床を前に、しばらく無言で立ち尽くしていた。
土がむき出しになった浅い空洞、その中で静かに鎮座する黒い壺。
物理的な謎が解けた今、残されたのは設計者の抱えていた、深い精神的な闇の残余だ。
「これは図面を見ただけでは絶対に辿り着けない真実だった…」
村上が静かに口を開いた。
「高さ1m50cm、縦横50cmという非実用的な寸法…ドアノブの排除、そして寝室という私的な場所への配置。これらはすべて、機能ではなく、感情と信仰に基づいて設計されていた…」
俺はその通りだと頷いた。
探偵としての仕事は、殺人事件の犯人を捜すことよりも、このような空間の歪みの裏に隠された人間の動機や、恐怖を読み解くことにある。この平屋は、その最たる事例だった。
「最初の住人、つまり設計者は、外部からの邪気や災厄に対して、常軌を逸した恐怖心を抱いていたのだろう」
推理を総括した。
「彼にとって、平屋という構造は、地面に近く、外界からの影響を遮断しにくい、極めて無防備な器だと感じられたに違いない。その恐怖から逃れるため、自らが最も無防備になる眠りの空間、寝室の隣に、逆説的な防衛装置を構築した」
その防衛装置こそが、あの閉鎖された小部屋だった。
1―異常な寸法―︰人間が立ち入れないサイズとすることで、『人間の領域』を排し、代わりに概念(邪気)を留める象徴的な空間とした。
2―完全な閉鎖―︰ドアノブを排除し、アクセス手段を床下に限定することで、『一度封じたら二度とあけてはならない』という、強い呪術的な封印の意思を表現した。
3―壺の存在―︰壺は邪気を吸い込む『依り代』。そして、床下に埋められた事実は、この家が建つ土地そのものに災厄を鎮める鎮物の儀式が施されたことを意味する。
「この設計者は、自分の不安を図面と建築資材に託し、この家自体を結界として完成させた。その後の住人が小部屋の存在を知らなかったのは、それが物理的な部屋ではなく、呪術的な機能として存在していたからか。彼らは、ただの分厚い壁として認識していたに過ぎない」
村上は深いため息をついた。
プロの設計士としての倫理観と、この家の持つ異様な背景との間で葛藤しているようだった。
「この事実を、依頼主にどう伝えるべきだろうか? 『あなたの査定物件は、元々、呪いから身を守るための巨大な結界装置でした』と?」
村上の言葉に、俺は馬鹿馬鹿しいくて声を上げて笑った。
「伝える必要はない。彼らが求めているのは、家の物理的な価値だ。俺らが解き明かしたのは、間取りに込められた人間の真実に過ぎない。ただ一つ、助言として伝えておけばいい。『あの北西の角の壁は、決して壊したり、改築したりしない方がいい』と」
俺たちは、剥がした床板を元通りにはめ込み、土の空洞と壺の存在を再び闇の中に封じ込めた。
家の異様な間取りの謎は解けたが、その背後にある人間の計り知れない恐怖と、それが建築という合理的な行為に刻み込まれた事実に、俺たちは深く戦慄した。
設計図は時に、持ち主や設計者の秘密の告白となる。
そして、この平屋は、人間の弱さと信仰心がいかに空間を歪めるかを示す、一つの完璧な証拠物件だった。
――終――
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