いじめ、その復讐
修一が、母親と二人暮らしのアパートに帰ってきたのは21時過ぎだった。家に入ると、机の上にサランラップがかかった夕食が置いてあった。しかし修一はそれに見向きもせず、風呂場へと向かった。一刻も早く自分の身を清めたかった。
風呂に入ると、服に隠されて見えないところにいくつもの傷があるのがわかった。修一は石鹸を水につけ、泡を出すと、自分の手で直接体に塗り始めた。タオルを使うと固くて傷が痛むのだ。手でやっても痛いことは痛いが、幾分かはましになる。
放課後に、トイレの水をかけられた体操着は先ほど洗濯機に放り込んだ。母親が帰る前に洗濯して、干しておけば、においが残ることはないだろう。
母親に相談するという選択肢は最初からなかった。昼は弁当屋、夜は工場で働き、家計を支えてくれている母親に余計な心配をかけたくなかった。
湯船につかると全身が痛み、思わず涙目になるが我慢してつかる。
あいつらは今何をしているのだろう、家に帰ってテレビでも見ているのか、あるいは三人で遊んでいるのか。ひょっとしたら、
「今日もあいつキモかったな」
「そうそう、途中から涙目になってよ」
ぐらいのことは言っていてもおかしくない。
一方自分はどうだ。狭い風呂場で痛みに耐えながら、湯船につかっている。この差はなんだ。いじめられている者と、いじめている者の差だとでも言うのか。
いや、落ち着け。大丈夫だ、この地獄も高校で終わりなのだ。そこまで辛抱すればよいだけのこと。だから、
泣くな。泣くな。泣くな。泣くな。
自分にそう言い聞かせる。泣いてはいけない。泣いてしまえば、それは暴力がつらい、逃げたいと認めてしまうことになる。それだけは絶対に嫌だった。
しかし、涙は止まってくれない。思いっきり自分の頬をつねっても、殴っても、ただただ自分が痛いだけだ。
そもそも、なぜ自分だけこんな目に合わないといけないんだ。あいつらと俺の何が違うんだ。同じ高校生じゃないか。
そう思った瞬間修一の心にどす黒い感情が生まれた。いや、違う。もうとっくに生まれていたが修一本人が蓋をしていただけだ。あいつらに復讐してやりたい、俺と同じか、それ以上の痛みを味あわせてやりたい。
そう思ったら、もう止められなかった。
翌日、修一は学校を休んで、三上浦和駅に向かっていた。学校をずる休みすることに若干の抵抗はあったが仕方がない。一日でもはやく奴らに痛い目を見せたかった。
以前バイト中に噂を聞いたことがあったのだ。
どんな依頼でも請け負ってくれる復讐屋なる人間がいるらしいと。三上浦和駅の4番ロッカーに依頼料、復讐相手を書いた紙を入れておけば依頼成立。
本当なら自分の手でやつらを殴り、痛めつけてやりたい。しかし修一にはそんな腕っぷしも、度胸もなかった。
修一が手に持っている紙袋には日雇いバイトでためた10万円と、あいつら三人の名前、三人にいじめを受けていたことを書いた紙が入っている。
奴らはどうなるんだろう。殴られるのか、小便をかけられるのか、学校にこれないほど恥ずかしい噂をばらまかれるのか、いづれにしても奴らが痛めつけられ、自分と同じような思いをするのならば何でもいい。
ほどなくして駅に着いた。4番ロッカーを開け、紙袋を中に入れ、扉を閉める。鍵はロッカーの上に置いた。
やってやったぞ。
誇らしい思いで、修一はその場を後にした。
しかし家に帰り、興奮が冷めてくると、自分はひょっとしたらものすごく馬鹿なんじゃないか、という思いが芽生えてきた。
なぜ、本当かどうかもわからないような噂にすがって、貯金を引っ張り出し、復讐を遂げたような気分になっていたのだ。
大体、人の復讐を請け負ってくれるようなもの好きがいるとは思えない。それに、名前しか書いていないのにどうやって復讐相手を見つけ、復讐を実行するというのだろうか。
多分いじめていた相手に復讐したとか、そういう話が他の話と混ざり、だんだん尾ひれがついていった結果、復讐屋などという都市伝説の類のものが生まれたんだろう。
元々おかしい話だったのだ。多分修一は高校を卒業するまでの間、ずっと奴らのおもちゃなのだろう。再び憂鬱な気分に襲われながら、修一は昼ご飯を作り始めた。
ところが翌日、学校に行くと、どうもおかしい。奴らの姿が教室のどこにもないのである。
最初はトイレかと思ったが、机には奴らの荷物がない。
ということは三人そろって休みということか、ラッキーなこともあるもんだと思っていると普段はやる気のなさそうな顔をしている担任が青ざめた顔で、ばたばたと教室に駆け込んできた。
「みなさん、座ってください。話があります」
そうして担任は奴らが昨日から家に帰っていないこと、そしてもし居場所を知っている者がいれば遠慮せずに教えてほしいことを告げた。
他のクラスメイト達は心配そうにしている者もいれば、どうせ帰ってくるだろ、と言いたげな冷めた目で、必死にしゃべっている担任を見つめている者もいる。
だが修一は違った。彼は手を口に当て、必死に、我慢していた。
嬉しさのあまり、歓声をあげないように。
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