第30話 報酬は《新たな洗い方》

「……な、なによ! あたしだって、アラタのためにお茶くらい淹れてあげられるんだから!」


 リリアが対抗心を燃やして差し出したお茶は、なぜか底に砂が溜まった泥水のような色をしていた。俺は全力で首を横に振る。丁重にお断りだ。


「わ、わたくしだって、お店のお掃除くらい……きゃっ!?」


 セナさんが手に取った箒は、まるで生きているかのように彼女の足に絡みつき、盛大にひっくり返る。大丈夫か、このパーティーの女子力……。


(なんでこんなことに……)


 俺は、頭を抱えながら、工房で新しい依頼品の浄化作業を進めていた。

 隣では、エリアーナさんが淹れてくれた、透き通るような香りの薬草茶が湯気を立てている。後ろでは、リリアとセナさんがドタバタと騒いでいる。ちなみにクロエさんは、エリアーナさんから効率的な雑巾の絞り方を、真剣な顔で教わっていた。君はそれでいいのか。


 なんだこのハーレムラノベみたいな状況は。俺には荷が重すぎる。

 そんな俺の心の叫びが聞こえたのか、エリアーナさんが、ふと手を止め、真剣な面持ちで俺に向き直った。


「アラタ様。ドタバタと騒がしい日常も素晴らしいですが、その前に、お渡ししなければならないものが」

「え? お渡しするもの……?」


 依頼料なら、すでに十分すぎるほど頂いているはずだが。

 俺が首を傾げると、エリアーナさんは懐から、手のひらに収まるほどの小さなガラスの小瓶を取り出した。


「これは……?」


 小瓶の中には、液体が満たされていた。

 それは、ただの液体ではなかった。

 光の角度によって、赤、青、緑、黄と、まるで虹そのものを溶かし込んだかのように、七色の輝きを放っている。見ているだけで、魂が吸い込まれそうなほどに美しく、そして、手のひらに乗る太陽とでも言うべき、圧倒的な生命力に満ち溢れていた。


「『古代樹の雫』にございます」


 エリアーナさんは、その小瓶を恭しく俺の前に差し出した。


「『母なる大樹』様が、長い眠りから目覚める兆しを見せた際、その幹からほんの一滴だけ、こぼれ落ちたもの。生命の源そのものです。これが、我ら一族からの、正式な報酬となります」

「こ、こんなもの、受け取れません!」


 俺は思わず後ずさった。

 見るからに国宝級、いや、それ以上の代物だ。杖を一本洗っただけで、こんなものを受け取るわけにはいかない。


「ですがアラタ様、これはあなた様だからこそ、お渡しできるのです」

 エリアーナさんの翡翠の瞳が、まっすぐに俺を射抜く。

「あなた様は、ただ汚れを洗い流すだけではない。その物の本質を見抜き、本来あるべき姿へと還す力をお持ちです。この『古代樹の雫』も、あなた様ならば、きっと正しくお使いになれるはず」


 彼女の言葉には、絶対的な信頼が込められていた。

 リリアも、泥水(お茶)のカップを置いて、真剣な顔で頷く。

「そうよ、アラタ。これは、あんたが命がけで成し遂げたことへの、正当な報酬よ。遠慮することないわ」

「そうですわ、アラタ様。エリアーナ様のお気持ち、お受け取りになるべきですわ」

 セナさんも、優しく微笑む。


「……受け取るべき」

 クロエさんからの、ダメ押しの一言。


(うぅ……四面楚歌だ……)


 俺は、観念して、震える手でその小瓶を受け取った。

 ずしり、と。ガラス瓶とは思えないほどの、生命の重みが手のひらに伝わる。


「あの、それで、これはどうすれば……?」

「お飲みください。その力は、あなた様の魂と溶け合い、新たな道を示すでしょう」


 お飲みくださいって、そんな簡単に……。

 だが、俺にはもう、断るという選択肢はなかった。

 俺は意を決し、小瓶のコルクを抜くと、虹色の液体を、一気に喉の奥へと流し込んだ。


(……甘い)


 まるで、極上の蜂蜜のような、濃厚な甘さ。

 だが、次の瞬間。


 ゴオオオオオオッ!!


 腹の底から、灼熱のマグマが噴き出したかのような、凄まじい熱量が全身を駆け巡った。


「ぐっ……あ……ああああああっ!」


 俺は、その場に膝をついた。

 熱い。熱い。体の内側から、焼かれているようだ。

 血管の一本一本を、生命の奔流が、凄まじい勢いで駆け巡っていく。


「ア、アラタ!?」

「アラタ様!」


 リリアたちの悲鳴が、遠くに聞こえる。

 だが、俺の意識は、すでに自分の内側へと深く沈み込んでいた。

 そして、視界の隅に、見慣れた半透明のウィンドウがポップアップしたのが見えた。



 【――固有神聖スキル【万物浄化】の熟練度が、規定値に到達しました】

 【――《古代樹の雫》の摂取により、スキルの根源概念が拡張されます】

 【――新たな派生技術アーツを習得しました】



 脳内に、直接、新たな情報が流れ込んでくる。

 それは、新しい『洗い方』の知識だった。


 これまでの俺の浄化は、言ってみれば、対象全体を洗剤液に浸すようなものだった。

 《一点集中洗い》ですら、汚れの『核』を狙うだけで、その周辺まで一緒に洗い流していた。

 だが、この新しい技術は違う。


(まるで……服についた、小さな醤油のシミだ)


 服全体を洗濯機にかけるんじゃない。

 シミの部分にだけ、専用の洗剤を垂らし、歯ブラシでトントンと叩いて、汚れの分子構造そのものを分解し、浮き上がらせる。

 対象への負荷は最小限に。効果は、最大限に。

 より精密で、より専門的で、より強力な、『汚れ』への一点突破。


「これが……《シミ抜き -スポット・クリーン-》……!」


 俺が、無意識にその名を呟いた時、体中の熱が、すうっと引いていった。

 膝をついていた俺は、ゆっくりと立ち上がる。

 体は、以前よりも軽く、そして力に満ち溢れているのを感じた。


「……大丈夫、です。すごい……すごい『洗い方』を、手に入れました……」


 俺が興奮気味にそう言うと、エリアーナさんは、全てを理解したように、満足げに微笑んだ。


「おめでとうございます、アラタ様。ですが、どうかお忘れなきよう……」


 彼女は、工房の窓から外の賑わう街並みを見つめ、その翡翠の瞳に、深い憂いの色を浮かべた。


「その力は、きっと近いうちに必要になります」

「……え?」


「母なる大樹様を蝕む、本当の『汚れ』は……今この瞬間も、世界のどこかで静かに、そして確実に、広がっているのですから」


 彼女の言葉は、この華やかで騒がしい日常が、巨大な嵐の前の静けさに過ぎないことを、確かに予感させていた。

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