2話.第二王子VS猫

 第二王子や生徒会長、各人の先生たちが頑張ってくれたおかげで、入学式そのものは終了した。

 しかし、終了した瞬間に会場は生徒たちの話し声で埋まった。ちなみに、謎のスポットライトは最後までティエラの席を照らし続けていた。


 通常ではありえない問題を抱えたまま式が終わったことで、他の生徒たちも席を立たず、周りの生徒たちとあれは何だったんだと話し込んでいる。おかげで、先生たちは生徒の誘導に手間取っているようだった。

 この機に乗じて、ティエラはソルの手を掴み、急いで会場を後にした。物凄い生徒の数の視線を浴びているが、もはや今更である。


 校舎裏にソルを引っ張ってきたティエラは、両腕を体の横につけながら、拳を小刻みに震わせていた。


「ソル。……さっきのは、どういうことなの」


 ティエラは、自分がこんなにも低い声を出せることにちょっと感動した。今の自分は、威厳たっぷりな主人に違いない。

 ソルは依然として感情を見せず、ただ静かにティエラを見下ろしている。彼の黒髪の先が太陽の下で白く輝いているのが、今ばかりはこれさえ憎たらしい。


「寒かったから、当然の行動をしただけ」

「ここは王立高等学校よ。みんなが真面目に第二王子を見てる中で、いきなり私の膝に乗って丸くなるなんて!」


 ティエラは顔を真っ赤にしながら、喉を震わせる。さっきまでの威厳がどうこうは、完全に吹き飛んでいた。

 一方のソルは、叱られている本人とは思えないほど落ち着いた表情で、こくりと頷いた。


「さっきの場所、寒かったでしょ。風が通ってたし、日差しも当たりにくかった。だから、できるだけ暖かい姿勢を探したら、ああなった」


 ティエラは目を瞬き、言葉を失った。

 彼が求めたのは一貫して、暖かさだったようだ。


 ――完全に、猫の本能に負けてるじゃない!

 ソルのあまりに堂々とした言い訳に、ティエラは膝から崩れ落ちた。


 悪気はなく、ただ寒さを嫌がっただけ。その理屈は、一か月前に彼が『前世の愛猫』だったと知って以来、否定できない事実としてティエラの中に根付いている。

 誰がどう見ても人間であり、流暢に言葉を喋り、二足歩行をマスターしていても、猫の本能には抗えないらしい。


 昔はこだわりの強い子で流していた奇行も、猫の原理として考えれば全て合致することばかりだった。

 だからこそ、入学前に不安視していたわけだが、それは見事に的中してしまった。


「今回のは多分、照明係のミス……だと思うけど、それでもあんなこと――」

「そこで何をしている」


 ティエラが混乱と不安を覚えながらもソルに説教をしていると、背後から硬質な声がかけられた。振り返ると、何故か第二王子が立っていた。

 短く切りそろえられた黒髪が堂々とした佇まいを強調し、赤い瞳が侵しがたい雰囲気を纏っている。ティエラを見下ろす姿から、頭一つ分以上の身長差を感じさせた。


 ――よりによって、今一番会ってはいけない相手が何故ここに!

 ティエラは頭を抱えたくなるのを必死に耐え、ささっと立ち上がってお辞儀をした。


「シュナク王子、こんにちは」


 王立高等学園のモットーは、個人として学ぶこと。

 身分によって相手への態度を変えてはならないとされているため、ティエラはこれに倣い、第二王子であるシュナクにもフラットな態度で声をかけるよう、心がけた。


「君に聞きたいことがある。入学式でのスポットライト、あれはなんだ?」


 ティエラは一瞬で青ざめた。あれはなんだと問われても、ティエラも本当に知らないのだ。しかし、王子は明らかに自分のことを疑っている。

 あまりにも理不尽な状況に泣きたくなりながら、ティエラは答えた。


「……分かりません。ただ、ソルは昔からちょっと、急に、何かをすることがあって……はい」


 ギロリと、赤い瞳が鋭さを増した。当然のように納得してもらえなかったことに、ティエラは肩を落とした。

 スポットライトの件ももちろんだが、ソルが引き起こした飛び掛かりも大概なものだった。むしろ、まだ打ち首を言い渡されないのが不思議なほどである。


「寒かったので」

「なに?」

「寒かったから、あったかいところに行きました」


 一方のソルはというと、さっきと同じ顔で、抑揚もなく言った。

 これを聞いたシュナクは、流石に言葉を失ったらしい。一拍置いて、眉間を押さえる仕草をした。


「……なるほど。やはり、第一王子派の差し金か」

「えっ、何が?」

「兄上はこういう、雑な嫌がらせを好む。以前も、式典用の俺のマントの内側に、宝石が仕込まれていた。俺の計画を乱すために、奇妙な刺客まで送り込むとは」


 刺客の定義とは、一体なんなのだろうか。

 一人で勝手に納得し始めるシュナクに、ティエラはツッコミたくて仕方がなかった。だが、相手は王子なのでどうにか堪えた。

 しかし、それが良くなかったらしい。シュナクは思考の渦に沈んでいってしまったらしく、微動だにしなくなってしまった。


「あの、王子」


 このままではいけないと、ティエラは勇気を振り絞った。シュナクが再びこちらを向いたことを確認して、息を吸う。


「ソルは刺客とかじゃありません。ただ、その……えっと、人なんです! そう、凄いイケメンです!」

「何故、イケメンを強調する? 俺もかっこいいだろ」

「そこは張り合うんですか!?」


 説明が下手くそすぎて、ティエラは何度目か分からない撃沈をした。この時、ティエラは悪寒を感じ取った。

 シュナクは険しい表情のまま、続ける。


「兄上がここまで露骨に動くとは……。ならば俺も、対応を考えねばならない」


 真剣な表情と声色で、物騒なことを言い放ったシュナクの後ろに、何かが近づく。

 そして、影は動いた。


「これ、すごい寝心地良さそうなんで借ります」

「借ります!?」


 恐ろしいセリフが聞こえてきたことで、ティエラは悲鳴を上げた。今の声は間違いなく、ソルのものだ。


「ぐっ!? いつの間に!!」


 ぐいっとマントを引っ張られた王子は意識外だったこともあってか、呆気なくソルにマントを奪われていた。

 そして、よさげな毛布を手に入れたソルはこれを嬉々として日向のある場所まで持っていき、床に敷いてその上に丸まった。


「あったかい」


 突然のこと過ぎて完全に対応し遅れた王子は、ソルの奇行に固まっている。


 ――ああ、もう駄目だ。

 ティエラは覚悟を決めて、首を差し出した。


「どうか、私が苦しまないよう、一撃でお願いします」

「お前は俺を、何だと思っているんだ?」


 シュナクの低く発せられた声が、いつまでもこだまするのだった。

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