【幕問】偽りの燐火・スカーレット③

 

 燐火は武宮玄について詳しくなっていた。


 まず武宮の家族関係だ。

 両親に妹が一人。父型の祖父が一人、祖母は死去。母型のほうは祖父祖母共に死去している。

 東京の住宅街には小さな一軒家がある。

 その小さな一軒家の玄関。その反対側には奇妙な階段があった。

 地下に続く階段だ。

 彼はその階段の降りた先にある牢獄のような鉄扉の先に住んでいる。異能ランクFに人権がなく、家族にも見放されているから、家に入ることが許されなかったのだ。育児放棄に等しい状態で生き抜いてきたようだった。


 そこまで燐火は知っていた。

 なぜ、無関係の燐火が彼について詳しくなったのか。


 せめてもの罪滅ぼしをするためだった。

 日々暴言を吐いている。その贖罪を払うためである。スカーレット家の人間に調査をさせて、その部屋を突き止めたときはこんな場所に人が住めるものなのかと目を疑った。入り口は鉄扉で監獄のようだった。悪臭のようなものが階段の上まできていた。


 燐火はその地獄に手を差し伸べてあげられない。そんな奇麗なことはできない。虐げているのが想い人だからだ。もしも、燐火が恋をしていなければ無条件で手を差し伸べていたのかもしれない。


 蛇神雄介に嫌われたくない。

 だけれども、酷いことをしてしまっている罪は拭いたい。


 相反する想いの中で揺れ動いた彼女の行動は異質だった。


(お金を投げ入れましょう。少しくらい食べ物の足しになればいいわね)


 燐火は部屋を突き止めた日からその部屋がある階段下に小銭を投げ入れるようになったのだ。彼の部屋まで階段を転げ落ちるのは2843年となっては珍しい実物の硬貨である。まるでお賽銭を投げるように、お金を投げ入れるのだ。

 毎日、毎日、飽きることなく、お金を投げ入れる。

 その姿は罪の代価を支払う罪人のようである。


(偽善よね。わかってるわよ)


 偽善だと頭ではわかっていても、それが燐火に出来る精一杯だった。

 毎日、金銭を投げ入れてはその場を去る。

 彼女なりの罪滅ぼしである。

 その日もいつもと同じように金銭を投げ入れてたのだが、少しだけいつもとは違う行動をとっていた。

 雄介が武宮の右目を潰した。――――あの惨劇の翌日のことである。


 普段ならお金を投げ入れてすぐに帰る。わざわざ恩を売るような真似はしたくないからだ。これは罪滅ぼしであり、即帰宅が基本である。


 けれども、その日は遠くの電柱の影で出待ちしていた。


 武宮玄の安否を確認するためである。


 病院には行ったはずだ。あの大怪我で病院に行かないはずがない。しかし、彼女が喫茶店のマスターに調べさせた限り、どの病院にも入院はしていないようだった。

 彼女は物陰から様子をうかがう。怪我の次第によっては、何かしらの理由をつけてスカーレット家専属の医者に見せるつもりだった。

 出待ちすること一時間ほど。


 少年が外に出てきた。


 右目に包帯を巻いており、雄介に殴られた頬の傷は治っているようだった。

 頬の傷だけは治っている。

 潰れた右目は治っていないようだ。


(……右目はやっぱり治らないのね。アタシのせいだわ)


 自分の犯した罪を見せつけられているような気がした。

 なぜ自分が泣くのか。泣きたいのは彼のはずだ。だというのに、自然と彼女の目から涙が出てくる。

 つーと唇から血が流れてくる。

 燐火は戒めるように自分の唇をかんだのだ。涙を止めるためだ。たとえその涙が彼のためであっても、加害者側の燐火に泣く資格はない。そう思ったのだ。


 袖で涙を拭い、彼の様子をうかがう。

 彼は燐火が投げ入れた四百円を握り締める。どうやらきちんと受け取ってくれているようだ。まずはそのことに安堵する。お金は彼に行き届いているようである。

 彼はそれを握ると階段を上がり外に出た。どこに向かうのか、燐火が隠れていた方とは逆方向につま先を向けた。

 数分後。


(ご飯を買いに向かうのかしら)


 彼はコンビニエンスストアに入った。

 そこの食品棚で、少しだけ悩んだあとにホットドッグに手を伸ばしたのだ。

 燐火はほんの少しだけ頬を綻ばせる。


(うん、ご飯は食べれるようね)


 不幸中の幸いで、彼がふつうに食事ができることに安堵する。

 偽善であったとしても、自分の行動が役に立った。それが何よりも嬉しかったのだ。


 世界はかくも変わらない。

 で、あるならば自分が変えるしかないのだ。

 少女の目には火がともる。小さな火だ。


(アタシがなんとかしてみせる。変えてみせる)


 拳を握り締めて、彼女は学校に足を早める。

 彼は生きていた。

 死んではいなかった。

 だとしても、こんなことが許されていいわけがない。

 こんな無意味な暴力が許されていいわけがない。

 燐火は覚悟を決める。

 雄介に嫌われたくない。

 その心は変わらない。その願いに変化はない。

 だけれども、きちんと向き合うべきだと思った。雄介がこれ以上、おかしな方向に行かないように、必死に食い止めなくちゃいけないと思ったのだ。

 学校にて。

 一限目が終了したくらいで、少し遅れて登校した彼女は雄介に向かい合った。


「どうした? 燐火?」


 蛇神雄介はすっとぼけているのか、まるで無神経だった。

 燐火は苦虫を嚙み潰したような顔で言った。


「雄介。昔みたいに戻ってほしいの」


 彼女は嘆くように訴えかける。


「もう、こんなことやめましょう! 異能ランクFを差別して殴るなんて。好き放題暴力を振るうなんてどうかしてるわ!」


 精一杯の想いで伝えた言葉は空砲だった。


 結論――――失敗である。


 雄介は「ふざけるな。あのFラン野郎の方を持つってのか!?」「そういうことじゃないの!」「ああ? そういうことだろうが!!」と言葉の応酬になってしまったのだ。


 2人の言葉は意味を介さない。

 燐火の願いは彼にとってノイズであるし、彼の差別思考は燐火にとって許し難いものだった。


 お互いの歯車が壊れる音がする。

 価値観の歯車は軋むような音を立てて崩壊した。蛇神雄介と燐火スカーレットの関係性に亀裂が入ったのだ。


 その日から関係は決裂した。

 人望があるのは蛇神雄介のほうで、ほとんどの人間が彼を肯定するような目をしている。

 悲しさのあまりトイレの個室に駆け込んで、燐火は皮肉げに笑った。


(ちゃんと嫌われちゃったわね)


 嫌われたことへの喪失感が胸に広がる。

 それは恋の灯が消えていないことを意味していた。

 どうして好きなのか、それがわからない。

 好きに理由はないなんて世迷言があるが、まさしくその通りだと思った。

 醜くもあさましい愚かな好意。吐き気を催す邪悪な純愛に、燐火は自分の胸を抑えつける。


 初恋の小さな蕾は最悪の春を迎える。醜く腐った花として開花したのだ。どろどろとした感情が花びらからゆるやかに溶けて、精神を汚染してくのだ。


 恥ずかしい。蛇神雄介を好きなことが。

 恥ずかしい。想いを捨てきれないことが。


 まるで呪いだ。

 燐火は胸を抑えつけ、嗚咽を漏らす。

 仲違いして悲しんでいる自分も、彼のことを好きな自分も、何もかもが気持ち悪いのだ。


 その日から蘆屋陽太や志水里奈、蛇神雄介とパーティーを組んで、ダンジョンに潜ることはなくなってしまった。

 燐火は失った。

 志水里奈という友達を失った。蛇神雄介という好きな人との関係性も失った。学校の居場所すら失った。残ったのは酷く歪んだ恋心だけである。


 和気藹々とした食堂で、彼女は端の方に座って、1人で窓の外を眺めていた。三階から見える景色はロボット大国に相応しいおびただしい数の円盤(浮遊ロボ)が巡回する街中である。

 彼女は昼食のサンドイッチを一口含む。しなしなになったキャベツの食感と、安っぽい塩肉を舌で転がしながら味わう。

 頬杖をついて呆れたように笑った。


(罰、受けられたじゃない)


 その孤独こそが自分への罰であると思った。

 武宮玄という少年を無視してきた罪。

 蛇神雄介ともっと早く向き合わなかった罪。

 偽善者の罪。

 それがこの孤独であると思った。

 そうして、彼女は孤独の高校生活を送ることになる。

 イギリスに帰れば友達もたくさんいるけれども、逃げるようなことはしたくなかった。ここで逃げるのは彼女の矜持が許さないからだ。


 その日からだった。彼女は何を考えているのかソロでダンジョンに潜り始めた。

 ソロ攻略は難易度が高い。死亡率も格段にあがる。異能ランクSの燐火・スカーレットであるから許されているものの、本来では入場すら許されない愚行である。


 それでも彼女は1人で潜る。


 破滅願望のようなものが芽生え始めたからだ。

 自分が許せない。

 蛇神雄介に恋をしている自分も、どうしようもできずに武宮の右目を潰した自分の弱さも、何もかもが許せなかったのだ。



 二カ月後。

 彼女は迷い始める。

 ゴブリンの牙は高値で取引されている。

 思い起こすのは一人の少年だった。


(もっとお金があれば、彼に謝礼金くらいは渡せるんじゃないかしら。右目の治療費の足しくらいにはなるかもしれないわ)


 そんな考えが彼女の脳裏を掠めたのだ。 

 ただし一人では魔物の素材を集められない。

 ある日の事だ。彼女は荷物持ち用の袋を購入するために、レンジャー支援ショップに足を運んだ。

 まずは荷物持ち用の袋を購入する。その後、荷物持ちを雇うプランだった。

 そうしてレンジャー支援ショップで見かけた荷物持ち用の鞄を前に、燐火は睨めっこをすることになる。

 誰を雇うか。

 一瞬だけ頭をよぎった武宮玄の存在。

 彼を雇う。そのさいに高額の報酬を渡せば、彼にまともな生活をさせてあげられるのではないか。そんな考えが頭をよぎったのだ。

 だとしても、だ。

 彼女はフルフルと首を横に振った。、

 武宮玄を雇うプランを否定する。


 あんなことがあったばかりだ。彼にダンジョンの荷物持ちをさせるようなのは酷である。でも彼にお金を渡す口実ができる。そうやって、葛藤していたときのことだった。


「武宮玄だ」


 武宮玄と再会したのは。

 彼の姿見は大きく変わっていた。

 身長は伸びていたし、体つきも変わっている。

 眼鏡をはずしたからか、それとも顔が細くなったからか、顔の輪郭すらも変わっているように見えた。


 このときの彼女が何を思ったか、

 このあとの喫茶店で彼女が何を考えていたのか。

 それは燐火・スカーレットにしか分からないことである。


 ★


 偶然出会った武宮玄と喫茶店で会話を終えた。

 彼の言葉に、燐火は動かされる。

 監視塔の下付近に足を運んだのだ。監視塔はカーボンナノチューブと鋼鉄で出来ており、冷ややかな空気を感じさせる。人間味の感じない建物だった。

 彼女は小さく口をつく。


「やることは決まったわ。まっすぐ歩きたい。どこまでも歩く。そうして――――」

――――世界を改革する。


 その言葉は口にせず、しかし心に刻むのだ。

 どうすればいいのか、どうするべきなのか。

 まだ何もわからない。

 いばらの道を一歩一歩進んでいくしかないと思った。

 けれども、噂でなら知っている。この世界を狂わせているのは誰か。この世界をおかしくしたのは誰か。


 燐火・スカーレットは目標を定める。


(上にふんぞりかえるやつを殴り飛ばしてひっくり返すわ)


 監視塔の頂上には怪物がいるという都市伝説がある。

 その都市伝説だけが手がかりだった。

 どうすれば会えるのか。

 この世界はカースト社会だ。

 ならば上に立てばいい。

 カースト社会を駆けあがるのだ。

 レンジャーランクがSランクにまで上がれば、情報が得られるはずだ。ダンジョン世界を駆けあがり、レンジャーランクを上げて、この世界の核心に向かう。


 燐火はそいつの心臓をつかみ取るように、塔のてっぺんに向かって手を伸ばす。そいつを握り潰すのだ。


「狂った世界で始めましょう。たった一人だとしても」


 このカースト社会で燐火・スカーレットは歩き出す。

 歩き方はわからない。

 蛇神雄介を変えたいのか。武宮玄を救いたいのか。

 たくさんの目的が混ざり合っているから心は定まらない。


 歩き方はわからないが行き先は決まった。

 たった一人だとしても、みんなが笑って過ごせるような世界に変えたい。そう決めたのだ。

 このおかしな世界を駆けあがる。

 世界に反逆の狼煙を上げるのだ。

 

 すでに覚悟は決まっていて、その覚悟を示したかった。

 どうやって示すのか。

 どうしてだろうか。喫茶店で言われた武宮玄の助言を思い出す。


『オマエはオマエらしく生きればいい。燐火・スカーレットらしくな』


 燐火スカーレットは強気に笑ってみせた。



~幕問 【偽りの燐火・スカーレット】~

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