中編

 部室の鍵を職員室に返却するのは代々部長が行っていたが、最近はこの少人数なので揃って向かうことが多いようだ。


 流石に中へ入るのは部長一人で問題ないため、数分は廊下にて三人の時間が出来た。とはいえ、職員室の目前で騒ぐ気もなく、それぞれが掲示物を眺めていた。


 壁際に沿って置かれた長机には書類や広報誌が並べてあった。そのうちの一枚を手に取る。


 入学してすぐに配られた覚えのある入部届。自身と保護者の氏名、連絡先の記入、学級担任への提出が必要なようだが、新入生の提出期限はまだ余裕があった。 


「あんた、本当に入部するんだ」


 静葉しずはが覗き込んできた。


「まあ、他に当てはないから」


 適当に受け流すように言う。


「当てなら、テニスは」

「テニスは、できないから」


 余計なことを思い出してしまった。僕は「ごめん」と呟いた。


 指の汗が滲んだ入部届を二つ折りにし鞄に差し込むと、ガラガラと引き戸の閉まる音がして、顔を上げた。


 三人が戻ってきた部長の元へ自然に集まると、彼女は「では」と小さく手を合わせ「帰りましょうか」と穏やかに宣言した。





 廊下にはまだ沈み切らない夕日で影が伸びていた。四人はほぼ横並びで歩いていたが、すれ違う人影はなかった。


翔太朗しょうたろう君は、何で来ているの?」


 部長に聞かれ「自転車です」と答えた。突然だったが定番の質問ではある。


 確か、大賀たいがはやや距離があるようでバスで通学していた。おそらく部長も同じだろう。静葉はどちらでも問題ない距離に思える。


「そうね、一応ね」と静葉が小さく言った。少しだけ、空気が張りつめた感覚がした。


「文芸部には、いくつか受け継いでいるものがあって」


 小さく口を開いた部長の横顔を夕陽が照らす。


「資料室の文集とぼろいホワイトボード」


 部長も気になっていたんですね、ホワイトボード。声にはせず思った。


「そして、『』と」


「え?」


 思わず声が出てしまった。


 彼女は続ける。


「十年くらい前、文芸部の生徒が亡くなる事故があって。新聞の記事が図書室にあったからそれは本当。

 でね、その生徒が乗っていた自転車、ブレーキが壊れていたんじゃないかって噂になったみたい。確かめようがなかったし、噂はすぐに消えて。

 それでも、残された文芸部員は後輩に伝えたそうなの」


 淀みない話し方だった。まるで、当時の文芸部を見ていたかのように。


「――でも、それから文芸部は無事故で、生徒指導に連れていかれる人も出ていない。なかなかだと思うよ」


 さっきまでの明るい声色に戻り、なんだかほっとした。


「生徒指導が関係あるかはわからないけどね」


 弟からの指摘に部長は「そうかなあ」と微笑みながら返す。


理緒りおも気になっていたんだ。ホワイトボード」


 静葉が小さく笑いながら言った。なんだか可笑しくて、笑いを堪えるのが大変だった。


 気付けば、昇降口まで来ていた。靴を履き替え外へ出ると夕焼けが一段と強くなっていて、手庇をつくった。この時間まで校舎に残っていたのは初めてだ。


「明日も時間が合えば来てね。静葉も待っているから」


 部長が言うと静葉はひじで小突いた。


「じゃあね。翔太朗」


 大賀が手を振る。


「ああ」


 僕は一人、去っていく三人を見送った。静葉もバス通学だった。


「駐輪場に行くのは、僕だけか」


 自分の独り言に苦笑いして、反対の方向へ駆け足で向かうことにした。


 僕は、ほっとしたんだ。





 翌日の昼休み。僕は図書室に向かった。昨日、部長が話した事故について、自身の目でも確認するべきだと思ったからだ。


 ――自転車のブレーキは確認しろ。


 部室の黒板やホワイトボードにはそれらしい言葉は書いていなかったはずだ。

 軽く見ただけ、といえばそうだが。


 もし、このメッセージが、言伝だけで十年も継がれてきたのだとしたら、当時の文芸部はなにを思ったのだろう。


 あれこれ考えているうちに、目的の場所を見つけた。

 高校の図書室は初めて入った。さて新聞はどこにあろうか。


 あてのないまま進んでいき、首から名札を提げた女性とすれ違った。その時、司書の文字が目に留まり、呼び止めた。無論図書室なので抑えた声で。


 目的のものは窓を遮らないほどのやや低い本棚にあり、少し屈むことになった。


 背表紙に年号が書かれた厚めのファイルが五つ並んでいた。この高校に関する十年ごとの記事が一冊にまとめられている、いわゆるスクラップ帳だ。


 試しに中腰のまま『令和五年・二〇二三~』とある、もっとも新しいファイルを手に取った。


 想像はついたが、記事の多くは部活動の記録だった。一昨年は短距離の選手が全国まで進んだらしい。そりゃすごい。


 高校生の昼休みに余裕はないので本題へ切り替えよう。十年くらい前――具体的に何年前かは漠然としていたが、確認しきれない量ではないはずだ。


 手元のファイルを棚に差し、その隣の『平成二十五年・二〇一三~令和四年・二〇二二』を引っ張り出した。


 が、なかなかの重量だった。流石に姿勢が厳しく、閲覧机に場所を移した。


 表紙を開き、十二年前の記事から目を通す。


 最初の一年を終えてすぐ、捲る手が止まった。求めていたそれは見つかった。


 日付は二〇一四年四月二十二日。悪い冗談に思えた。今日でちょうど十一年前だ。




 亡くなったのは、寺島菫てらじますみれさん、当時十六歳。


 顔写真もないそれだけの情報が、生々しく感じた。

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