『江戸転生トライアングル ~法知識チートで裁く! 奉行と公事師と火盗改~』

月神世一

第1話

転生、江戸、そして奉行と火盗改

「――異議あり!」

甲高い声が、東京地方裁判所の法廷に響き渡る。

声の主は、弁護士・桜田リベラ。彼女はその愛らしい見た目とは裏腹の、鋭い視線を検察官に向けていた。

「検察官の主張は、被告人の生育環境という重要な情状を無視しています! そもそも、最初から悪人などいない。罪を憎んで、人を憎まず――」

「甘いな、桜田弁護士」

リベラの言葉を遮ったのは、厳つい顔の検察官・堂羅デューラ。

「被害者がいるんだ。その無念を晴らすのが検察の役目だ。貴様の言う『情状』は、被害者の前でも言えるのか! 悪は、断罪する!」

二人の激しい応酬を、裁判官席から冷徹に見つめる男がいた。

佐藤健義。最高裁判官を目指すエリート。

「二人とも、静粛に」

佐藤は法廷全体を支配するかのように、静かに、しかし絶対的な重みを持って告げる。

「法廷は感情をぶつける場所ではない。あくまで『証拠主義』に基づき、法と秩序に則って判断する」

佐藤はリベラの情にも、デューラの正義にも傾かない。ただ、法の天秤だけを見据えている。

……と、格好をつけたいところだが、今日の佐藤は内心、別のことで焦っていた。

(しまった、昼食にかけたタバスコのせいで、胃が……!)

佐藤の胃痛などお構いなしに、法廷は白熱する。検察と弁護、法と情理が激しく火花を散らし、やがて閉廷の時を迎えた。

「……少し、よろしいですか。堂羅検察官、桜田弁護士」

法廷から続く、殺風景な休憩室。

佐藤は、自販機で買った水(タバスコの辛さを中和するため)を片手に、二人を呼び止めた。

「佐藤さん。今日の貴方の訴訟指揮、少し強引では?」

デューラが、コーヒーキャンディを口に放り込みながら不満を漏らす。

「あら、私は佐藤さんの『証拠主義』、大好きですわよ? だからこそ、私の集めた証拠(グレー)も、ちゃんと見てほしかったですが」

リベラが甘い笑顔で皮肉を返す。

「二人のやり方こそが、法廷の秩序を乱していると言っているんだ。デューラ、貴様の正義は時に暴走する。リベラ、貴様のやり方は法を弄んでいる!」

佐藤が、自らを鼓舞するようにポケットのタバスコ(ミニボトル)を握りしめた、その瞬間だった。

バチッ、と静電気が走るような感覚。

いや、違う。

三人の視界が、ぐにゃりと歪む。

「な……!?」

強烈な眩暈。

まるで、高層ビルのエレベーターで、ケーブルが切れて落下するような、最悪の浮遊感。

「きゃっ!」

「うおっ!?」

佐藤は、同期二人の悲鳴を最後に、意識を失った。

「……ん……」

次に佐藤が目覚めた時、そこは法廷でも休憩室でもなかった。

土と、汗と、何かが腐ったような匂い。

そして、耳を劈くような雑踏。

「……ここは」

佐藤は、簡素な茶屋の縁台に座っていた。

目の前には、見たこともない木造の建物が並び、道には「ちょんまげ」を結った男たちが刀を差し、着物姿の女たちが行き交っている。

「……時代劇? いや、撮影にしては、この匂いは……リアルすぎる」

佐藤の論理的な思考が、目の前の現実を拒絶する。

「……佐藤くん? ……デューラくん?」

か細い声に振り向くと、そこには同じく縁台に座り、明らかにパニックを起こしているリベラと、状況が理解できず鬼の形相で固まっているデューラがいた。

服装こそ、見慣れない着物姿に変わっているが、顔は間違いなく同期の二人だ。

「おい……どうなってる。ここはどこだ」

デューラが低い声で呻く。

「分かりません……ですが、あれを」

リベラが指差した先。土埃の向こうに、巨大な城が見えた。

「……江戸城?」

三人が言葉を失った、その時。

ズキリ、と。

三人の頭に、強烈な痛みが走った。

それは、自分のものではない、膨大な「記憶」。

「う……あ……!」

佐藤は頭を押さえる。

流れ込んでくるのは、「佐藤健義」という、自分と同姓同名の「南町奉行」としての記憶。厳格な父、武士としての教育、そして今日、この茶屋で休憩していたという事実。

「俺は……火付盗賊改……長官……だと?」

デューラもまた、己の新たな身分――「堂羅」という名の、江戸の治安を力で守る役職の記憶に目を見開く。

「……桜田屋の、娘……りべら……。それに……公事師?」

リベラは、自分が田沼意次と繋がりを持つ豪商の娘であり、同時に、金銭で訴訟(公事)を請け負う「公事師」であるという記憶を受け入れ、青ざめていた。

南町奉行。

火付盗賊改長官。

豪商の娘にして公事師。

法と秩序を重んじる裁判官(志望)。

悪を許さない検察官。

弱きを救う弁護士。

現代日本の法曹三者が、法も秩序も、人権も何もない「江戸時代」の、同じく「法」を司る三者に入れ替わってしまった。

「……冗談じゃ、ない」

佐藤は、自分が「お白洲」で人を裁かねばならないこと、そして、この時代に「タバスコ」が存在しないであろう事実に絶望し、顔を覆った。

「……最悪だ」

デューラは、自分が「拷問」や「斬り捨て御免」すら許される権力を持ってしまったことに、その拳を固く握りしめた。

「あら」

ただ一人、リベラだけが、スッと立ち上がり、着物の裾を直した。

そして、二人の男には聞こえないような小さな声で、可憐に微笑んだ。

「……江戸時代。財力とコネ、それに私の知識。これは、案外……面白くなってきましたわね」

三者三様の想いを胸に、三人は立ち上がる。

現代の法知識(チート)を持った三人の法曹エリートが、それぞれの「職場」へ――江戸の激動へと、今、歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る