第三話 夜の猫様
放課後。
澄玲は教科書をカバンに詰める手が、ふと止まった。
(……人違い、って言われた。)
昼の優は、本当に自分のことを知らないみたいな顔をしていた。
冷たくて、無関心で、距離を置かれている感じ。
頭では理解しようとしても、胸の奥はモヤモヤしたまま。
「……でも、昨日は確かに――」
あの弱そうな声、少し甘えるみたいな距離。
「……夜分にすみません」
あの言葉の響き。
自分が勝手に夢みたいに受け取ってしまっただけなのかもしれない。
(……今日も夜眠れないかも。)
そんな不安を抱えたまま家に帰り、夕飯を済ませて、お風呂で目を閉じても――
昼の優の冷たい視線が消えてくれなかった。
そして、夜。
22時を回ったころ。
家全体が静かになる時間。
澄玲はベッドの上で膝を抱えて、ぼんやり窓を見ていた。
風が吹くたびにカーテンが揺れて、どうしても心が落ち着かない。
そのときだった。
コン……コン……
窓の外から、指で軽く叩くような音がした。
「ひっ……!? な、なに……!」
カーテンが揺れる。
澄玲は心臓を押さえながら、ゆっくりと窓を開けた。
月明かりの中に立っていたのは――
昨日の、あの“夜の猫宮優”だった。
「……夜分にすみません。」
弱い笑みを浮かべて、少しだけ恥ずかしそうに。
(……え……!?)
昼の冷たさは一つもない。
昨夜と同じ、柔らかい目。
本音を隠さない、あの“夜だけの優”。
「ここ……、来てもいい……?」
声はかすれていて、息が少し乱れている。
昨日と同じように、どこか不安定。
澄玲は反射的に窓を大きく開けた。
「き、来ていいけど……どうしたの? 大丈夫なの?」
優はふっと目をそらして、言いづらそうに呟いた。
「……昼間、話せなくて……ごめん。」
胸がドクンと跳ねた。
(やっぱり……昼の優は……)
「昼の俺……あんまり、誰かに近づかないようにしてる。
自分でも……うまく言えないけど。」
声が電気みたいに胸に刺さる。
優は少し考えるように視線を落とし――
澄玲のほうを見つめた。
「夜になると……なんか、抑えてたのが全部ゆるむ。
それで……君のところに来たくなる。」
「わ、私の……?」
「……うん。」
その一言に、息が止まりそうになった。
言葉は甘くないのに、
優しさと切なさが混じった声。
「昨日、助けてくれたの……すごく嬉しかった。
だから……また来ちゃった。」
澄玲の頬が熱くなる。
(昼は知らないふりで……
夜はこんなに距離が近いのって……どういうこと?)
勇気を振りしぼって聞いた。
「じゃあ……昼間の優くんは、
私のこと……本当に知らないの?」
優は少しだけ目を伏せて――
まるで反射的に言葉を逃がすみたいに、短く答えた。
「……知らない。」
だけど、その表情は明らかに矛盾していた。
言葉と背中が合っていない。
今にも「嘘だよ」と言い直しそうなのに。
優は窓の桟にもたれて、弱い笑みを浮かべた。
「……ごめん。
夜の俺は……君のこと、すごく気になる。」
心臓が跳ねた。
知らない。
でも気になる。
昼と夜で答えが違いすぎる。
「今日は……少しだけ、ここにいさせて。」
その声があまりにも寂しそうで、
拒めるはずなんてなかった。
「……うん。」
澄玲は静かにうなずいた。
その瞬間、優の肩がほっとゆるんだ。
夜が深まるにつれて、
二人の距離も、少しずつ縮まっていく。
――まるで優が、夜にだけ本音を探しに来るみたいに。
その夜、澄玲は初めて知った。
猫宮優の“夜”は、
まだ誰にも明かされていない秘密そのものだということを。
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