第2部 消失の英雄
表と裏のプロローグ
時刻は22時54分。
電気はつけていないからだろう。その執務室を照らすのは月明かりだけで、うっすらとした暗闇が広がっていた。
ビルの最上階。
蛇神宗介は鬱々とした目つきで、睨みを利かせている。
目先には夜景が広がっていた。
美しい都会の夜景も、たった一つの報告が原因で有象無象の光に感じられる。葉巻の味は苦々しく、彼の気分を無性に苛立たせる。
彼は耳にした報告を反芻するように言った。
「武宮玄の暗殺失敗」
彼は声高に激昂して言った。
「笑う。笑える。ありえるものか!」
頭痛と耳鳴りがする。
その耳鳴りはまるで自分の意識を刈り取るためにあるのではないかと思った。
彼は鬱憤を嚙み潰すように歯噛みをした。
「まさかγ部隊が失敗するとは」
戦闘に特化したγ部隊が失敗した。
その事実は彼にとって許されざることだったのだ。
「馬鹿げている。ふざけている。狂っている!」
蛇神宗介は右手で包むように葉巻を握りつぶす。怒りの感情に身を任せて、葉巻タバコの火ごと潰したのだ。それを地面に叩きつける。
殺害のターゲットはオールバックの男だ。
燐火とデートをした男だった。
その暗殺計画は容易に成功するはずだった。
なぜなら、システムのβ部隊から動いたからだ。
システムのβ部隊は、相手がたとえ顔をいじくりまわせるスパイであっても、認識阻害の使い手であっても素性を割り出せる。地区の管理データベースに不正アクセスする技術がある。その特殊なコンピューター技術で地区の情報を割り出し、目標を特定した。たった二カ月半の時間で身元不明の男を割り出したのだ。目元、口の位置、鼻の位置。それらの画像情報から識別したらしい。
該当したのは異能ランクFの無能――――武宮玄という少年だった。二カ月半もの時間を要したのは見た目が大きく変化していたからだ。眼鏡で気弱な瞳は凛々しい大人の目つきになり、歪んだ猫背はまっすぐになり身長が伸びている。筋肉も膨れ上がっている。まるで別人のようになっていたのだ。
その報告を聞いた時は失笑した。
姿見が変わろうとも、異能力が変わるわけではない。所詮は異能ランクF。レンジャーランクFの取るに足らない路傍の石だ。γ部隊にかかれば、赤子の手を捻るようなものだろう。
むしろ戦いの精鋭を集めたγ部隊では役不足もいいところだ。
(まさかγ部隊への絶大な信頼は慢心に終わるとは)
信頼が失望に変わる。
崔幸助の音信が途絶えたのだ。
耳鳴りはストレスからくるものだろう。蛇神宗介の目は血走り、歯ぎしりは止まない。
後ろにはアンを筆頭に、メアリーとパピーが控えていた。
彼女たちはまるで王様を相手にするかのように、片膝をついて右拳を地面につけていたのだ。
「申し訳ございませんデス。宗介様」
彼女は震えた声音でつづける。
「崔幸助の失敗デスが、私に責任であると感じておりますデス」
赤毛のアンが歯噛みをしながら首を垂れた。
失敗したのは崔幸助だ。
しかし、指揮命令権は赤毛のアンにある。赤毛のアンがγ部隊の監督責任者だったからだ。
「ララララ! 神よ! どうか慈悲を。次こそ私が天罰を下しましょう!」
狂気のメアリーは片膝を突きながら、体は動かさずに、頭だけを前に横に後ろにくるくると円を描くように回していた。
彼女は恐怖の感情が欠損しているのだろうか。怖い上司を前にしても緊張していない性格のようで、楽しそうに音痴の歌を奏でていた。
「旦那。次は俺様に任せてくれい」
パピーは全裸で膝をついていた。
彼の表情は自信に満ちており緊張はない。
崔幸助を除くγ部隊の三人が膝をついていた。
アンだけは小鹿のように震えている。怯えたような顔をしているのだ。「どうか、どうか命だけは」と小声でつぶやいていた。彼女だけは蛇神宗介の異能力を知っているようである。
蛇神宗介は不快だった。
胸の奥にたまる激怒の奔流をすべて発散したくなる。
衝動に任せて異能を使いたくなる。全員を殺そうかと思った。
「……まあいい」
彼らを殺すのは造作もない。
異能力を使えば3秒もかからずに殺せる。しかし、それはあまりにも無駄な浪費だった。替えの効くα部隊はともかく、戦闘特化のγ部隊は大切な人的資源であった。
感情論で戦力を失うのは非合理的である。
それが蛇神宗介の結論だった。
宗介は彼らの姿を一瞥するなり、つまらなそうに口をついた。
「最初から私は僕にしか期待をしない。俺様は僕を信じる」
彼はぶつくさと続ける。
「燐火。燐火・スカーレット。あの女の持つ【異能の覚醒】。その答えがどれだけ重要なものか」
それは計画の前提だった。
【異能の覚醒】。その真髄に触れるためにはスカーレット家の縁者になる必要があった。その条件は蛇神宗介の異能力をもってしても解決できるものではない。スカーレット家に眠る覚醒の力は喉から手が出るほど欲しかったのだ。
「10年だ。10年もの積み重ねをしてきた」
10年かけて計画を遂行してきた。
スカーレット家の家族が日本へ渡航した日からすべてが始まった。
あるときは息子と燐火の恋のキューピットをして、あるときはスカーレット家に怪しまれぬように”異能力を仕込んだ”。
陰ながら暗躍してきたのだ。
すべては自社の利益のためだ。
努力を惜しまなかった。
「だというのに、武宮玄? 異能ランクFのクズごときが僕の邪魔をするとでもいうのか。俺様の計画を邪魔し、私の試みを妨害し、あまつさえ、僕の夢を奪うというのか。絶対に許してなるものか」
人の夢を笑うなんて許せなかった。
人の夢を邪魔するなんて人のやることとは思えなかったのだ。
彼は気が動転しているのか。
ガラスに頭を叩きつけはじめ、白目を剝いた。
その姿は狂人そのもので、ああ、ああ、とどもりながら涎をまき散らす。
「さっさと息子の花嫁になればいいものを。そもそもなぜくっつかない。なぜ早く結ばれない」
お互いが相思相愛のはずだった。
粗末でありきたりな学園ラブコメは求めていない。蛇神宗介が求めているのは結果だけである。
「ああ、クソ。頭が痛い」
約三秒。
吸って吐いてを繰り返す。怒りをすべて口から吐き出したのだ。
発作は落ち着いたようで、彼は自問自答するかのようにつぶやく。
「私は僕だ。僕は俺様だ。私こそが蛇神だ」
静かに社長のオフィスチェアに腰を掛けて、右足を左の太ももに乗せるように足を組んだのだ。
葉巻を加えて、煙を口に含む。腹にたまった激怒の感情。それを吹き出すように煙を吹いた。
彼は低い声音で言った。
「メアリー。まずはおまえに任務を与えよう」
皮膚のないシスターに命令を下す。
光のない冷徹な目で言った。
「オマエが武宮玄と戦え」
「わ、私がでございましょうか?」
「負けてもいい。方法は問わん」
もはや期待はない。
彼にあるのは利用する思考だけである。
「私は常に勝つ。俺様はいつだって勝利する。無敗が僕で全勝が私だ。だから、メアリー。オマエが武宮玄の手の内を暴け。さすれば、私は必勝だ」
目的は勝利にあらず。
勝利の鍵になる情報収集だ。
崔幸助からの連絡が途絶えているから、武宮玄の情報が不足していた。なぜ失敗したのか、何がダメだったのか。なにが要因なのか。協力者はいるのか。
何一つ分からないのだ。
バックにべつの異能力者がいるのか。べつの勢力が隠れているのか。それとも【異能の覚醒】か。彼の肉体の変化についても可能性は無数だった。
推測したところですべてが机上の空論だ。なにひとつ答えを得るための情報がないのだ。
宗介は未知を軽んじるような経営者ではない。
未知を既知に変える。既知を勝ちにつなげる。それが蛇神宗介の金言である。
メアリーをぶつけて、彼の手札を探るのだ。
「なるべく時間をかけて戦え。情報だ。情報を落とせ」
「……神よ! ああ、神よ! それは、私が殺してしまってもよろしいのでしょうか」
「できるなら」
「だが」とつづける。
「勝つことには期待しない。私に情報は必ず持って帰れよ。俺様をこれ以上失望させるな」
「ララララ! 神よ! 期待無き期待を遂行しましょう!」
彼女はまるで酔っ払いのようにふらついて、扉を殴りつけるように部屋を飛び出していく。
果たして成功するのか、失敗するのか。
蛇神宗介にとってはどちらに転んでもよかった。
情報を集めることが目的だからだ。
帰ってこればそれでよし。帰ってこなければ次の駒を動かすだけだ。
宗介は首を後ろに向ける。酷く空虚な瞳で世界を眺める。大量のロボットが巡回する町並みは、スネークカンパニーにとってのユートピアだった。AIもロボットも商品であり開発対象だ。金のなる木の実でしかないからだ。
アンは恐る恐る訊ねた。
「私たちは、どうするべきデスか」
「アン。オマエは防衛だ。すでに私には作戦がある。謙虚で完璧な作戦だ。だからこその防衛だよ」
「防衛。どこをデス?」
防衛というのは大雑把な仕事だった。
あまりにもざっくばらんで、何を守るのかすら検討がつかないようだ。
宗介はそんなこともわからないのか、と冷めた目で答える。
「スネークカンパニー。そのエントランスだ」
エントランスはエレベーターを降り先にある。
「僕は欲しいものを手に入れる。これで伝わるか?」
彼が何を言いたいのか理解したようだ。
彼女は立ち上がり踵を返した。
「わかったデス。宗介様の目的も大体わかったデス。今日から数日はエントランスの従業員室で寝泊まりするデスよ」
赤毛のアンは意気揚々とエントランスに向かった。
彼女だけが高校制服であり、後姿は普通の女の子のようでもある。宗介は少しだけ不安になったが、問題ないと確信した。蛇神宗介の予感は常に絶対であるからだ。
残されたのはパピーと蛇神宗介だけだ。
パピーが首をかしげる。
「で、旦那。俺はどうすりゃいい?」
パピーだけが放置されていた。
全裸の男だけが残されていたのだ。
「オマエは逃げた崔幸助を連れ戻せ。β班に協力を仰いでな」
崔幸助の引き戻しを命じた。
「旦那。だとしても、崔幸助は使えません。一度の失敗で尻尾を巻いて逃げるようなやつですぜ」
パピーは呆れたように肩を竦める。
崔幸助が逃げ出した。そのことが気に食わないようだった。
蛇神宗介はほくそ笑む。
「サイコパスの男。奴には伝言がある。伝言は――――」
伝言を口にする。
その口は少しばかり未来の話を語る。
これから起こる未来を紡ぐ。
その伝言を耳にしたとき、パピーは「へえ、なるほどな」と納得したようにうなずいた。
「それが本当なら崔幸助のやつも必要でしょう。ですが、本当にそんな展開になるんですかい?」
「この私を信じてないのか?」
彼は怒気を交えた声音だった。
パピーはぶるりと鳥肌を立たせ、頭を下げる。
「信じたいですがあまりにも論理的じゃないです。根拠がねえ」
「私の予想は確実だ。なぜなら、この東京は僕の箱庭だからだよ」
「?」
「オマエにはわからんさ。俺様だけが知っている。東京はすべてが私のものだ」
蛇神宗介は立ち上がり、再び窓際まで歩く。
窓の外では光が群れを成していた。ロボットの光と電気の明かりはまるで満点の星空のようだ。
彼は手のひらを窓ガラスの近くまでもっていく。
そうして、手のひらに夜景を乗せるのだ。
「世界は僕の手のうえにある。私の世界だ。世界のすべては俺様のもの」
そうして、彼は監視塔に目を向ける。
邪悪な笑みで、監視塔を見つめて、塔を手のひらで握りつぶした。
「あの塔にいる提督も私が手に入れる」
この世界は蛇神宗介の箱庭である。
それが何を意味しているのか。
α部隊も、β部隊も、γ部隊ですらも知らない。
負けるわけがない。
負けるはずがない。
なぜかと聞かれれば、こう答える。
――――蛇神宗介は狡猾である。動いた時は勝利を確信した時だ。
蛇神宗介には結末までが見えていた。決着までの筋書きも、終幕までの流れも、すべてを思い描いていた。
彼が願えば能書きは現実に変わる。戯言は予言に変わる。
蛇神宗介は部屋を出た。
ゲームマスターを気取り盤外で遊んでいただけの老獪は、ようやく盤上に降り立った。ゲームバランスを崩壊させるべく盤上のうえで踊り出す。
蛇神宗介は”狡猾に張り巡らせた罠”を思い出し、悪魔のように笑った。
「今宵から舞踏会をはじめよう。私と僕と俺様で、世界のすべてを動かそう」
彼が動きはじめたことで、表舞台の盤上の駒が転がり始める。
★
裏側の盤面。
英雄の塔に誰かが踏み込んだ。
英雄の塔に侵入者――――オールバックの少年が入ってきた。
それが原因だろう。
10階層には巨大な培養器があった。水が入っていた培養器は強化ガラスで囲まれていた。蜜柑色の水の中で、忍び服の少女は目を覚ましたのだ。
いったいどのくらい眠っていたのか。
そこが元の地球でないことはなんとなくわかる。
百年か、二百年か、時間の感覚が分からない。
目を開けた先には、偽物の朧忍が目の前にいた。
「……はじめまして。本物の私」
本物の彼女は悟る。
ここは英雄の塔だ。
英雄たちが封じ込められているダンジョンなのだろう。
伝承を思い出して納得する。
偽物の残滓はデータの塊。偽物の自分だ。
彼女は消える前に最後の力を振り絞って、本物の前に顕現したようだ。
「……くるよ。新たな英雄が」
英雄が誕生したらしい。
寝起きの思考であっても、その事実は受け入れがたいものだ。
本物は冷めた目をする。世界の全てに失望したような目だ。
本物は問いかける。
「……新たな英雄? なんで生まれたの?」
意味が分からなかった。
朧忍の努力によって、英雄は不要になったはずだからだ。
英雄に対し憎しみを抱いたような目で、朧忍は偽物に訪ねた。
偽物は答える。
「世界が求めたから?」
なんだ、それはと思った。
本物は言った。
「そこは止めなよ。Noob」
偽物は言い返してくる。
「……私は君で、君は私。オマエもnoob」
「………………うざ」
本物は正論から目をそらす。
偽物はなおも語りかける。
「彼は頑張ったよ。すごく頑張ってた。だからあなたを助け出せるよ。世界は新しくなる」
「…………ks(カス)すぎ。無駄な努力乙」
【消失の英雄】は塔の10階層で煽るような笑みを浮かべた。
「…………私は英雄を認めない。英雄なんて世界をおかしくするだけ」
本物の少女は常に小馬鹿にしたような目で笑う。
――――私の過去に耐えられる?
彼女は武宮玄に試練を課した。
朧忍の歩いてきた道のりに耐えられるのか? そんな疑問を投げかけるのだ。
英雄の塔は静かに脈動しはじめる。
裏舞台の盤上が、ゆっくりと動き出した。
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