【レコード4】朧忍がすべきこと

 それは運命の出会いだった。

 朧忍が出会ったのは、リーナ・スカーレットという女性だった。

 リーナ・スカーレットは女というには少々男勝りな女の子だった。

 短髪で軽快なノリ、ボーイッシュな口調。ラフな長袖シャツと男の子が履くような”ダメージジーンズ”。ボクっ子というのもそうだが、行動が男勝りすぎる。王子様のように朧忍をお姫様抱っこで抱えた。抵抗する朧忍にたいして「静かにね」と王子様のような声音で彼女を抱えて、夜道を走り抜いたのだ。

 彼女はボロボロの朧忍をまるでさらうようにして家へと連れ帰った。

日本とは思えないくらいの豪邸へと。


(…………これは、夢)


 そのときの朧忍はこれが夢か幻か分からなくなっていた。

 プールのような巨大な風呂は、彼女の家の浴室だった。彼女は豪邸に住むお嬢様だったのだ。日本のそれも東京だというのにも関わらず、彼女は大きな居城に住んでいた。西洋にある屋敷のような住宅で庭までついている。庭には噴水まであった。

 本物のお嬢様だったのだ。

 彼女が両開きの屋敷の扉を押し開けると、屋敷の者たちの反応はさまざまだ。『おかえりなさいませ。リーナお嬢……お嬢様!? 誰を連れてこられたのですか!?』と叫ぶ執事や『あわわわわ! お嬢様が愛らしい女の子を誘拐してきました』と慌てるメイド。屋敷はてんやわんやしていた。それを無視して彼女は朧忍を風呂まで直行したのだ。

 どういうわけか。いまは朧忍がバスチェアに座らされて、半ば強制的にシャンプーさせられていた。


「かゆいところはございませんか~。お客様~」


 彼女は朧忍の後ろに立って、がしゃがしゃと掻きまわすようにシャンプーをしていた。

 朧忍の頭はぐらんぐらんと揺れる。


「…………本当になんなの、コレ」


 状況が意味不明だった。


 強引な彼女に無理やり連れてこられ、いつの間にか裸にされたからだ。


「痒いところがあったかな?」


「…………そうじゃない。意味不明なイベント。ついにバグってバカゲーに?」


 クソゲーなのは身をもって知っていたが、バカゲーになるとは思わなかった。

 なぜ急に少年漫画のサービスシーンみたいなイベントがはじまるというのか。


「朧忍ちゃんだよね。ばっちいのは良くないからね」


「ばっちくない」


「ボクの鼻が曲がるかと思ったくらい臭かったよ。生ゴミの匂いが凄かったんだから」


「…………ノンデリ」


 頬を膨らませる忍ではあるものの、言い訳できない

 彼女の言い分は正しかったからだ

 ゴミ袋の下に隠れた。臭くはなるだろう。

 さらにいえば、朧忍はゲーマーである。さらにいうなら重度の引き籠りである。お風呂を拒否するのは日常茶飯事だった。そこから警察との逃走劇を繰り広げていたので、もう一年ほどまともにお風呂に入っていない。公園の水道で我慢していたのだ。悪臭に悪臭を重ねたような状況である。

とはいえだ。元引き籠りといっても14の女の子である。

 臭いというのは傷ついた。

 朧忍は不満を訴えるように口をすぼめる。

 彼女は「ごめん、ごめん」と口をつくものの頭を洗う手の動きは止めない。


「でもほら、奇麗になるから。きれいきれい」


「…………うう。ダル」


 彼女はシャワーを取って、朧忍は髪についた洗剤を水で流していく。

 ずっと入浴の機会に恵まれなかったからだろう。朧忍の髪はところどころガサガサに傷んではいる。それがたちまち、シャンプーで以前のような柔らかさを取り戻すことに成功した。


「………………ねえ」


 朧忍は目を泳がせて迷いをみせる。

 彼女は恩人である。

 警察から助けてくれたお礼を言おうと脳を回す。


「なんだい?」


「…………」


 しかし、素直に言えない。

 人見知りの朧忍にとって初対面でお礼は恥ずかしいのだ。

 素直に言葉にするのは嫌だったので、ネットゲームで学んだ知識で答える。


「ティーワイ」


 勇気を出した感謝の意であった。がしかし、伝わらなければ意味がない。

 彼女はクエスチョンマークを頭に浮かべている。


「ティーワイ? なんかの略かな」


 朧忍は目を泳がせる。

 ティーワイとは古のネットスラングである。

 誰にでも伝わるものではなかった。ゲームをやらない層には聞き覚えがないのも無理はない。

 忍はほんのりと頬を硬直させるとごにょごにょしながら言った。

 素直に言った。


「ありが、とう」


 てぃーわい

 Ty。


  サンキューの略である。

 精一杯にお礼を告げる。

 彼女は口で答えることをしない。


 へらへらと笑いながらも、今度は手のひらで忍の体を洗い出した。


 忍に後ろから抱き着いたのだ。


「……ん」


 忍の口から甘い声が漏れる。

 むかっとした。


「変態。胸に触るな」


「よいではないかあ。よいではないかあ。女の子同士なんだし」


「そう言う問題じゃ、ない」


 朧忍が腕で払いのけた。彼女の触り方がいやらしかったからだ。変な気分になりそうだったからだ。


 彼女は「冗談のつもりだったんだけどニャー」と言いながらスポンジを渡してくる。自分で洗いなさいということらしい。


 どうにも彼女の考えが読めない。

 何を企んでいるというのだろうか。

 彼女は隣のバスチェアに座り、もう一つのスポンジを取り出して、洗剤をつけて体を洗い出した。


「ボクの異能力は予言なんだ」


 ふと、脈略もなく彼女は言った。

 まるで突拍子もない話題だったが、朧忍が静かに聞き手に回ることにした。

 ここに連れてきた理由を知れると思ったからだ。


「ボクの予言が君の存在を告げたんだよ」


「…………私に、用?」


 朧忍の存在を知って駆け付ける。

 なにかしらの用があるのかと思った。悪意があるのかと邪推した。

 彼女は小さく肩を竦めると、


「スカーレット家、って単語に聞き覚えはある?」


「………………ない」


 知らなかった。

 それを教えてくれるよう🈱。彼女は1つ指を立てた。


「スカーレット家は代々”英雄の導き手”とされている一族でね。英雄の前に必ず現れる。そうできているんだ」


 英雄という単語があるものを想起させる。

 朧一族に関連する重要なキーワードだ。


「………………英雄石」


 朧一族が守ってきた世界に6つの英雄石である。


「お、その話が出るとはね。さすが代々石を守ってきた朧一族だ」


「………………」


 英雄、英雄の導き手、英雄石、どんどんと深みにはまっていく。

 結びつきそうで結びつかないキーワードの数々が、朧忍の仲でぐるぐると回るのだ。

 リーナ・スカーレットの発した次の言葉でさらに深みにはまることになる。


「ねえ、忍はさ。蛇の一族。聞き覚えはないかい」


「――――ッ」


 ノイズが走る。

 朧忍は何か恐ろしいものを感じた。

 英雄。蛇の一族。スカーレット家。英雄の導き手。

 それらはまるで聞いたことがない単語でありながらも、彼女の本能の部分が警鐘を鳴らしている。これ以上近づくべき案件ではないと、忍びの本能のようなものがサイレンを鳴らすのだ。

 巨大な渦の中に巻き込まれているような恐怖が体を絡めとる。まるで蛇に喉元を締め付けられているかのようだ


「……………………蛇神信介」


「ああ、そうだね。そいつは蛇の。いやヒュドラの頭。その一つでしかない」


 ヒュドラとは蛇の頭を複数持つドラゴンの名称だった。

 日本だと八岐大蛇が近いのかもしれない。

 頭のひとつというのが、何を意味しているのか。嫌な予感がしてくる。


「……………どういうこと?」


「蛇は絶えない。蛇は人を脅かす。蛇は人を喰らい、心を潰し、他者を食い物にする」


 彼女は言葉を強めて言った。


「人に牙をむく無邪気な悪意を持つのが蛇の一族だよ」


「…………」


「蛇狩り。それが英雄の使命だ」


 瞬間。

 朧忍の目に光が宿る。


「……私は、次の蛇を殺せばいい?」


 ヒュドラとは複数個の頭を持つ。

 彼女が殺した蛇が、頭のひとつであるならば、ほかにも蛇の頭があるものと仮定したのだ。

 蛇。仇討ち。というワードが忍の魂を震わせる。

 現実は残酷だった。彼女は首を横に振ったのだ。


「朧忍。君はすでに為すべきことを成しているんだ」


「?」


「大丈夫だよ。君は既に英雄だ」


 彼女は目を横に反らした。

 まるで何かを隠すように。

 忍は気になって質問しようとしたが、彼女は質問の隙を与えないように間髪入れずに続けた。


「この時代の蛇を殺した。蛇神信介。奴を仕留めた。それだけで十分な成果と言えるよ」


「……………じゃあ、どうして私を連れてきた?」


 すべてを終えたならどうしてここに連れてきたのか。

 朧忍は役目を求めていた。

 祖父は殺された。

 妹は殺された。

 あんな悲劇が起こらないために頑張りたかったのだ。

 彼女は答えた。


「それはね。君を救うためだ」


 朧忍はその言葉に首を傾げた。

 何を救うのか、自分が何に苦しんでいるのかわからなかったからだ。


「ボクと一緒に刹那の時間を過ごそうか」


「?」


「2人で共同生活をしようってことだよ」


 彼女は体を洗い流すとウィンクしながら言った。

 こうして、リーナ・スカーレットと朧忍の奇妙な共同生活がはじまることになる。


 ★


 朧忍とリーナ・スカーレットは同じ屋敷に、同じ部屋、心身を共にすることになった。

 大きなダブルベットに2人で眠る。

 彼女と一緒にいるとあたたかな感情になる。

 彼女と一緒にいると柔らかな感情になる。


――――リーナに拾われて一日が経った。


 朝起きると彼女の顔が前にある。

 彼女はにこやかに言った。


「君は頑張ったよ。だからもうこれ以上、君が犠牲にならなくていいんだ。世界はいい方向に向かっている」


 彼女はそのまま朧忍を抱きしめた。朧忍は彼女の胸に顔をうずめる。不思議と朧忍のなかに温かなものが広がった。

 それと同時に、奇妙な違和感のようなものがあった。


――――リーナに拾われて三日が経った。


 彼女と一緒に並んで台所に立った。

 生まれて初めての洋食に挑戦するのだ。左手にフライパンを手にして、右手にへらを持つ。

横からリーナが話しかけてくる。


「ほら、忍。ホットケーキはこうやって作るんだよ」


 彼女はきれいに黄色い生地ひっくり返した。

 白かったはずの生地がきつね色になっている。

 朧忍は目を丸くする。


「…………すご」


「ほら忍も!」


「…………ん」


 和食しか作ったことのない朧忍は緊張した面持ちで、フライパンを握る。

 ボールに入っていたホットケーキの生地を左手でフライパンに入れて、形を整えていく。へらでひっくり返そうとした。目指すのは奇麗な円形だ。

 彼女の顔は悲壮に歪んだ。


「難しい」


 ホットケーキはぐしゃぐしゃになった。破けて千切れてしまったのだ。

 リーナはぽんぽんと頭を叩いてきた。


「これからうまくなっていけばいいよ。時間はいっぱいあるんだから」


 時間はいっぱいある。

 本当にそうなのだろうか。

 忍のなかにある奇妙な感覚は拭えない。


――――リーナに拾われて一週間が経った。


 彼女は心に寄り添ってくれた。

 午後に庭でティーを楽しみながら、彼女は語り掛けてくる。


「たくさん辛いことがあったと思うけど、もういいんだ。ゆっくり生きようよ」


 それは朧忍にとっての幸せだ。

 それは朧忍にとっての最終地点だ。

 そう思いたかった。そう思わなければならなかった。


 こんなにも”心”に寄り添ってくれる人がいる。朧忍を想ってくれる人がいる。

 だから幸せにならなくちゃおかしいんだ。


 強迫観念のような幸福に朧忍は首を傾げた。


(…………私は、幸せ?)


 朧忍の心はずっと凍ったままだった。

 氷が溶けたのは表面上だけだった。その魂は冷ややかな氷河の牢獄に閉じ込められて、寒さに凍えているのだ。


 幸せな状況で幸せを感じることができない。

 楽しい状況で楽しいと感じることができない。


 少女は欠落していた。大切な何かが零れ落ちて、バラバラになってしまったのだ。

 

――――リーナに拾われて一か月が経った。


 二人はいつものように添い寝の形をとっていた。


「ねえ、忍?」


「………ん?」


 ベッドのなかで彼女は問いかけてくる。


「忍はいま、幸せ?」


 朧忍はまったく満たされていない。

 心の容器はからからに乾いて、水の一滴すら見当たらない。

 それでも、彼女の善意に答えるために、朧忍は取り繕うように必死に笑って見せた。


「幸せ、だよ?」


 朧の嘘を見抜いたのか。

 リーナ・スカーレットは罪悪感を交えたような顔になって、涙を浮かべた。

 目元に涙をためたのだ。


「ごめん、なさい」


「…………どうしたの? リーナ?」


「私、ずっと、ずっと忍のためとか言って、全部自分のためだった」


 リーナ・スカーレットは懺悔する。


 まるで世界のすべてを背負っているかのような今にも押しつぶされそうな顔で忍を抱きしめたのだ。


「全部全部。スカーレット家が英雄に対してどうあるべきかを知っていたのに。英雄を押し付けたくなくて、それで――――」


「ねえ、リーナ」


「いいんだ。忍」


 彼女は助けを乞うように忍に抱き着いた。


「たとえ“世界が滅んでも”忍が幸せになってくれればそれでいい」


 リーナ・スカーレットは永遠の幸福を求めている。

 朧忍が幸福であることを求めている。


「だからね? 忍。」


 少女は抱き着いた。


「お願いだから世界なんてどうでもいいと言ってほしい」


 それがリーナ・スカーレットの願いだった。

 彼女の本心であった。

 朧忍に幸せであってほしいという願い。スカーレット家の使命。その二つで揺れていたのだろう。

 朧忍は忍者だ。

 忍者とは忍ぶもの。

 忍ぶためには世に溶け込まなくてはならない。他人の心に聡く敏感である必要があるのだ。朧忍は気がついていた。


「………………私、がんばるよ。だから、教えてほしい。私が、やるべきことを、私がなすべきことを」


 自分にはやるべきことがあるのだ。

 自分にはなすべきことがあるのだ。

 リーナは意図的にそれを隠しているようだった。


「ダメだ! そんなのボクは認めない! 忍は十分に苦しんだじゃんか。十分頑張ったじゃんか。どうしてこれ以上不幸にならなくちゃいけないんだ。どうして、これ以上悲しい目に合わなくちゃいけないんだ!」

 

 彼女の訴えかけを、朧忍はベットから起き上がることで拒絶する。

 朧忍は英雄としての責務を果たすために口を開く。


「教えてほしい。私がすべきことを」

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