『スモーキング・サバイバル ~吸えば吸うほど健康になるタバコで、冴えないおっさんは「禁忌の森」を快適に開拓します~』

無音

プロローグ:『異世界でも、とりあえず一服。』


「はぁ……」


今日、何度吐いたか分からないため息が、淀んだオフィスの空気に溶けていく。 俺、山口(やまぐち) タケル、35歳。独身。 肩はバキバキ、胃はキリキリ。ブラック企業と呼ぶには生ぬるいこの会社で、今日も今日とて深夜残業だ。


(もう無理。一服しないとやってらんねぇ)


唯一の癒しを求め、俺はフラフラと自席を立ち、ビルの屋上にある、申し訳程度の喫煙スペース(オアシス)へと向かった。


錆びたドアを開けると、冷たい夜風が火照った顔に心地いい。 眼下には都会の光が広がっているが、今の俺には何の慰めにもならない。


ポケットからくたびれたタバコの箱を取り出し、最後の一本を唇にくわえる。 愛用の100円ライターを「カチッ」と鳴らし、オレンジ色の炎を先端に近づけた。


「……ぷはぁ」


ああ、うまい。 ニコチンが脳に染み渡っていく、この感覚。 これがあるから、俺は明日も生きられる。


そう、至福の一服に満足した、その瞬間だった。


「おっと…」


連日の激務による過労か、それとも急なニコチンの摂取でクラッとしたのか。 視界がぐにゃりと歪み、俺の体は大きくよろめいた。


(やべ、立ちくらみか……)


立て直そうとした足は、思ったように動かない。 全体重が、古びて錆びついた屋上のフェンスにのしかかる。


バキッ!


「え?」


まさか、壊れるなんて聞いてない。 俺の体を支えきれなかったフェンスごと、俺は夜空に投げ出された。


体が宙に浮く、あの嫌な感覚。 眼下に広がる夜景が、やけにゆっくりと迫ってくる。


(あぁ、俺のタバコ、まだ火、付けたばっかだったのに……)


それが、俺の冴えない人生の、最期の感想だった。


「……ん?」


気がつくと、俺は真っ白な、どこまでも続く空間に立っていた。 (あれ、俺、落ちたよな? 痛くも痒くもない…)


「いかにも!」


ビクッと肩が跳ねる。 目の前には、いつの間にか金髪イケメン風の、やけにノリが軽い自称「神」が立っていた。


「いやー、すまんすまん! あれ、完全にこちらのミス。君、本当はあの時『よろめく』だけで済むはずだったんだわ。まさかあのフェンスがあんなに脆くなってるとは計算外でな!」


「……」


「こらこら! ともかく、お詫びと言ってはなんだが、異世界に転生させてあげよう! もちろん、剣と魔法のファンタジーワールドだ!」


(うわ、ラノベでよく見るやつだ) 俺のテンションは低いままだった。正直、面倒くさい。 勇者になって魔王を倒すなんて、残業よりダルそうだ。


「もちろん、チートアイテムも一つ……いや、二つあげちゃう! さあ、何がいい? 『聖剣エクスカリバー』? それとも**『神盾イージス』**?」


神の言葉に、俺は少し考えた。 聖剣も神盾もいらない。俺の望みは、いつだって一つだ。


「あの……あっちの世界でも、タバコは吸えますか?」


「え?」


「俺、タバコがないと生きていけなくて。もし向こうで高級品だったり、手に入らなかったりするなら、もう一回屋上から落ちた方がマシなんですが」


俺の真剣な瞳に、神は一瞬ポカンとし、やけに腹を抱えて笑い出した。


「ははは! 面白い! 君みたいな転生者は初めてだ! よかろう! 君の『一服』を全力でサポートしよう!」


神がパチン、と指を鳴らす。 すると、俺の胸ポケットには見慣れたタバコの箱が、そして右手にはずっしりと重みのある、銀色のオイルライターが握られていた。


「まず、その**『無限補充のアッシュモーク(常世の煙草箱)』**だ!」


「アッシュモーク…」


「君が愛したその銘柄が、一本取り出すたびに瞬時に満タンまで補充される! さらに、その箱は絶対に傷つかず、変形せず、誰かに奪われることもない! 永久保証だ! しかもその煙草、体には一切の害はなく、むしろ吸えば吸うほど健康になるんだ!」


「(健康に…? タバコで?)おお……!」


「そして、こっちが本命! **『万能なる不死鳥(フェニックス)のライター』**だ!」


神はニヤリと笑う。


「そいつはオイルもフリント(石)も不要! 永久に燃え続ける! さらに君の意思一つで、炎の大きさ、熱量を自由自在にコントロールできる! 豆粒ほどの火から、ドラゴンをも焼き尽くす灼熱の炎までな! もちろん、これも破壊・強奪は不可能だ!」


「ドラゴンを…焼き尽くす…?」 それ、もうライターの域を超えてないか?


「さあ、行たまえ! 愛煙家タケルよ! 新たな世界で、存分に紫煙をくゆらせるがいい!」


「あ、ちょっと待っ――」


神の胡散臭いウインクを最後に、俺の足元がフッと消え、意識は再び暗闇へと落ちていった。


こうして俺の、タバコと最強ライターだけを相棒にした、異世界スローライフ(希望)が幕を開けた。 ―――開けた、はずだった。

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