第23話 帰るべき場所
「引き受けるわ。……吸血鬼狩りをみすみす死なせるわけにはいかないもの」
寄付の意図を正確に読み取ったエリシュカに、オクタヴィアンは満足そうに破顔した。
「恐れ入ります。それでは急ぎ荷の積み込みを行なわせますので、少々お待ちくださいませ」
「そんなに急がなくてもいいのよ。兵舎と主塔を行き来するだけでも大変でしょう」
ヴィスコル城は主にエリシュカ達の生活する主塔と下士官の住む兵舎、将校の住む官舎に分かれており、食糧、燃料、医療品といった物資は兵舎の地下牢兼倉庫に全て保管されている。
同じ敷地内に建てられているとはいえ、兵舎から主塔までの距離は遠い。騎乗での移動が許されているのは将校以上の者だけで、下士官たちは皆徒歩での移動を余儀なくされる。積み込みを命じられた者は荷を運ぶだけでも一仕事だろう。
だが、オクタヴィアンはエリシュカの言葉に口角を引き上げる。
「まさか。旦那様ご自慢の兵がその程度のことで大変などとは申しますまい。寧ろ体を動かすいい機会と張り切る者の方が多いでしょう」
それに、とオクタヴィアンは更に軽口を続けた。
「地下牢が城の地下にあった時分は、何かある度に兵士が何度も足を運んでいましたからな。その頃に比べると今は随分と楽になっていると存じますよ」
城の地下牢は地盤沈下による浸水により使い物にならなくなり、潰してしまったという話はエリシュカも亡き父から聞いたことがある。
長年に渡り地下水を大量に汲み上げたことが原因だと言われており、これを機にヴィスコル城の上水道の整備が進んだというのだから、発展には何が幸いするか分からないものである。
「それでは、私はこれにて御前を失礼致します。どうぞ、修道院長様にはくれぐれもよろしくとお伝え下さい」
貴族らしく読み解くなら、これは恩を最大限に着せよ、という意味である。
オクタヴィアンは老いを感じさせない動きで立ち上がりながら、恭しく頭を垂れた。
「ええ、分かった。──あの、その前にひとつ、聞いてもいい?」
「何なりと。何かご不明な点がございましたかな?」
エリシュカはオクタヴィアンの目尻に刻まれた皺をじっと見つめる。彼は相変わらず柔和な笑みを浮かべて、セザールよりも底が深く、いかなる感情も読み取れなかった。
「こういう時、兄様はいつも直接私に声を掛けて下さっていたのだけれど、何故今回に限ってオクタヴィアンが私に話を通しに来たの? ……兄様は何をなさっているの?」
オクタヴィアンは笑みを崩さなかったものの、眉毛だけをぴくりと動かしてエリシュカを見つめ返した。そんなことを指摘されるとは思ってもいなかったのだろう。
老爺はどう返答したものか考えた挙句、覚悟を決めたように唇を引き締めた。
「……どうか、こちらをご覧いただけますか?」
オクタヴィアンはスーツの懐から紙片を取り出し、両手に持ってエリシュカに差し出す。
それは便箋を小さく切り取ったもののようで、所用で留守にすること、何かあれば家令──オクタヴィアンの判断に従うように言付けるものであった。
かなり急いで書き付けたのか所々インクの掠れたところがあるものの、紛うことなくアルフレートの筆跡である。
「……旦那様は今朝、こちらの置き手紙を残したまま姿を消し、現在も所在不明のままでございます。また、一頭のみですが、軍馬が厩舎からいなくなったと兵士長から報告が」
そんな、とエリシュカは紙切れを握り締める。
その話が事実ならば、今のカタルジュ辺境伯家は海洋をなす術もなく漂流する帆船のようなものだ。
領地経営についてはオクタヴィアンは舵を取るにしても、軍の指揮系統については手出しが出来ない。
吸血鬼の跋扈する夜までは時間があるとはいえ、アルフレートが日暮れまでに戻ってくるという保証もないのだ。
「どうして……? こんな時に兄様は何を考えていらっしゃるの……?」
オクタヴィアンは瞑目して首を振る。
「私などでは及びもつかぬ深慮があるのやもしれません。幸い、旦那様は村の防備に関する指示を出してからお出掛けになりました。半日程度の不在では混乱を来すことはないはずです」
それでも不安そうに瞳を彷徨わせるエリシュカに、オクタヴィアンは微笑みかけた。
「旦那様は必ず日暮れまでに戻っていらっしゃると信じておりますが。……確かに万が一ということも考えなくてはなりません。もしもお嬢様がご不安でしたら、しばらく修道院にご逗留なさっても構わないのですよ」
エリシュカは、はっと息を呑む。
オクタヴィアンは当主の不在という醜聞、ひいては吸血鬼の魔の手からエリシュカを守ろうとしてくれているのだと気付いた。
そばに控えていたネリーが何も言わないのを見るに、話自体はエリシュカも知らぬ間に共有されていたのかもしれない。
「オクタヴィアン……あなた……」
「しかし、そうなると……お嬢様がそのまま修道女になると言い出す前に解決するよう、旦那様には厳しく進言しなければなりませんな」
継ぐべき言葉を見失ったエリシュカに、オクタヴィアンは片目を閉じる。十数年、生活を共にしてきた老人が見せる初めての茶目っ気であった。
エリシュカは少し面食らったものの、やがて莞爾して笑った。
最早、エリシュカは蝶よ花よと守られているばかりの少女ではいられない。彼らから忠心を向けられるに相応しい淑女として、共に困難に立ち向かう時が来たのだ。
「そんな心配をしなくても、今日中に皆のもとに戻ると約束するわ。……だから、おかえりと言って迎えてくれる?」
オクタヴィアンは一瞬軽く目を見開いたものの、年長者らしくすぐに感情を隠す強かさを見せる。
「かしこまりました。他に所用がありお見送り出来ないことが残念でなりませんが──お気をつけて行ってらっしゃいませ」
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