第3話 かいごうかいちょう
ウェイルさんは兜で覆われた頭を小突きながら、少々困っているような様子だったが…開かれている道の先を指差した。
「あー…余計なお世話かもしんないけどな?この先をだいぶまっすぐ行けば、でかくはないが村がある。とりあえず今日はそこに泊まっといたほうがいいぜ」
そう言うとウェイルさんは腰のあたりから巾着を取り出し、こちらへ突き出してきた。巾着からは何やら金属音が聞こえてきた。
村?村って…どういうことだ?
「鞄に入れてとっときな」
「ほんとにいいんですか?…お金ですよね…?」
「気にすんなよ!俺は貧乏じゃねぇ」
背中を叩いてきたウェイルさんは俺にその巾着を握らせた。こんな気軽に渡してくるんだったら遠慮するのは失礼かな…
「じゃあ…ありがとうございます」
ウェイルさんへお礼を言うと、巾着を鞄へしまった。
巾着を触った感じだと、硬貨じゃないものも入っているようだった。…なにかわかったわけじゃないけど
「それとな、もし居たらだが…左腕のない女に世話焼いてもらえ。兄ちゃんの国のことも聞いとけよ」
親切にしてもってるのはわかってるんだけど…正直何言ってんだか全然わからない。
夢にしてはなんだか妙に…会話にはほとんど突飛なものがなかったし、整合性が取れてるというか、辻褄が合っているというか…それが余計に気持ち悪いし気味が悪かった。
もっと…現実味の無いことを脳が求めているのかもしれない。今までのことに現実味があったかどうか聞かれたら…頷けないけど。
「あばよ」
そうとだけ言って、ウェイルさんは他の騎士たちと赤い髪の彼女のところへ戻っていった。
…それまで全く見ていなかったからか気づかなかったが、槍を担いでいた騎士が…元々の巨体よりひとまわり、周りの木々たちと比べても倍近く巨大化していた。しかも屈んだ姿勢で。
ほしてその腕や鎧の部位に仲間たちを乗せていた。
ウェイルさんは軽々、その肩へ飛び乗っていく…
ようやく夢っぽくなってきた気がする。
「生きよ屍!また逢う日まで!」
赤い髪の彼女は槍の騎士の…握り拳の手の甲の上でこちらを見下ろし、元気に張り上げた声で別れを告げてきた。
「さ、さようなら〜!」
できる限りの大声で返事をしつつ大きく手を振ると、彼女は笑顔で手を振り返してきた。その最中に彼女が飛び上がると槍の騎士は手首を返し、彼女は手のひらへ着地してその親指に掴まった。
すると次の瞬間…巨大化した槍の騎士は大きく飛び上がり、騎士たちとともに飛び去っていってしまった。
俺と木々を風圧が襲い、危うく吹き飛ばされてしまいそうになった。木々は揺れるだけだったが…俺自身は転んで転がってしまった。
「…なんでこんなに痛いんだよ…」
なんとか立ち上がって服についた土埃を払うと…
「えっと、どうしよう…」
次に何をするべきなのかわからなくなった。
訳のわからない夢なんていい加減にさっさと覚めてほしいのに…身体の自由が利かないってこんなにつらいことだったのか…
「はぁ…」
まぁでも、ぼーっとしてるだけで目覚められるほど、夢も都合のいいものじゃないだろう…
ひとまずウェイルさんの言っていた方向へ…開けた道を進んでいき、名前も知らないが…その村へ向かうことにした。
それからも、同じような林が続くだけで代わり映えしない道を歩いていったが…空に鳥の姿も見えず、地面を歩く蟻も見つけられない。加えて建物なんて見えてくる様子もない静かすぎる道中だったが…
「……ん?」
左のほうから…走る足音と、葉っぱと葉っぱが擦れ合う時に鳴る音がこちらへ近づいてくるのを感じて歩みを止めた…
何だ…?動物か…?いくら夢でも、山のことはよく知らないし熊や猪は怖い。
何が迫っているのかわからない以上…できることは限られてる。右側の林の茂みの、見たところ一番幹の太い木の影に隠れて…様子を伺うことにした
「ふっ…!ふっ…!はっ、はぁっ…んぐっ、げほえほっ…」
左の林から飛び出てきたのは…息を荒げて走ってきた女の子だった。見た感じは俺より年下。思い切り走ってここに来たのか…その頬や額には汗が浮かんでおり…顔も赤くなっているように見える。
俺には、その子の様子が、何かから逃げてきたもののように見えた
「ふー、ふー…」
膝に手をついて息を整えたその子はつばを飲み込んで一度咳払いしたが…もう一度咳き込んでしまう。
「げほえほえほっ…!えほっげほっ」
苦しそうな様子だった。
「ねぇ!君…大丈夫?なにかあった?」
木の影に居続けられなかった俺は駆け寄って、その子へ声をかけた
「えほっ、そ、そのですねっ、キーヴァさんがっ…助けを呼んで来てっ…て、え、げほげほっ!」
助け…救助が必要な状況な人がいるってことか…?
気休めにでもなればと…彼女の背中をさすった。熱い背中は咳き込むたびに波打つ。
この様子じゃ…走って行かせるには辛そうだ。
「俺になにかできることはある?」
「助けてっ、くれるんですか…?」
「猟師とかじゃないからさ、熊とかには勝てないだろうけど、できることはさせて」
「戦わなくても大丈夫です…!おこっ…んんっ!お願いします!」
強引に咳払いで咳を止めると、その子は俺の手を引いて…左の林の中へと走り出した。
「この先で、キーヴァさんが、オオツノドリと戦ってます…!キーヴァさんに、なんとか義手を渡してほしいんです…!」
鳥…!?しかも戦う…?人間と戦おうとするなんて…ヒクイドリみたいなやつなのか…?…怖くなってきた
「わかった!手、はなして平気だよ!」
必死で走り続けるその子は気づかなかったのだろうが…両腕と片手じゃきっと出せる速度が違うし、明らかに走りにくそうだった
「はい!」
俺の手を離すと、やはり先程よりその子は早く走れるようになった。
「私じゃ、うまくできるか不安で…」
「義手、重いのっ!?」
「はい…あっ!そろそろ着きます!」
彼女はそう言うと走るのをやめて忍び足でゆっくりと歩き出す。こちらもそれに合わせた。
するとすぐに、さっきと違って道ではないが開けた場所が見える位置にたどり着く。崖の下となっているそこには…たしかに彼女の言っていた鳥はいた…
「なっ…!?」
ただし…その体長は俺の身長の三倍は確実に大きく、オオツノドリという名の通り…頭部にはサイのような白い角が生えていた。そして翼は大きく飛ぶこともできそうだ…しかも二羽もいる…
「お兄さん…!こっち…!」
右手を引かれたことで、ようやく自分が唖然としていたことを自覚し、引かれた右手のほうを向く。そして気づかれないようにと…鳥たちの様子を伺いながら、その子の後に続いていく。
「あっ…」
さっきまでは鳥の背により死角が生まれていたせいで気づかなかったが…二匹の鳥に挟まれた、一人の姿をこの目にした。
防御のためか…拳を握った右腕を構えたその人物はその子の言っていた通り、彼女は義手の必要な身体であり…たしかに、左腕の肩から下には人体のパーツは見当たらなかった。
「心配なのは私もだから…お兄さん、はやく」
「うん…」
そしてそのまま音を立てぬように歩き、さっきまでは遠かったほうの鳥の背後まで回り込むと…包帯のような布でくるまれたものを見つけられた。恐らくこれが
その義手なんだろう
「これです、キーヴァさんのほうに投げてくれれば、受け取ってもらえると思います」
「投げちゃって平気なの…?」
「はい…!もし雲の上から落としたとしても…たぶん大丈夫です」
義手みたいなものが重いってことはそれなりに硬さがあるってことだと思ったが…いや、それよりも気になるのは…
「キーバさんだっけ…?あの人も鳥も動かないけど…」
「たぶん…鳥は動くに動けないんです。それじゃあ…」
その子は置かれていたものを覆っていた白い布を解いて義手の姿を露わにした。黒色で金属のような光沢を持ったそれに、関節の節目は見当たらない。
ただその代わりに…包帯でも巻かれているかのように不規則なつなぎ目の線が表面に確認できた
「お願いします、お兄さん」
俺の目を見て、その子はそう言ってきた。ここまで来たら…もう逃げようもないだろう…
「わかった」
その子へ向けて返事すると、持っていた鞄を置いて、黒い義手へ手をかけて…掴んで動かそうとしてみたのだが、これがなかなか重い。
「ふんっ…!」
足にも腕にも力を込めて義手をなんとか抱え上げた。
…重さは大きく見積れば、20キロくらいはありそうだ。
「いけそうですか…?」
その子はその時もう、鞄を拾って抱えてくれていた。
「う、うん。…あと一個聞きたいんだけどあそこのさ、キーヴァさんって…あの鳥に勝てるの…?」
二羽の鳥の間で…今だ沈黙を破らず構えを維持するあの人物を見た後、その子に尋ねた。
「はい、それは大丈夫です。確実です」
迷いもせずにそう言ったその子の言葉を信じて頷いて…林の中から出ようと歩を進めていく。
「お気をつけて…!」
振り返る隙を作りたくなかったので…前を向いたまま一度頷く。
たぶん、興奮しているし…恐怖も感じているんだろう。体中の皮膚に滲み出てきて…伝っていく汗がいつもの何倍も冷たく感じる。
これが冷や汗なのかどうか、今は考えないことにした
「……」
あと一歩で林から踏み出してしまうところで…立ち止まってしまった。
肉食の猛獣が涎を垂らして餌を待っている檻の中に入ろうとする…動物園の飼育員の気持ちが、今なら理解できそうな気がする。
飲み込んだつばが熱い。義手を抱える腕へ入る力が強まる。
気づいたらいても立ってもいられなくなって…林の中から飛び出して、駆け出していた。
立ち止まった時にはすでに鳥の背後を通り過ぎていた。腕の中の義手を必要とする人物は、もうこちらを振り向いていた。険しい表情が俺の目に映った
「えっ!?何してるの!?逃げて!」
その言葉のあと…頭上から聞こえる不快な高音に気づいて顔を上げた。
まぶたなんてありそうにもない二つの丸い目玉と黒いくちばし…そして巨大な白い角が、その全てが…俺をその先端で捉えていた。
「ギギギョギョーッ!」
黒いくちばしを開いて真っ赤な舌をさらけ出して…耳を裂くような叫び声を発した。
怯えでうまく機能しなくなった腕が…義手を落としかけてしまう。
しかし咄嗟になんとか拾い上げ、手首の辺りを両手で掴み取ると…そのまま引きずるようにして鳥から逃げ出してしまった…
渡さないと…!いや投げないと…!逃げなきゃ…!
そんな逃げの思考だけで、俺の脳は埋め尽くされた。
「あっ、かっ…あぁあああ!」
立ち止まったあとは…それが必要な人のことなんて気にかけないで、出せるだけの力を込めて義手を思い切り放り投げた。遠心力で回転をかけられた義手は鳥の頭部へ向かっていったが…掠ることもなく躱されてしまった。
そして鳥はそのまま…こっちに角を向けて突進してくる。俺はもう…向かってくるその角をただ待っていることしかできなかった。
だから、目を閉じた。もうお目覚めなのかと思うと、そこまで嫌な気分でもなかった。
「ふうっ!」
突如響いた気合の掛け声と、そのあとに響いた鈍い音に目を開いた時には鳥はすでに…こちらに向かってきてはいなかった。それどころか、右の崖に叩きつけられて…ただ苦しそうに呻いていた。
「逃げろって言ったでしょ?」
その後に俺の目の前に着地してきたのは、手をつなぐように義手を持った…左腕のない人物だった。
真っ黒な髪を靡かせる…凛々しい顔をして、冷たい表情でこちらを見つめる女性だった。
いやそれより…まさか、義手で鳥を殴り飛ばしたのか…!?
「無謀にも程があるよ、君」
肩の下へ左腕を装着した彼女は冷たい表情を崩して微笑みかけてくる。
「ま、それはそれとして…」
彼女に接続された義手はつなぎ目から…漏れ出すように、妖しく見える紫色の光を覗かせていた。
「これ、ありがとね」
そして指で握って開いてを二回繰り返すと、肩を使って腕を振り回した。そんな様子の彼女の横では…ふらつきながらも鳥が立ち上がり始めていた。
「ビ…ビギギ……」
「ゲッ、ゲゴコッ…!」
殴られたほうの鳥は立ち上がると…もう一羽の鳥のほうへ身を寄せるように近寄っていった。殴られていないほうの鳥はと言うと…殴られたほうの鳥を庇うように、仲間を自分の背後に回らせていた。
「君も離れないでね」
目の前の彼女の言うとおりにするために、一応拳を握って身構えてはみたが…結果的に言うと、俺がそんなことをする必要はなかった。
彼女が義手の左腕を横へ伸ばすと、奇妙なことにそれはつなぎ目を広げて、解かれた包帯のように…ぐんぐんと伸びていき、蛇のようなうねりを持って…頭上のほうまで伸びていき、見上げるほどの長さとなっていた。
彼女の脇の下から覗いてわかったが、義手の開いた手のひらは、二羽の鳥のほうへ向いていた。
無機物だろうに…生きているようだった
「うわぁ……」
驚きのあまり、吐き出すような声が漏れてしまう。
しかし…俺が本当に驚くべき状況はその次に訪れた。
鳥のほうを向いた彼女の義手は、手首を返して親指と中指を腹どうしでくっつけると…指を鳴らした。
そして指が鳴らされるのとほぼ同時に…俺は金属が擦れ合うような音も耳にした
するとその瞬間…鳴らした指から火花が散って火種となり…義手の指の末端から手首にかけてまでが一瞬で燃え上がり、やがて伸びている腕の全体にすら燃え移っていった。
「ひっ…!」
驚きのあまり後退ってしまう…
離れるなとは言われたが…こんなに熱そうで燃え移ってきそうなのが近くにあって逃げるなってほうが無理だ…!
「お兄さんこっちー!」
林のほうから慌てた様子で手を振って、その子は大声でこっちに呼びかけていた。
俺は火が怖かったので全速力で林のほうへ駆け込み、目についた木の後ろに背中を預けて隠れると…頭を抱えて縮こまった。
「逃げ足はやいですね…」
「きぇあっ!?」
いきなり耳のそばで聞こえた声に驚いて腰を抜かしてしまい…咄嗟に木の幹に頬をくっつけて抱きついていた。
「うわぁ…」
声のしたほうへ目を見てみると…その先にいたその子は、いかにも残念なものを見てしまったと言わんばかりの眼差しをしていて…口元は苦笑いで歪んでいた。
自然と、木にしがみついていた両腕の力が抜けていき…俺はその子の顔から目をそらしていた
「ちょっと!いじけてないで見ててくださいよ」
その子に肩を掴まれて促されて…俺がさっきまでいた、ニ羽の鳥と真っ黒な髪の彼女のほうを見ると…
「そ〜れえ!」
彼女が伸ばされたうえに燃え盛っている左腕を掛け声とともにムチのように激しく振り回して攻撃の体勢をとると…鳥たちは慌てふためいて怯えだす。
あんなのが目の前にいたら怖くてたまんないよな…
「逃げないと…焼いて食べちゃうぞーっ!」
そして利き手のように構えられた燃え盛る義手は、水面を泳ぐ蛇のようにしなやかにうねりながら…高速で鳥たちへと迫っていった。
「ギ、ギギョーッ!」
「ゲゲーッ!」
鳥たちは義手から逃げようと必死で走った後…両の翼を羽ばたかせて、上空へ飛んで逃げ去っていく。
「ふ〜…」
鳥たちが逃げていったのを確認してため息をついた…すると彼女の義手の左腕に燃え盛っていた炎はみるみるうちに鎮まっていき…巻き戻されるように元の長さへ、関節の形が確認できる形へと戻っていった。
「よし終わり!」
隣に屈んでいたその子は立ち上がって、鳥を追い払った彼女のほうへと駆け寄っていく。
鞄は抱えたまま…
「怪我はない?キーヴァさん」
「うん、私は大丈夫だけど」
黒い髪の…キーヴァさん…?がこっちを向いたので…彼女と目があってしまった。
「君は平気ー?」
「は、はい」
呼びかけられたので立ち上がって返事をすると…一度頷き、微笑んだ彼女へ手招きされた。義手の左腕を燃やしていた人とは思えないほど、柔らかでにこやかな笑顔だった。
林の中から出ていって二人へ歩み寄ると、その子から鞄を返される。
「ありがと」
「どういたしまして…」
鞄を右手で受け取ってお礼を言うと、その子は口の端を釣り上げた笑みを浮かべた。
こんなことを言うのはなんだけど…キーヴァさんとは違ってにやりとした嫌味な笑顔だった
「助かったよ〜…あいつらいきなり戻ってきたもんだからさぁ、ミナちゃん逃がすので手一杯で」
目を細くして眉を八の字にした顔で俺のほうを向いてそう言いつつ…キーヴァさんは左腕の義手を外すと、バスケットボールの選手が片手間でやるように…右手の指の先っちょでそれを回転させ始めた。
「やっぱり腕は二本揃ってないと調整が大変でさ。困ったもんだよね…」
…いろいろと理解できてないので…この人はきっと少林寺拳法とか、暗殺拳だかの拳法を極めてたりするんだろうと適当に納得するしかなかった…。
あの義手を片手の人差し指で回せる筋肉量なら…俺のの十倍くらいはあるんじゃないか…?
「は、はぁ…そうなんですね」
「あれ〜?お兄さんわかってない顔じゃ〜ん」
「わかる人のほうが少ないんじゃない…?」
俺の腕を人差し指でつつきながら…にやにやした顔で見つめてくるその子。なんだか…ずっと見てると腹が立ってきそうな笑顔だった
「それよりさ、なんであんな…でっかい鳥に襲われてたの?」
「お兄さんオオツノドリ見たの初めて?」
「うん」
見たことも聞いたこともない。もちろんすぐに頷いた。
「あいつらがね、私たちの村に来てくれた人たちを襲って持ち物をとっていっちゃったの。だから取り返しに来たんだけど、巣穴に着いたら…ここからはさっきキーヴァさんの言ったとおりだね」
鳥が人からものを盗むというのはあまり珍しい話じゃ
ないが…それはカラスやカモメとかの小さい種類だし、盗まれるのはだいたい食べ物…あんなでかい鳥じゃ当てはめられないよな…むしろ、人のほうが食われそうだ。
「巣穴ってどこにあるの?」
その子は腕を組んで…崖の方へ目配せした。なのでそちらへ視線を向けると…先の見えない洞穴があった。
「ああ…!気づかなかった」
「ちょうど良いからさ、まだ手伝ってよお兄さん」
「まぁ、いいよ」
付き合ってもいいか…夢の中だし、どうせまだ目覚められない。
「んふふっ」
にやにやした笑い顔を見せたその子は…またこちらの手を引いてくる。
割と…愛嬌のある感じの子なのかもしれない
…そして、そのまま巣穴に入っていってしまった。
暗くて中の様子は何も見えないしわからない。
「これやばいんじゃない…?灯りはないの?」
その子のほうを見ようとしても…どこにいるのかわからず、ただ首を動かしているだけになってしまっていると…
「ひゅっ」
口から息を吹き出すような音が聞こえると…目の前でいきなり明るく赤い灯火が現れて、その奥で…
「ぎゃあああっ!」
闇の中で唯一、その灯火に照らされて浮かび上がったのは…真っ白な何者かの…口の端を釣り上げて歯を見せた不気味な笑顔だった。
俺は喉の奥から、恐怖の叫び声をあげてしまった。
「ちょっとお兄さん…私なんだけど」
灯火が右のほうへずれていくと…不機嫌そうなその子の顔が目に入った。
灯火の下にはその子の手のひらがある。よく見えないが…ろうそくでも使ったのかな。
…本気でびっくりした
「なんかあったー!?大丈夫ー!?」
洞穴の外からキーヴァさんの心配の声が聞こえてくる。声のしたほう、外へ顔を向けると、やはりキーヴァさんはこっちへ駆け寄ってきていた。
「大丈夫ー!お兄さんの肝が小さいだけーっ!」
その子が大声でそう発すると…今まさに洞穴に入ろうという所まで辿り着いていたキーヴァさんは立ち止まった。
「え、え〜?ん〜…平気?」
「はい!…その、すいません」
「そ、そっか。わかったよ」
俺が返事を返すと…キーヴァさんは白い布でくるまれたもの…恐らく義手であろうそれを右手で持って肩に担いでいたが、それを地面に置いてその場へ腰を下ろし、あぐらをかいていた
「あったあった!お兄さん、これ持って」
呼ばれたので再び洞穴のほうへ顔を向けると、その子は火を指先へと移動させて…何やら一つの袋を照らしていた。その周りはよく見る鳥の巣のと同じく何本もの枝が編まれたように組まれていて…その袋を囲んでいる。
カラスも光るものとかを盗むらしいし…似たような習性を持っていたのだろうか?
「うん」
袋につながれた紐を引っ張って重さを確認してみると…さっきの義手ほどは重くはなさそうだった。鞄の持ち手を腕にかけると、そのまま引っ張りあげて、両腕で抱きかかえるようにして持った。
「びびりのお兄さんおいてっちゃうよ〜♪」
指先に火をつけたまま洞穴の外へ走っていくその子…転んだりしたら危ないし、なにより暗いから…
…いや、俺も出よう。止めてる時間なんてない。
暗闇に対する恐怖心が、俺の足を突き動かした。
「うわっ!」
驚きの声をあげるその子をそのまま追い越して…洞穴の外へと逃げ出した。
するといつの間にかキーヴァさんは立っており、俺の肩へ右手を置いてきた。
「どうした…!?そんな必死に…」
「逃げました」
「逃げた?なにから?…ミナちゃんは!?」
洞穴のほうを指差して目を向けると…俺のすぐ隣にはもうその子が立っており、腕組みをして…左手の人差し指で自分の腕をつついていた。
またあのにやけた笑みを浮かべて…
「なんだよもう…紛らわしいこと言わないでよ」
キーヴァさんは顔を上に向けてため息をつくと…つぎに下を向いて胸を撫でおろしていた。
「帰ろ〜、キーヴァさん」
「ああうん。荷物は無事だった?」
「どうだった?」
キーヴァさんに続いて、その子もこっちを見て尋ねてきたのだが、俺にはなにもわからない。
一応…袋にあまり汚れは見えなかったが…
「俺はわかんないですよ…?」
ぎこちない感じになってしまったが、そう返事すると…キーヴァさんは目を線にして困り眉でほっぺたを掻くと、義手を拾い上げて肩に担いだ。
「そりゃそうだね、帰ってから調べないと」
それから洞穴から離れて林を出て、開けた道へ戻ってきた所で、キーヴァさんは歩みを止めてこっちを見てきた。
「そういや…君って何の用でここにいたの?」
何の用か…どう答えればいい…?
気づいたらここにいました…なんて言ったら怪しまれるだけだし…やっぱり夢の中ってめんどくさい…
正直になるかはわからないが…この先の村に行こうとしていたと伝えようか…
「迷子の迷子のお兄さん?」
「それは違う…って信じたいんだけど…」
相変わらずにやにやした顔でこちらの顔を覗き込んでくるその子。
人の顔見てるだけなのに…なんでそんな楽しそうな顔ができるんだ…?
「この道の先に村があるって聞いて…行こうと思ってたら、この子に会ったんです」
「私の名前、ミナっていうんだ。覚えていいよ」
「ミナさん?」
「別の意味みたいに聞こえるから…さんはつけないでいいよ、ちゃんにして」
ミナちゃん…に頷くと、ミナちゃんはこちらへ頷き返してきた。
「なんだ丁度いいじゃん!一緒に行こっか」
キーヴァさんは明るくそう提案してくれた。
「この先にお住まいなんですか?」
「そうそう!この先の村にね」
するとミナちゃんはいきなり…キーヴァさんの左側からその胴へしがみつくように抱きついた。
仲が良いのはいいことだろうけど…歩くには流石に重いだろう。
「えっと…ミナちゃん?なにしてるの」
「私はまだうまく飛べないし、キーヴァさんに運んでもらうんだよ」
「え?飛ぶ?はは、なに言ってんの」
疲れたからってそんな冗談言われても困らせるだけじゃないかと…そう思ったので笑いかけると、キーヴァさんは不思議そうな顔で聞いてきた。
「君は飛べる?」
「そんなわけないじゃないですか…飛べませんよ」
「じゃあ、こっち来な」
ミナちゃんが右側へ移動すると…キーヴァさんは白い布を解いて義手を左腕へ装着する。今度は先程とは違って、隙間から光が漏れ出てこなかった。
「お兄さん早く〜」
ミナちゃんに急かされたので一応二人のほうへ歩み寄ると…義手がこっちへ手招きしてきた。
「荷物は預かるから、ちゃんと掴まっててよ」
義手は俺から鞄と白い袋を受け取ってくれた。
「は、はい…」
まぁたしかに…さっきのを見せられたら、ほんとに飛べるんじゃないかとも思えてきたので…キーヴァさんの左側へ立つ。すると義手がジェットコースターの安全バーのように俺の胴を抑えてくれた。
力は強かったが…苦しいほどのものでもなかった。
「それじゃいくぞー!口開けないで歯を食いしばってー!」
キーヴァさんの掛け声に思わず右のほうを見ると、ミナちゃんはこっちを見て…白い歯を見せてきた。
「いー!」
「いー…」
ミナちゃんはこちらへにこやかな顔を見せると…目をつむってしまう。
「いっちぃ…!にーのぉ!さぁーんっ!」
キーヴァさんの掛け声が耳を突く。
俺も合わせて、歯を力の限り食いしばって目を瞑った。
…するとその直後、足の裏が地面を感じなくなってしまい、脳天もしくはつむじのほう…頭が風を切っているのを感じる。
咄嗟に義手を掴んだ両手に思い切り力を込めた。
そして一度動きが停止したのを感じて…
再発進を感じた今度は顔面に風圧を感じて首を下のほうへ曲げる。足はほとんど宙ぶらりんな状態だろう。
…もうなにも考えたくないくらい怖い!けっこうスピードは出てると思う…!
自転車でここまでの風は感じたことはない…。
…自動車の窓から顔を出したことは、無かったかな…
「もう目は開けてもいいからね」
「あっははーっ!さいこー!」
声からして…たぶんミナちゃんの目は開いているんだろう。
怖いもの知らずなのか、こういう状況に慣れてるのか、今じゃ見当はつきそうにない…
「お兄さんもしかして飛ぶの初めてー!?見ないでいいのー!?」
聞こえやすいような大声でミナちゃんはそう言ってくるが…正直言って大きなお世話だ!
「もったいないしー!情けないよー!」
聴きたくないので耳を覆うと…義手から手を離したせいで身体が揺れて、思わず目を開いてしまう。
「おぉおおぉおお…」
俺の身長の何倍もあるだろう木々たちが…足の下では小さく揃って並んでいる。
それと、まだ遠くのほうなのだろうが、いくつか建造物があるのを確認できた。あれが村か…?
…たとえ飛行機に乗ったとしても、こんな景色は見れないだろう。…スカイダイビングはしたことないからら知らない。
けど自覚があるくらい、俺はリスク無しの安定を求めたい性格なんだ…!
「すぅっ…」
思い切り息を吸い込むと…顔面を両の手のひらで思い切り叩きつけて…顔を、目を手で覆った。
「ぷふっ…!頑張ったねーお兄さーん!」
皮肉めいた賛辞を受け取ったので…目を覆ったまま頷いた。
そのまま何分たったのかはわからないが…少しの間、手で目を覆ったままの飛行体験が続いた後…つま先が何かに触れる感覚型を感じて、咄嗟に顔を上げることとなった。
「お二人様〜到着いたしました〜」
「あ〜楽しかったっ!」
右から聞こえた声を信用して…手から顔を離すと…そこは開けた土地のような場所で、住宅のような建物がいくつか目に入った。
「よっと」
ミナちゃんは地面に降りて…俺の前のほうで立ち止まった。彼女の足元を見た後、自分の足元へ目をやった。
…足に触れていたのが地面だったことに安心して、下を向いたままため息を吐き出した。
「着いたってばお兄さん!…あれ?死んじゃったのかな、お口利けないの?」
「大丈夫?酔っちゃった?」
返事を忘れていたせいか…嫌味ったらしい猫なで声と心配の言葉が聞こえてきた
「はい…大丈夫です」
足の裏をちゃんと地面につけた後…義手が立ち上がらせてくれた。
「ありがとうございました」
「はいはい」
礼を言うと、義手がこちらへ鞄を手渡してくれた。
…足元に地面がある安心感も再確認できたが、その地が見知らぬ場所というのはなかなか緊張感があって、不思議な感覚だった。
辺りを見渡してみれば…現代の建築とは思えないようなつくりの建物たちが並んでいる。看板のようなものもいくつか見えたが…赤い髪の彼女からもらった書状の字と同じく、見たこともないものだった。
それらはみな…あくまで映画やゲームなどの物語でなら…もしかしたら目にすることもあるかもしれないような形状だった。
「じゃ、私はこれ返してこないとだから」
「わかったー」
キーヴァさんは義手で白い袋を持って、建物が多い村の奥のほうへと行ってしまった。
俺は…これからどうしよう…?
この子…ミナちゃんにも帰る場所はあるだろうし、誰かに聞いてみるしかないだろうな…いや、何聞けばいいんだ……?
「お家行こっかお兄さん」
「え…?」
「ん?キーヴァさん待ってないとじゃん、はぐれないでね〜」
流し目でこっちを見つめて…わざとらしい猫なで声でそう言って、ミナちゃんはどこかへと軽い足取りで歩き出した。たしかに…キーヴァさんに聞けばいい話だよな。
「…わかったよ」
一応返事して、ミナちゃんの後に続いた。
前を歩くその子が立ち止まったので…同じく足取りを止めた。目の前にあったのは…なかなか立派な、恐らくは一軒家だった。
「お兄さん、ワンちゃん平気だよね?一緒に遊んでよ」
「…犬ってことでいいんだよね?俺よりでかかったりしない…?」
今までのこともあったので…確認の必要は大いにある。
もし俺よりでかくて、ピットブルみたいに顔も恐ろしいようなのが出てきたら…最悪の場合、俺は小便を漏らす。…きっとだ。
「ワンちゃんも怖いんだ〜?」
「そりゃあ…自分よりでかかったらね、自分よりでかかったらハエでも怖いよ」
「かっこわるぅ」
それだけ言って、ミナちゃんはにやけた口を指を伸ばした右手で隠した。
そこまで長い会話は交わしていないのにも関わらず、気づけば二言目にはもう罵られている気がする。
俺が言えたことじゃないが…そういう言葉を使いたくなる年頃なのかもしれないな。
「ペロ〜!」
ミナちゃんは口を手に当てると遠くに聞こえるような大きな声でそう呼んだ。
犬の名前か?
「うぉんっ!うぉんっ!」
吠える声のしたほうへ目をやると…住宅地などでよく貸し出されているコンテナくらいの大きさの小屋から、狼みたいな犬が飛び出してきてミナちゃんへ飛びつき、その顔を舌で舐め始めた。
飛びつかれたミナちゃんは後ろへ尻もちをつくように座り込んで、犬に頬をくっつけてぎゅっと抱きしめると…柔らかそうな毛に覆われた顔から胴体にかけてをくすぐるようにわしゃわしゃし始めた。
俺よりは大きくなかったが…普通にけっこうでかいように感じる。
「あ〜よしよしよし、私も会いたかったよ〜」
ここまでずっと憎たらしい顔…というより表情を見せてきたこの子が目の前でこんなに犬と仲が良さそうにしているのを見ると、なんだか微笑ましく思えてきた。
「あれ?そういえばお兄さ、ちょ、ちょっとやめてってばっあはははっ!」
犬…ペロはミナちゃんが喋っている間でも構わず顔を舐めるのをやめないので、ミナちゃんは困り眉でニコニコ笑っていた。
「ペロ…だっけ?元気な子だね」
「うんうんそうなの、いい子だよ〜。で、お兄さんお名前は?」
幸せそうな顔で犬を撫でながら、ミナちゃんは俺に名前を聞いてきた。
「俺は諸星光って名前なんだ」
「モロボシヒカリ?へ〜、長いお名前」
ミナちゃんは名字と名前を区切らない発音で俺の名字と名前を読んでいた…よくわからないが、文化とかも違うんだろうか?妙に凝っててめんどくさい夢だな…
「名前は光で、名字が諸星だよ」
「ん…?ヒカリかぁ。へぇ…なんかかわいいね」
「ありがとう。ミナちゃんもかわいいし、良い名前だと思うよ」
するとミナちゃんはペロを足の間に座らせると自分にもたれかからせて、ペロの二本の前足を両手で持った。ペロはなかなか大きい犬なので…ミナちゃんの顔は見えなくなってしまう…
ペットを使った人形遊び。ネットやテレビとかでもたまに見るやつだ。
「ねえねえ僕は〜?」
ペロの右の前足がくいくいと上下に動かされた。
…オスだったのか。
「ペロくんでしょ、さっき聞いたよ」
「あったり〜!よくできましたぁ」
今度は右の前足がくるくると円を描いて動かされた。
その間ペロはこちらの顔を真っ黒でまんまるな瞳で静かに見つめてくる。
こっちは大人しくっていい子なんだろう。
「ねえねえお兄さん、そっち行っていい〜?」
「もちろんいいよ、さあおいで」
犬を触ったことなんてないけど…たぶん大人しい子だし、噛み付いたりはしてこないだろう。
両腕を広げて待つことにした。
「…あれ?」
待っていてもミナちゃんはペロの前足を離していないし、ペロはたまに口を動かして舌を覗かせるだけで、ただただこっちを見たままだ。
「…来てくれないの?」
「なぁに〜?お兄さんさびしんぼ〜?」
ペロの背中から顔を出して俺にそう言ってくるミナちゃんは…やはりにやにやした感じで、いかにもこちらを小馬鹿にしていそうな笑顔を見せていた。
「来るって言ったのは私でーすペロじゃありませーんワンちゃんは言葉喋れませーん」
当たり前のことを言われているだけなのにここまで腹が立っているのは…きっとこの子のにやけ面のせいだ。
「じゃあミナちゃんでいいからおいでよ」
「え〜?どうしよっかペロぉ」
ミナちゃんがペロの前足を放すと、ペロは彼女のほうへ顔を向けて彼女を見つめた。
…犬ってここまで人の言うことを聞くものなのか…知らなかったな。
「うぉふっ」
「あー、ざんねんだねお兄さん、ペロお兄さんのとこ行きたくないって」
弱めに短く吠えたペロはミナちゃんの周りを円を描くように歩き始めた。
「え〜…本当に?」
「うん、ペロはウソつかないもんねぇ」
ミナちゃんがペロの胴を抱き寄せると…ペロは座って
その顔を彼女の顔へ近づけた。
人で言う頬のあたりや背中をわしゃわしゃかきまわされているペロは目を細めて…彼女の顔を舐めている。
こんなに利口そうな犬だったら俺でも平気なんじゃないか…?
「じゃあ俺が行くから」
間抜けに広げていた腕を直して、ペロとミナちゃんのほうへ歩み始めた。
噛みつかれるのは流石に怖いけど…
「ん〜?なにー?」
数歩歩み寄ったところで、彼女はやっとこちらに気づく。
「ちょっと!お兄さんだめだよ…!」
ミナちゃんは目を丸くした、驚いた顔をして立ち上がった。ペロは彼女の顔を見上げていたが…こっちに気づいて顔を見てきた。
「えっ?」
「あっ…ほ、ほら!知らない人だし、ペロもびっくりしちゃうかもだから、ねぇペロ?」
ペロはミナちゃんにそう言われると…俺に向かって走ってきた。
「うぉんっ!うぉんっ!」
前足を突き出し、抱きつくように飛びかかってきたペロの迫力は凄まじく…気を抜くと押し倒されてしまいそうだった。
「うおぉおおおっ…!」
ペロは前足を離すと…驚いて後退った俺の周りをさっきと同じようにぐるぐると走り回り始めた。
俺が見かけてきた飼い犬のほとんどと比べ物にならないほどの…狼のような大きさのペロは走るのも早く、目で追いかけようとすると…
「めっ、目が回る…!?」
目が回ってくらくらし始めて…片膝を地につけてしまった。するとペロはこちらの顔を覗き込んできた。
真っ黒な瞳に俺の顔が映ったかと思うと…頬を湿っぽく、生暖かいペロの舌が撫でた。
「んわはっ」
味わったことのない感触に驚いて思わず声を漏らしてしまった。ペロは地面についた膝のほうに前足を置いて、舌を出して口で呼吸しながらこっちを見ている。
吠えもしないし噛みつきもしないし…やっぱりお利口な子なんだろうか
「こっこらペロっ!こっちおいで!」
ミナちゃんの声を聞いたペロはすぐさま彼女のほうへ走っていった。
「ダメって言ってるでしょぐるぐるしちゃあ」
「くん…」
「だめだからね!」
ミナちゃんがペロをそう叱ると、ペロは悲しそうに鳴いていた。
普通に遊ばれてるのかと思っていたが…イタズラされてるだけだったらしい。
「ごめんねお兄さん、ペロってけっこういたずらっ子なの」
「そうなんだ。似ちゃったのかな?」
「ん?誰に?」
いかにも不思議そうな顔をしてとぼけられたので、説明してあげることにした。
「ところでさ、ペロの飼い主って誰なの?」
「子犬の頃にキーヴァさんが連れてきたんだけど…キーヴァさんより私にべったりだよ、ペロ」
「やっぱり」
「…お兄さん、男の人はハッキリしてたほうがかっこいいと思うよ」
ここまで惨めで恥ずかしい気持ちになったのは実に久しぶりだ。
小学生のころ…どうせバレないのだろうとたかをくくった特殊なピンポンダッシュに失敗し…あろうことかそのお宅にお邪魔になり、そ家の方にお菓子とオレンジジュースをいただいた時のあの情動を思い出す。
あのジュース、俺には酸味が強すぎた。
「生意気でもかわいい子はいるんだなって思ったんだ」
「聞いたペロ!?ほめてもらったよ〜よかったね〜!」
「くんぅ」
ミナちゃんはかがんでペロの胴に左腕を回して右手で頬を掻き回した。
ペロはミナちゃんに触られるととても嬉しそうに目を細める。血のつながりのない家族を知らない身としてはなかなか不思議で…感覚としては感動に近いものを覚えた。
…うまくごまかされた。
「よーしペロ、ボール持ってきて」
「わふっ」
返事するように一度吠えるとペロは出てきた小屋へ走り込んでいった。
「言うことがわかってるのかな」
あまりによく言うことを聞いているものなので思わず尋ねてしまった。
「いい子なんだよ」
「やっぱりちゃんとしつけはしたの?」
「しつけも大事だけどね」
そこでミナちゃんは屈んでいた姿勢から立ち上がった。
「飼い主に似るんじゃない?」
ほっぺたに右手の人差し指を当てて、ミナちゃんは得意げな顔をこちらへ見せてきた。
「ふーん…」
「なにその顔〜」
そんな短い会話の間に、ボールを咥えたペロが小屋から飛び出してこちらへやってきた。
「はっ、はっ」
口がボールで塞がって吠えられないからか、ペロはミナちゃんのほうを見て催促のためか、首を上下に振っている。
「ちょーだい」
ミナちゃんは屈んでペロに手のひらを見せると、ペロはそこへ咥えていたボールを置いて彼女へ渡した。
「そりゃーっ!」
気合の声を上げたミナちゃんはボールを思い切り放り投げた。ボールは頭上へと舞い上がり、スピードもついているようだった。
投げる際の姿勢も肩を使って両足を踏ん張ったもので…正直、手加減が感じられなかった。
「ハッ!」
だがペロもペロで元気一杯。まだ地面には着きそうにないのにも関わらず、頭上のボールへ向かって走り出していた。
彼はその巨体でありながら四つの足を素早く動かし…かなりのスピードでボールを追跡する。
人の二倍も足があるだけのことはあるな…
「お兄さん!」
「えっ?ん?」
「見ててよ〜…」
ミナちゃんはにんまりとした表情の顔を俺に向けると、武道家が構えるように…間合いを測るための左手の人差し指をボールへ伸ばし、右腕で利きをとった。右手の指はパッと開いていた。
「ふぅっ!」
高度を失って地面へ近づいていくボールに向けて、ミナちゃんが指を開いた右手を突き出したその瞬間…突如として突風が吹き抜けていき、ボールを吹き飛ばして再び力を乗せたのだった。
「つかんだっ」
そしてミナちゃんは右手を一度握って人差し指と中指を立てて…その右手を縦横無尽に動かしていった。
するとボールは彼女の指先に従った方向へと曲がっていき、ペロも方向を自在に変えてどんどんスピードを上げてボールを追いかける。
ドラゴンジュエルのヤンチャがこんなことしてた気がする…!
「ふっふふふ…」
ミナちゃんは妖しく笑いながら…俺の前方へと歩いていく。
またなにか他の技を見せてくれるのか…?
「くらええ!」
そう叫んだミナちゃんはこちらに向けて右手を突き出し、人差し指と中指の先を突きつけてきた。
…ドラゴンジュエルでもかなり名の知れた…ビッコロの魔壊光死砲を食らった気分だ。
いや待てよ、ミナちゃんの指がこっちを向いたってことは…
「なっ!?」
向こうでペロが追いかけ回していたボールが、こちらめがけて突き進んできた!
どうする…?ボールを避けたところでミナちゃんが操ってるんだし…それに逃げたとしても俺を追跡させられるんだ…受け止めてキャッチするしかない…!
鞄を手放し、右手の甲に左手の手のひらを重ねて構えをとり、なんとか待ち構えると運が良かったのか、手のひらにボールは直撃した!
「おおおぉおっ…!?」
俺の手のひらに直撃したボールのもつ力は非常に奇妙なものだった。
ほんの少しも回転のかかっていない豪速球は俺の手のひらを押し飛ばそうとしているかのように…全く向きも変えずにブレずに突き進む力を緩めない…!
恐らく…このまま掴んだとしてもさっきみたいに縦横無尽に暴れまわるだけだろう…どうすりゃいいんだ!?
「ぎぃいっ…」
…両手でボールを掴んで、地面に叩きつけるしかない!
力をなんとか反らして受け流す…。激流を制するは静水。重要なのは力を使うタイミングのはずだ。
「ふんっ…!」
力を込めた手と手でボールを挟み込んで、完全にそれを拘束しきったと思ったその時…
「甘いよ」
ミナちゃんのその声を耳にして、咄嗟に彼女のほうへ視線を移してしまった。
彼女は右手の手首を返した。こちらには手の甲を見せて、突き出された二指を斜め上の空へと向けたのだった。
俺の両手が捉えていた豪速球は、両手をすり抜けていくと…俺の額に鋭い痛みを残して頭上へと飛び去っていった。
「かっ」
脳に走った衝撃のせいか、全身の力が抜けて足元がぐらついた。
「あだだたっ…」
衝撃に続いた痛みに額を手で抑えて唸っていると…ミナちゃんが俺の顔を覗き込んできた。
「あれ…?そんなに痛かった?」
「こっ…これで勝ったと思うなよ…」
「えへへ…ごめん、楽しくなっちゃって」
俺が負け惜しみのセリフを言った後、一歩後ろへ下がったミナちゃんは意外にも…申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。
「ま、いいよ?楽しかったし」
デコを手ではらうと、ミナちゃんへそう返事した。
すると今度は頭のてっぺんのあたりになにかが落ちてきた。
…驚きはしたが、すぐになにが落ちたか確認するため頭を覆う髪を触る。手にはなにも付着しなかった…鳥の糞ではないようだ。とりあえずひと安心。
「お兄さん、やっぱり面白い顔してるよね」
今度は下のほうを見て、なにが落ちてきたのか探すと…先程俺の額を直撃したボールが見つけられた。
ミナちゃんに顔が面白いと…恐らく小馬鹿にされたのは、ちょうどボールを拾うためにしゃがんだ時だった。
「そう?」
「うん。思ったこととかが顔に出てるよ、たぶん」
ミナちゃんに受けた指摘が身に覚えのないものだったので返答に困っていると…ミナちゃんはまた俺の顔を覗き込んできた。
またまたにやけた笑顔だったが…ここまでくるとなんだか愛着が湧いてくる。人の笑顔こそオンリーワン…個々を尊重するべきだな。
「わふっ」
するとペロが軽く吠える声がしたのでその方を向くと、舌を出して呼吸するペロが、俺の手にあるボールを見ていた。
ミナちゃんはペロの左隣にしゃがむと、左耳に手を当てた。
「くぅん…」
ペロの弱々しい鳴き声に、ミナちゃんは頷きながら耳を傾けていた。
息の合うミナちゃんとペロを見ていると…なんだか優しい気持ちになる。
「お兄さんと遊びたいんだって」
「そうなのかペロ〜?」
ペロのほうにボールを突き出すと、ペロは行儀よくおすわりの姿勢をとる。ベロを出して呼吸しているのはそのままだった。
遊んでやろう。
「俺は飼い主のように甘くはないぞ」
突き出していたボールを左手に持って思い切り左腕をぐるぐる回す。続いて俺の正面に落ちるように上向きにボールを投げて、それを右手でキャッチしてから続けて右腕を回した。
その間…おすわりから通常の四つん這いの姿勢に戻っていたペロはずっとボールに釘付けで、首を動かしてまでボールを目で追いかけていた。
よし…これならひっかかるな。
「つぁああーっ!」
左足を重心として踏ん張らせて…右足で一歩踏み込んだ瞬間、ペロの後方にめがけて右腕を思い切り振りかぶった。
俺が腕を振りかぶった瞬間…ペロは勢いよく駆け出していく。
…しめた!
「ちょろいもんだぜ…」
見切り発車で走り出したペロにばれないよう…右腕を背中のほうへ曲げて、手にしたボールを背後に隠す。
こんなにうまくいくとは思わなかった。
まぁ…犬にしては、賢かっただけのことだというわけだ。
「ふっ」
「うわぁ…」
勝利の余韻に浸っているうちに…いつの間にかミナちゃんが横の方でこちらを見つめていた。
…いかにも嘲りや軽蔑の込められていそうな目つきをして。
「なんだいその目は」
「べっつにぃ」
それだけ言ってミナちゃんはペロのほうを向いたが…なにかに驚いて慌てたような顔をして、すぐにこちらへ振り返ってきた。
「お兄さん、危ない!」
「え?」
ペロの走っていったほうへ目を向けると、ペロはすごい勢いで引き返してきており…至近距離まで迫ってきていた。
ペロの体長も相まって、その迫力は凄まじい…
「うおおっ!」
飛びついてくるのかと踏ん張りが聞くよう足を開いて身構えたが俺の予想は外れ…ペロは即座に低姿勢へと切り替えて、そのままこちらの下半身めがけて直進してきたのだった。
まさか、股の下をくぐるつもりか!?
「あ…ぐ…!」
もちろん…ペロの大きさでいくら低姿勢をとろうとも、人間の股を綺麗にくぐり抜けることなどできるはずもなく…
俺は金玉に速度のついた頭突きをくらい…ペロが無理矢理足の間をくぐり抜けていった後、ボールを手放し…痛む腹と金玉を抑えて、地に膝をついた。
「がっ…かああ…」
末端である金玉から下腹部を貫き…突き進んでいく痛みが臓器のつながり、全身を駆け巡る神経の連なりを実感させてくる。
「あっ…甘かったか…」
身体の力が抜けてきて…地面へ崩れ落ちる。その拍子に、下のまぶたから涙が溢れてきた。
やけに冷たい涙だった。
「お、お兄さん!?だいじょうぶ!?」
鞄を拾い上げて駆け寄ってきたミナちゃんは肩を揺すってくる。
「ね、ねぇ!だいじょぶなの!?平気!?死なないよね!?」
「たぶん……」
ミナちゃんの問いかけに対し…俺は曖昧な回答しかできなかった。
…ヒビが入ったかも…潰れたかも…
こんな感じの冗談が言えればミナちゃんを安心させられたかもしれないが、俺自身は安心していないし…心身に余裕がない。無理だった。
そして…俺から勝ち取ったボールを咥えてやってきたペロは、ボールを俺の目の前に置いた。
俺はボールから目を背けるため股間を抑えたまま足を曲げて寝返りを打ち、空を見上げた。
この犬畜生め…勝利宣言のつもりか?
「ちくしょおっ……」
口から負け惜しみがこぼれた。
するとペロは俺のこめかみを舐めだした。そこはさきほど、溢れた涙が伝った場所だった。
「おーい、帰ったよー」
少し遠くからキーヴァさんの声がした。
「キーヴァさんどうしよう!?お兄さん倒れちゃった!」
「え〜…!?なにがあったの?」
「ペ、ペロがね…お兄さんのお股にぶつかっちゃって…」
「そっかぁ…そりゃあどうにもならないというか、どうしようもないかなぁ…」
ミナちゃんと、慌てて駆け寄ってきたキーヴァさんの会話が聞こえていたその間も、ペロは俺の涙を舐めていた。
「くぅん…」
安っぽい同情はよせ…よけい惨めになる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます