第8話 スキル進化、鉄屑は聖剣に変わる

(いける……! 落ちる……! この汚れは、俺が洗い流せる……!)


 確信が、歓喜となって全身を駆け巡る。

 俺が、俺の力が、この世界で初めて、何かを成し遂げようとしている。

 家族にさえ不要とされた、この俺が。


 その時だった。


 カッ……!


 閉じた瞼の裏で、閃光が弾けた。

 手のひらの短剣が、まるで小さな太陽になったかのように、凄まじい熱と光を放ち始めたのだ。


「ぐっ……あ、熱いっ……!」


 思わず目を開け、手の中の短剣から手を離しそうになる。だが、できなかった。まるで、俺の魂と短剣が溶接されたかのように、完全に一体化してしまっている。


 そして、俺の体もまた、その光に呼応するかのように、内側から淡い輝きを放ち始めていた。


(なんだ……これ……体が、中から燃えるように熱い……!)


 凍え死ぬ寸前だったはずの体の感覚が、急速に戻ってくる。いや、戻るどころじゃない。今まで感じたことのないような、生命力そのものが体の芯から沸き上がってくる。


 その変化の最中、俺の脳内に、直接声が響き渡った。


『――条件をクリアしました』


(声……? どこから……?)


『スキル【洗い物】が、固有神聖スキル【万物浄化】に進化しました』


 は?

 あらいもの……が、ばんぶつじょうか……?

 何を言っているんだ?


『スキル:【万物浄化】(ユニーク・ホーリー・スキル)』

『概要:この世のあらゆる「汚れ」を根源から洗い清める。物理的汚損(泥、錆、傷)、形而上的な穢れ(呪い、怨念、瘴気)を問わず、森羅万象を浄化の対象とする』


 脳に直接流れ込んでくる情報に、俺の思考は完全に追いつかない。

 スキル? 進化? なんだそれは。ゲームの話か?


 俺が呆然としている間にも、手の中の短剣の変化は続いていた。

 ジュウウゥゥッ、と水蒸気が上がるような音を立て、あれほど頑固にこびりついていた赤黒い錆が、まるで垢のように剥がれ落ちていく。泥は一瞬で蒸発し、刀身にまとわりついていたドス黒い呪いのオーラは、聖なる光に焼かれて悲鳴を上げるように霧散していく。


 光が、少しずつ収まっていく。

 俺は、恐る恐る、自分の手の中にある「それ」に視線を落とした。


「…………え?」


 息をのむ、という表現は、きっとこの瞬間のためにあるのだろう。

 そこにあったのは、もはやただの短剣ではなかった。

 ましてや、鉄屑などでは断じてない。


 刀身は、磨き上げた銀食器など比較にならないほど清らかで、神々しい光を放つ白銀。まるで月光をそのまま固めたかのようだ。そこには、俺ですら見たことのない、繊細で流麗な紋様が、淡い光を放ちながら浮かび上がっている。

 腐り落ちていたはずの柄は、白く輝く美しい装飾が施されたものに再生され、柄頭には蒼く澄んだ宝石が埋め込まれていた。


 それは、もはや武器というよりも、神に捧げられる聖遺物と呼ぶべき代物だった。


 再び、脳内に情報が流れ込む。


『アイテム名:聖剣エクスカリバー・ゼロ』

『ランク:???(計測不能)』

『状態:浄化済(真名解放)』

『能力:???(所有者以外閲覧不可)』

『備考:原初の汚れ(オリジン・ダスト)より生まれし無銘の鉄屑。【万物浄化】の力により、本来宿していた神聖な輝きを取り戻した、始まりの聖剣』


(せいけん……えくすかりばー・ぜろ……?)


 目の前の現実が、信じられない。

 俺がやったのか? 俺の、【洗い物】が……いや、【万物浄化】が、この奇跡を起こしたのか?


 俺は、まるで夢でも見ているかのように、聖剣の刀身に映る自分の顔を覗き込んだ。

 そこにいたのは、絶望に打ちひしがれた、情けないニートの顔ではなかった。

 顔色も良く、瞳には力が宿り、何より、全身から淡い光のオーラが立ち上っている。


 聖剣から流れ込んでくる温かな力が、凍え切った俺の体を完全に癒し、活力を与えてくれていた。

 寒い、という感覚は、もうどこにもない。


 ザッ……。


 その時、ふと、背後で微かな物音がした。

 人の気配。

 こんな世界の終わりのような状況で、誰が?


 俺は聖剣を握りしめたまま、ゆっくりと振り返った。


 そこにいたのは――。


 公園の入り口付近、崩れた街灯の物陰。

 息をのむ、信じられないものを見るかのような目で、俺のことを凝視している、三人の少女たちがいた。


 先頭に立つのは、燃えるような赤い髪をポニーテールにした、快活そうな少女。腰に長剣を下げ、軽鎧に身を包んでいる。その瞳は、俺が手にしている聖剣に釘付けになっていた。


 その隣には、知的で落ち着いた雰囲気の、銀髪の少女。ローブをまとい、手には魔導書のようなものを抱えている。眼鏡の奥の紫色の瞳が、驚愕に見開かれていた。


 そして、二人を守るように立つ、屈強な体格の少女。巨大な盾を背負い、短い黒髪を揺らしている。彼女もまた、口を半開きにしたまま、俺と聖剣を交互に見ている。


 三人とも、その出で立ちからして、ただの一般人ではないことは明らかだった。

 冒険者、というやつだろうか。


 彼女たちの視線は、ただ一つ。

 絶望の夜の公園で、泥まみれの鉄屑を拾い上げ、それを神々しい聖剣へと変貌させた、薄汚いスウェット姿の男に、ただひたすらに注がれていた。

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