入学式から王子に目を付けられました~従者が猫過ぎて刺客扱いされてます~

おかかむすび

第一章.入学式編

1話.従者の正体は、私の猫でした

 王立高等学校の巨大な門をくぐり抜ける瞬間、ティエラは小さな背筋を伸ばした。

 ここは王族や公爵家など貴族の子息令嬢が集う、まさにこの国の頂点。その中で、裕福とはいえ所詮は成り上がりの商家の娘であるティエラは、間違いなく場違いだった。

 不自然に歩いているのではないかと意識すればするほど、自分の動作が石のように硬くなっていくような錯覚に陥る。


 ――このまま本当に身体が石化したら、どうしよう。

 不安の極致に至ったティエラは、自分に『私は小魚』と暗示をかけた。そう言い聞かせていると、何だか本当に自分が小魚になった気がした。


「小魚? どこ?」


 声に出ていたらしい。半歩後ろを歩いていた、従者のソルが声をかけてきた。


「食べたい」

「私を食べるの!?」


 完全に小魚になり切っていたティエラは、馬鹿な切り返しをしてしまった。


「ティエラ、不安?」


 ティエラの耳に、静かな声が届く。ソルの冷静な態度を見たおかげで、ティエラは現実に帰ってこれた。

 黒い髪の毛先だけが太陽の光を浴びて白く煌めいている、美しい顔立ちの少年。ティエラよりは背が高いが、一般的な成人男性と比べるとまだ小柄な彼は、自ら志願してティエラの従者を務めてくれている。

 まだ幼さの残る見た目からは考えられないほどの完璧な立ち居振る舞いは、周囲の厳しい視線からティエラを守ってくれているようだった。


「ソル。学園内ではずっと、敬語で喋ってちょうだい」


 魚になりきっていたところだったので、ソルに食われるなんてトンチンカンなことを考えながら、ティエラはそれを悟られないよう、主人らしく振舞った。

 彼が自分を想い、話しかけてきてくれたことは分かる。しかし、今日は入学式ということもあり、周りの同級生たちもピリピリとした雰囲気がある。

 出来ればここで、悪目立ちはしたくない。


「うん? 分かった」


 返事をしたソルの視線は、完全にちょうちょを追いかけていた。


「分かってなくない……?」


 いつもの調子のソルに、ティエラはため息をついた。

 このため息が聞こえてしまったのか、生えていないはずの猫耳が垂れたように見え、ティエラは申し訳なく思った。

 それでもティエラは心を鬼にしてソルから視線を逸らし、前を向いて歩いていく。


 ソルの立ち姿は完璧だ。しかし、言葉遣いには若干の難がある。どうか、口を開かずただ立っているだけを徹底してくれないだろうかと、今日ばかりは思わずにいられない。

 だが、このことさえも些事である。ソルを横目で確認しつつ、ティエラは唇を噛んだ。

 彼女が気にしているのは貴族社会の作法でも、ましてや言葉遣いでもない。


 問題は、彼の『ちょっと変わったところ』だ。ソルと共に学園生活が始まると決まった途端、これって大丈夫なのかと急に思い始めたのだ。


 最近になって、ティエラは前の人生の記憶の欠片を思い出した。家の手伝いをしている時、ちょっと無理な体勢で道を譲った拍子に頭をぶつけたのが原因だ。

 その中で、自分と一緒に暮らしていた一匹の猫の存在が、妙にはっきりと胸に残っていた。そして、気づいてしまったのだ。


 ソルは、あの時の愛猫の生まれ変わりなのだと。

 15年も一緒にいたのに、つい最近までただの個性だと受け入れていた自分が信じられなかった。


 もう一度、ティエラは盗み見るように視線を後ろに向ける。

 ソルは今の振る舞いを維持するのが面倒くさくなってきているのか、だんだんと猫背になってきているように見える。加えて、まるで獲物を探すように周囲をきょろきょろ見回している。

 その視線は周囲の生徒や建物ではなく、壁や柱のわずかな出っ張り、あるいは床にうっすらと落ちた光の筋にばかり向けられていた。


 ――お願いソル。今日だけは我慢して……。

 いつまでも後ろばかりも見ていられないと、断腸の思いで前を向こうとした時、彼がすんすんと鼻を動かし始めたのが視界の端に入った。

 瞬間、ティエラは音を超えた速度で振り向いた。


「なに、どうしたの」

「今、何してたの?」

「日差しが良い匂いだなって」


 恐ろしいことを口走るソルに、ティエラは釘を刺す。


「今のうちに、めいっぱい嗅いでおいて。そして、入学式ではおとなしくしてて。いい?」

「うん」


 返事だけはいっちょ前なんだからと、ティエラは心の中で文句を言いながらも、まあソルは優秀だしとつい甘く見積もってしまう。

 今までだって、出掛け先で大きな問題を起こしたことはないのだ。今回だって、きっと大丈夫だろう。多分。


 ティエラは目の前に迫る校舎の扉をくぐったことで、一つ息を吐く。ソルは変わらず、後ろをついてきてくれている。

 同じ制服を身に纏う生徒たちに紛れながら式典会場へと向かい、自分の名前の札が置かれた席を探し出し、どうにか着席した。ソルが椅子のすぐ後ろでしゃがんだ気配を感じる。

 従者は立っていると後ろの席の視界を遮ってしまうため、気配を消したようにしゃがんでいるよう、入学前の資料で指示がされていた。


 ふと、ソルの気配が完全に消えた気がして、ティエラは慌てて振り返った。

 変わらずソルはしゃがみ込んでいたが、さっきよりも集中した表情で、床に落ちた細い光の筋をじっと見つめている。

 その目がきらりと細かく揺れた気がして、心臓が跳ねた。


 そんな彼女の心配をよそに、入学式は始まった。

 会場内は厳粛な空気に包まれており、照明もかなり絞られている。薄暗く、静かすぎるほどだ。


 やってくる眠気に抗いながら、ティエラは前を見続ける。自分の後にも数多くの生徒がやってきては、空席が埋まっていく。その中であっても誰も口を開くことはなく、静寂が保たれ続けている。

 そして、入学式が開始される時刻を時計の針が差した。


 オーケストラによる緩やかな演奏が始まった。

 壇上の幕が開き、校長を筆頭に教師陣、そして第二王子を含めた貴賓席の面々が姿を現す。会場の空気は一段と張り詰め、これに合わせて演奏も佳境に入っていく。

 あまりの音量に、ティエラは身を縮めたくなる衝動を必死に抑えるほどだった。

 演奏が終了したことで、少しだけ肩の力を抜くことが出来た。もぞもぞと、背後で誰かが動く気配を感じたが、ティエラは無視を決め込んだ。ここで振り返る方が、きっと目立つ。


 教師数名の挨拶が形式的に続いた後、壇上中央に今年度の新入生であり、国民のほとんどが知る第二王子が静かに立った。多分、ソルは知らない。


 新入生代表による、宣誓の時が来た。

 彼は一拍の沈黙の後、よく響く声で宣誓を始めた。


「新入生一同を代表し、謹んで宣誓いたします」


 この時、背後で『日差し』という小さな呟きが聞こえたかと思うと、自分のところが急に明るくなったことで、ティエラはたまらず目を細めた。

 そして、会場全体がざわつきはじめた。


 一体なんだろうかと、ティエラは周りを見渡す。右隣りを見れば、男子生徒とばっちり目が合った。びっくりして左隣を見ると、同じく女子生徒とばっちり目が合った。

 隣の席の人たちだけではない。どこを見ても、全員が自分のことを見ていることに気づき、ティエラは生唾を飲み込んだ。喉の鳴る音が、やけに響く。

 もの凄く嫌な予感がする。でも、わずかな可能性に縋りたくて、ティエラは壇上に上がっている王子のことを見た。

 彼もばっちりとこちらを見ていて、目と目が合った。


 どうやらこれは、新入生全体へスポットライトを当てるという、粋な計らいではなかったらしい。どこを見ても暗いことがそれを物語っている。光が降り注いでいるのは、ティエラの席だけだった。


「あ……え、あの、照明係が、照らすところを間違えてしまったのかもしれません!」


 ティエラは小声で、周りの人に弁解した。ここは、私は知りませんアピールが一番だと思った。

 周りの人たちも、多分そうだよなと納得しかけた、その時。


「やっぱり日向が一番……。ティエラ、膝貸して」


 ティエラの機転を一瞬で台無しにしたのはソルだった。

 彼は入学式の途中であるにもかかわらず、音もなくティエラの前にまで移動してきて、いつも家でやるように膝の上に上半身を乗せてきた。


「こっ……これも、違います! この子は、そういう子なんです!」


 もう、ティエラの中に優秀な弁明案は存在しなかった。残念なことに、周りの人たちの視線に困惑の色が混じった。


「――ふっ!」


 極めつけに、視界を横切った光の点線に向かってソルが飛び掛かった。飛び掛かられる形になったティエラは、椅子もろともソルと一緒に倒れこみ、背中を強打した。

 倒れこむ瞬間に見えたのは、壇上に立つ第二王子が持っていた宣誓書を落とし、目を見開いてこちらを凝視していた姿だ。

 甲高いノイズ音が、マイクを通じて響く。


「あはは、あははは……」


 後ろの席の人物にばっちりと覗き込まれたが、ティエラはもう乾いた笑い声をか細く出すことしか出来なかった。ティエラは心の中で大泣きしながら、半ば現実逃避するように脱力した。

 その後、ノイズ混じりの咳払いが聞こえてきた。


「……少し、不手際があったようです。改めて、宣誓させていただきます」


 第二王子が式を進めるため、粛々と新入生の挨拶を読み上げていく。しかし、その姿を目に焼き付ける生徒はほとんどいなかった。

 何故なら、ティエラは最後まで自分に注がれる大量の視線を、従者のソルと共に感じ続けたから。

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