稀血の少女は夢を巡る

あやお

プロローグ・第一話 吸血鬼(前編)

プロローグ


古びた蛍光灯がチカチカと光る。

乾いた空気が、肌を刺す。

露わになった私の首元に、男が顔を近づける。

その瞳は、血のように赤く、爛々としている。

冷たい牙が触れ、私は思わず息を呑む。


牙が肌に食い込む感覚がしたが、覚悟していた痛みはなく、痺れるようなむず痒さが全身に広がり、身体が熱くなる。

血を啜る音が、静かな部屋に響き渡る。

夢中で首に顔を埋める男の髪が、首筋に触れるたびに、身震いする。


ーーひらり


私の目の前に、一枚の桜色の花びらが舞い落ちる。

花びらに手を伸ばすと、強い風が吹き上がる。

そして、目の前にいた彼が、花吹雪となり、私の前から消えてしまう。

目の前が舞い散る花びらで覆われ、思わず目を瞑る。

風が止むと、景色が変わっていた。


古い日本家屋が現れ、その前に着物姿の男が蹲っている。

近づくと、男は女を腕の中に抱え、嗚咽を鳴らし、泣いている。

女の腕はだらんと垂れており、その白い腕には青痣がまだらにみられ、あまりの痛々しさに、私は顔を顰める。

気がつくと、男の嗚咽はいつの間にか止まっていた。

代わりに、その体は怒りで震え出していた。

空気が張り詰め、息苦しさを感じる。

男は、腹の底から響くような低い声で呟いた。

……愚かな人間を許さない。


その声は、あまりに禍々しく、聞いているだけで憎悪の感情に染まっていきそうで、思わず耳を覆う。



ーーリンっ


耳を覆っているのに、やけにクリアに鈴の音が聞こえ、私は顔を上げる。



いつのまにか、私は校内にいる。

夕陽が差し、オレンジ色に色づく部屋の中で、私の前には先輩がいた。


先輩は、私に向かって微笑んでいる。

だが、その目は笑っておらず、冷たい視線が私を刺す。

「君って、偽善者だよね」

彼は、私の耳元に顔を近づけ、囁く。


「だって、優しくみえて、本当はーー」

その言葉に、私は頭に血が昇るのを感じ、息を呑む。

そんな私を見て、先輩はにぃっと満足げに笑う。


ーードン!ドン!



突如、大きな太鼓の音が背後から聞こえ、私は振り向く。

湿った空気がまとわりつき、潮の香りが漂う。

洞窟のような場所には、不釣り合いな座敷があり、その中には彼がいる。

その手足、首に至るまでが鎖で繋がれている。

私は必死に声をかけるが、声が出ない。

泣きながら彼にすがるが、何故か徐々に遠くなってしまう。


「ーー幸せに、なってくれ」

微笑む彼がみえ、辺りは真っ暗になり、静寂が訪れた。



傷つき、傷つけられて

不完全な私達は、間違いながらも、進んでいく。

私は今日も夢を巡る。

ーーそれは、誰かの記憶か、未来か、あるいは……





第一話 吸血鬼(前編)



「行ってきまーす!」

家のドアを開け、眩しい日差しに目を細める。

今日も暑いなぁと呟きながら自転車にまたがり、勢いよく踏み出す。

頬に風を感じながら、ひたすらに漕いでいく。

パッと開けた道路にはガードレールがあり、

眼下には、きらきらと煌めく海が広がる。

斜面を滑り降りていくと、最初の目的地である染谷神社が現れる。

神社の前には灰色短髪の青年が文庫本を読みながら立っており、私は大きな声で彼の名前を呼ぶ。

「蓮くーん!お待たせー!」

目の前に自転車を停めると、蓮くんは読んでいた本を閉じて、微笑みながら私の頭をくしゃっと撫でる。

「おはよう。ひなこ」

「ん、おはよう!」

にこっと笑う幼馴染の染谷蓮くんは、

染谷神社の跡取りで、お祖父ちゃんと2人で暮らしている。

「お祖父ちゃんは元気してる?最近急に暑くなったけど」

「あぁ。ぴんぴんしてるよ。そういえばひなこに、今度あるお祭りのチラシのイラスト描いて欲しいっていってたよ」

「豊穣祭ね、もちろん描くよ!」

蓮くんは、昔から私を可愛がってくれる、兄のような存在だ。

同じ高校に通うようになってからは、毎日一緒に登校するのが日課になっている。

ーーこの頃の私は、その何気ない日々が突然失われるなんて、思いもしなかった。



教室につき、クラスメイトに挨拶をしながら、窓側の自分の席に座る。

鞄からノートを取り出していると、友達のマコトとリコが駆け寄ってくる。

「昨日、猫ちゃん譲渡出来たんでしょ?よかったね」

マコトに言われて、私は笑みが溢れる。

「うん、大切にしてくれるといいなぁ」

「捨て猫拾って、譲渡先探して、本当、優しいねぇ」

リコにそう言われ、私は苦笑いする。

「……そんなことないよ」

「相変わらず謙虚ねぇ……ところで!今日は西園寺兄弟がそろって登校してるよ!」

リコが両手を合わせて、興奮気味に話す。

「西園寺兄弟?」

「えっ?!知らないとか、ありえないんだけど!」

ほら、と促されて窓の外を見ると、黒髪の青年達が、校舎に向かって歩いている。

2人とも青みがかった白い肌に、人間離れした整った顔立ちだ。

「髪が長い方がお兄さんの凌先輩で、社交的。

短い方が弟の綾人くんで、お兄さんと逆で、1人でいるの好きみたい」

リコ以外の人達も、二人に熱い視線を向けている。あれだけ綺麗なら納得だ。

「本当に目の保養だわぁ」

リコは頬を赤く染め、うっとりとした表情を浮かべていたが、思い出したように私の方を向く。

「そう言えば!蓮先輩て染谷神社の人だよね」

私が頷くと、だよねだよね、と声を弾ませる。

「噂で聞いたの!……染谷神社の近くで、化け物をみたって」

「出たでた、リコの大好きな《噂話》」

マコトが呆れた声を出すが、リコは止まらない。

「なんか、異様に大きな熊みたいな姿をしていて、襲われた子もいるらしいよ!」

「ただの噂でしょ」

マコトが髪先を弄りながら、気のない声を出す。

「も〜〜マコトってば、夢がないなぁ!」

2人のやり取りに笑いながらも、化け物という言葉が、妙に引っかかり、胸がざわつく。

(……念のため、後で蓮くんに伝えておこう)

気がつくと、いつの間にか空が翳り始めていた。



放課後、マコトとリコとファストフード店でおしゃべりをしていると、宿題に必要な教科書を忘れてきたことに気がついた。

外を見ると、夕陽が沈みかけている。

「ついていこうか?」

「ううん、大丈夫。ありがと」

また明日ねーと手を振って、私は急いで学校に向かう。


(完全に暗くなる前に帰らないと)



学校につき、校舎に入る。

人がもう居ないのか、薄暗く、しんと静かな校内に、自分の足音だけが響く。

(なんだか、ちょっと不気味かも)

急いで階段を昇り、自分の教室の扉を開く。

屈んで机を漁り、数学の教科書をみつけて、ほっとする。

鞄に教科書をしまい、立ち上がろうとした時


ーーーリンっ


どこからか、鈴の音が聞こえた。

一瞬、聞き間違いかと思う。

しかし、耳を澄ませると、ズル…ズル…と濡れた足音のような、妙な音が聞こえる事に気がつく。

(何の音?)

違和感を感じ、ちらっと扉の窓に目を向けると、磨りガラスの向こうに、熊のように大きなシルエットが見える。

あまりに想定外の出来事に、背筋が凍る。

(な、なに?!あれ…)

動揺して、思わず出そうになった声を、抑えるように手で口を覆う。

『なんか、異様に大きな熊みたいな姿をしていて、襲われた子もいるって噂』

リコの声が頭で木霊する。

(これが化け物…?)

ばくばくと鳴る心臓と、落ち着いて逃げなきゃと思う気持ちとで、立ち上がった際に机を蹴ってしまい、大きな音がなってしまう。

(やばい…!)

途端、聞こえていた足音がピタッと止まる。

(どうしよう、どうしよう)

湿った布を引き摺るような足音が、踵を返し、こちらに近づいてくる。

このままだと見つかってしまう!

私は一か八かに掛けて、勢いよく廊下に飛び出す。

10メートルくらい先に、熊のように大きく、濡れた包帯のようなものを全身に巻きついた化け物が立っている。

包帯の隙間からは爛れた皮膚が見えており、瞳は暗く光がなく、生気を纏っていなかった。

目が合った瞬間、化け物は大きな声で雄叫びを上げ、私向かって勢いよく走り出す。

私は出口に向かい、必死に走る。

階段の踊り場がみえ、月夜の光に照らされている。

化け物の息遣いが聞こえ、かなり近くまで迫っていることを認識させられる。

最後の力を振り絞り、階段を転がるように降りる。

(ダメ、追いつかれる…!)

肩に化け物の指先が掠った感覚は確かにあった。

だが、それ以上の衝撃が訪れない。

追いつかれなかった事に違和感を感じ、走りながら、少しだけ後ろを振り向く。


化け物は、階段の床にしゃがみ、一点を見つめ、拝むように手を合わせている。

その目は一点を見つめて薄らと正気が宿っているようにみえた。

床には、小さな血痕が見えた。

私は、違和感に胸がざわついたが、視線を前に戻し逃げ続けようとした。



その瞬間、ぶわっと後頭部に風を感じ、踊り場の壁に衝撃音が走る。

慌てて振り返ると、そこには化け物が叩きつけられ、ピクピクと痙攣している姿があった。

階段上から、たんたんと足音がして青年が現れ、化け物の前に屈む。

そして、首元に顔を埋め、じゅるじゅると音を立てる。

(……血を、吸ってる?)

私はぽかんとしながら、階段下からその光景をぼんやりと眺める。

現実味がなく、ふわふわとした心地の中で、化け物から漂う異臭と、血の匂いが立ち込み、くらくらする。

働かない頭で、口から勝手に言葉がこぼれた。

「……あの、貴方が助けてくれたんですか?」

私が声をかけると、青年はぴたりと動きを止め、一瞬の静寂がうまれる。

そして、立ち上がりながら、ゆっくりとこちらを向く。


まず目に入ったのは口元から滴り落ちる血。

そして、その血と同じ真っ赤な瞳が爛々と輝いている。

月明かりで照らされた白い肌とのコントラストがゾッとするほど美しい。

そして、その顔には見覚えがあった。

「西園寺……綾人?」

私に名前を呼ばれ、彼は目を細めた。


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