第1話 ボツ経験者、テンプレ転生を斬る

「――それじゃあ、本日の審査会を始めます」


 ストーリー課の会議室は、シンプルに言えば「机と椅子とモニター」だけの空間だ。


 でも、そこに表示されているものが地味じゃない。

 壁一面のスクリーンに、ずらっと案件一覧が並んでいる。


【案件No.57801 異世界トラック転生(仮)】

【案件No.57802 剣と魔法のスローライフ】

【案件No.57803 追放された俺が実は最強】

【案件No.57804 死んだらゲーム世界でした】


 テンプレ臭しかしないタイトルが、これでもかと。


「うわあ……」


 思わず、声が漏れた。


「ね、圧巻ですよね!」


 隣でルナがきらきらした目をしている。

 褒め言葉として言ったわけじゃないんだが。


「本日分の審査対象は、このうちテンプレ度A以上からです」


 会議室の一番前、黒瀬さんが淡々と告げる。


 彼女の前の席には、数人の職員――見た目は人間っぽかったり、獣耳が生えていたり、輪っかが浮いていたり――が座っている。ストーリー課の面々らしい。


「新人の三城は、今日はオブザーバー兼コメント担当」


「コメント担当って、なんか責任重くないですか?」


「ボツ経験者としての意見を聞かせてもらうわ」


「その呼び方、社内公式なんですねやっぱり」


 ボツ経験者――肩書きとしては底辺寄りだ。


 だが、ここではどうやらそれなりに評価されているらしい。良いのか悪いのか分からない。


「では、一件目。案件No.57801――ルナ、概要を」


「はーい!」


 ルナがぴょこんと立ち上がり、ホログラムを操作する。


 スクリーンに一枚のプロットシートが大きく映し出された。



【案件No.57801】

【テンプレ度:S】

【タイトル:未定】


【あらすじ案】

 ブラック企業で心身ともにすり減っていた冴えない会社員(29)が、深夜残業帰りにトラックにはねられて死亡。

 目覚めると、見知らぬ神様の前だった。

 神様から「ひどい人生だったね」と同情され、チート能力を一つだけ授けられることに。

 会社員は「今度こそ、楽をして、誰にも邪魔されずに生きたい」と願う。

 そして剣と魔法の異世界に転生。

 最強能力と現代知識を駆使して無双し、気付けばハーレムを築き、最後は魔王を倒して世界を救う――。



「はいっ! 安心と信頼の王道パターンです!」


 胸を張るな。


「……テンプレ度Sって書いてあるんですけど」


「Sは“スーパーのS”ですから!」


「“スーパー・テンプレ”のSでしょそれ」


 たぶん正式には「S級テンプレ」のSだ。


「では、ルナ。企画担当として、この物語の推しポイントを」


 黒瀬さんが淡々と促す。


「はい! えーっとですね……まず、読者さんが一行で状況を理解できる分かりやすさ!」


 ルナが指を一本立てる。


「冴えない社畜がトラックにはねられて異世界チート無双! はい、安心!」


「安心って言葉の使い方おかしいよね?」


「さらにですね! 現世で報われなかった鬱憤を、異世界で晴らしていくカタルシス!」


 二本目の指が立つ。


「ブラック企業上司を思い出しながら、スライム相手にストレス発散! はい、爽快!」


「スライムがとばっちりすぎる」


「そして! ヒロインは三人!」


 三本目。


「幼馴染みの受付嬢さん、同じ部署のOLさん、異世界エルフさん! 全員、優しくてスタイル抜群です!」


 会議室の空気が、微妙に重くなった。


 他の職員たちが、なんとも言えない顔で目をそらす。


「……以上です!」


 ルナがきりっと胸を張ったところで、黒瀬さんが軽くため息をついた。


「ルナ」


「は、はいっ」


「あなたの中で“王道”っていう言葉の定義、いったん書き換えたほうがいいわね」


「えっ!?」


「――三城」


 急に名前を振られて、背筋が伸びた。


「はい」


「ボツ経験者として、第一印象を」


 彼女の視線は真剣だが、責める色はない。

 純粋に「どう思った?」と尋ねているだけの目。


 だから、こちらも誤魔化しても意味がない。


「……安心感、はあると思います」


 まず、そこから口を開いた。


「一行読めば状況が分かるし、『ああ、よくあるやつね』ってすぐ把握できる」


「ですよね! 安心ですよね!」


 ルナがぱあっと顔を明るくする。


「――そこまでは」


 続きの一言に、会議室の空気がぴんと張りつめた。


「でも、ここまで“よくあるやつ”しかないと、正直、最後まで読む意味がないです」


 言ってから、「やばいこと言ったかな」とほんのり胃が縮む。


 けれど、黒瀬さんは「続けて」と顎を引くだけだった。


「理由を、具体的に」


「はい」


 ホログラムのあらすじを目で追いながら、言葉を選ぶ。


「主人公の“願い”が、薄すぎるんです」


「“楽をして、誰にも邪魔されずに生きたい”じゃダメなの?」


 ルナが小さく首をかしげる。


「それ、“誰でもいい”願いなんですよね」


 俺は指であらすじの一行をなぞった。


「社畜じゃなくても言うし、二十九歳じゃなくても言うし、この人じゃなくても言う。

 『この主人公だからこそ、その願いになる』っていう個別性が、ここからは感じ取れない」


 職員の何人かが、腕を組んでうんうんと頷く。


「ヒロインも同じです。

 “優しくてスタイル抜群で主人公大好き”って、それ、三人並べる必要あります?」


「必要ありますよ!? 多いほうが嬉しいじゃないですか!」


「誰目線の嬉しいなんですかそれ」


 思わずツッコんでしまった。


「三人とも同じ方向で優しくて、同じ方向でチョロくて、同じ方向で主人公が好きだと――」


 手を広げて見せる。


「“この子じゃなきゃダメな理由”がどこにもないんですよ」


 会議室に、少しばかり重い沈黙が落ちる。


「ヒロインAが風邪引いたらBに差し替え、Bが忙しければCで代用。

 そんな“代替可能なヒロイン”を三人並べても、物語としては薄いままです。

 読者が時間を使ってまで会いに来るほどの人間には、ならない」


 言いながら、自分の胸がチクリと痛む。


 過去に書いた自分の原稿にも、思い当たるフシがありすぎるからだ。


「だから正直――」


 少しだけ視線を落とし、結論を口にする。


「このプロットのままだと、“読者の時間に見合わない話”だと思います」


 ルナが、がたんと椅子から立ち上がった。


「そ、そこまで言わなくても……!」


 涙目だ。

 けど、その横で黒瀬さんが小さく頷く。


「私は賛成ね」


 黒瀬さんは、ホログラムの右上に浮かぶ印鑑アイコンに指を伸ばした。


「企画担当・ルナ。案件No.57801――審査結果は?」


「ひ、ひぃ……」


 ルナが身をすくめる。


 黒瀬さんは、その震える肩を横目に見ながら、あっさりと言った。


「――ボツ」


 赤いスタンプが、あらすじの上にどん、と押される。


【審査結果:ボツ(要再構成)】


「ひぃぃぃ……また私の採用率が……!」


「テンプレだけ積み上げても物語にはならないって、何度言えば分かるのかしら」


 黒瀬さんは額に手を当ててから、こちらを見た。


「三城」


「はい」


「コメント、悪くなかったわ」


「“ボツ経験者として”って枕詞が消えただけで、ご褒美感ありますね。ありがとうございます」


 お礼を言いつつも、胸の奥が少し軽くなる。


「ボツを食らった側の痛みを知っている人ほど、“読者の時間を無駄にしたくない”という視点を持てる。

 ここで必要なのは、その視点よ」


「……まあ、たしかに」


 やっとの思いで書き上げた原稿を、「選考結果のお知らせ」の一言でまとめて消されるあの感覚。


 あれを味わう人間を、これ以上増やしたくない――というのは、本音だ。


「では、二件目。案件No.57802」


 黒瀬さんが指を鳴らすと、また新しいプロットが開かれる。



【案件No.57802】

【テンプレ度:A】

【タイトル案:異世界スローライフ、はじめました】


【あらすじ案】

 社畜として働いていた主人公(24)は、ある日突然心臓発作で死亡。

 目覚めると、のどかな異世界の田舎村だった。

 そこには優しい村人たちと、かわいい獣耳少女と、無表情なエルフの少女がいて――。

 主人公は畑を耕し、スローライフを送りながら、たまに魔物を退治したり、村の問題を解決したりしていく。



「はい! 今度はスローライフです!」


 ルナが元気よく言う。


「前のと同じ出だしから始まってない?」


「いえいえ、こっちは“楽をして”じゃなくて、“のんびり暮らしたい”系ですから!」


「ニュアンスの違いで別ジャンル扱いしないで」


「村で畑を耕して、収穫して、おいしいご飯を食べて――。はい、癒やし!」


「獣耳とエルフはどこのスローライフにも標準装備なんだな……」


 俺は額を押さえたくなった。


「じゃあ、これは?」


 黒瀬さんが俺を見た。


「スローライフ系、嫌いではないけど――」


 そう前置きしたうえで、ホログラムを指さす。


「やっぱり、“誰でもいい”んですよね、これも」


 会議室が静かになる。


「主人公が24歳社畜である意味が、あらすじの中に一ミリもない。

 この人じゃなくても、35歳主婦でも、高校生でも、設定をいじらずに話が通ってしまう」


 画面の文字列を追いながら、言葉を続けた。


「“ここ”に生きているはずの主人公が、最初から“記号”になってしまっている。

 スローライフは“休憩時間”じゃなくて、“この人がここにいる意味を味わう時間”じゃないとダメだと思うんです」


 自分の口から出た言葉に、自分で少し驚く。


 でも、黒瀬さんは膝の上で指を組んで、静かにうなずいた。


「じゃあ、質問を変えましょう」


「?」


「このスローライフの企画、“一行で”採用理由を言ってみて」


 黒瀬さんが、ルナを見る。


「えっ、えっと……“スローライフで癒やされる”から……」


「それ、さっきのあらすじを要約しただけよね?」


「うっ……」


「“この物語でしか味わえないもの”を、一行で言ってみて」


「……」


 ルナが口をぱくぱくさせる。

 だが、言葉が出てこない。


「言えない企画は、読者にも伝わらない」


 黒瀬さんは、ホログラムに浮かぶ印鑑アイコンをもう一度タップした。


【審査結果:ボツ(コンセプト再考)】


「ひぃぃぃ……!」


 ルナが机に突っ伏した。


「――三城」


「はい」


「さっきの、“スローライフはこの人がここにいる意味を味わう時間”って言葉、忘れないでおきなさい」


「え、あ、はい」


「多分これから、何度も必要になるわ」


 その言い方が、少しだけ引っかかった。


 “これから”――何度も。


 さっきスクリーンで見た、案件No.0001の赤い点滅が頭の隅をよぎる。


 ヒロインログが欠損しつつある世界。

 代償テンプレに食われかけていて、削除ルーチンに睨まれている物語。


 あれを「スローライフ」と呼ぶかどうかは分からない。

 でも、“その世界に生きる意味を味わえるかどうか”は、きっと決定的な差になる。


「――三件目は後回し。今日はここまでにしましょう」


 黒瀬さんが、会議を切り上げた。


「えっ、まだ午前中ですよ?」


「新人にいきなりテンプレS級を二本見せたら、消化するのに時間がかかるでしょう」


「俺、ストーリー胃腸薬扱いされてません?」


 まあ、分からなくもない。


「それに――」


 黒瀬さんは立ち上がり、壁のスクリーンを見上げた。


 その端で、赤い点が、今も変わらず点滅している。


【案件No.0001】

【状態:ヒロインログ一部欠損】

【構造傾向:代償テンプレ適用リスク高】

【削除ルーチン:カウントダウン進行中】


「今日からは、そっちも並行して見る必要があるから」


 そう言って、黒瀬さんは俺のほうを振り向いた。


「三城。テンプレ転生のボツ出しは、あなたの仕事の“入口”に過ぎない」


「入口、ですか」


「そう。

 中に入れば、もっとややこしいテンプレと、もっと面倒な世界構造が待っている」


 その目は、どこか楽しんでいるようにも見えた。


「案件No.0001――ヒロインが消えかけている世界の話は、会議室ではなく別室で説明するわ。ついてきて」


「うわ、特別講義コースだ……」


「嬉しそうですね、三城さん!」


「いや、ちょっとだけ、です」


 ほんの少しだけ、本当に。


 自分のボツ経験が、誰かのボツを減らす役に立つなら――。


 ストーリー課の“入口”をくぐったばかりの俺は、

 もうひとつの扉の前に立たされようとしていた。


 ヒロインが消えかけている世界。

テンプレと削除ルーチンに挟まれている物語。


 そこに踏み込む覚悟が、自分にあるのかどうかは、まだ分からない。


 でも――。


「……行きましょうか」


 黒瀬さんの背中を追いながら、小さく息を吐いた。


 ボツだらけだった俺の物語の、その続きが、ようやくページをめくろうとしている気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る