第2話 1991〜1995:不況の影と子ども時代

僕が物心をつき始めたころ、日本はすでに「バブル崩壊」という言葉に沈み始めていた。

 とはいえ、幼い僕には“景気が悪い”という感覚はわからない。わかるのは、父の帰宅が少し遅くなったことと、母が家計簿とにらめっこする時間が増えたことくらいだった。


「しばらく外食は控えようか」

 母がふっとつぶやくその声には、ため息がひそんでいた。


   *


 1993年、僕は小学1年生になった。

 新しいランドセルは赤黒い光を放ち、背負うだけで少し大人になったような気がした。

 学校には、まだどこか昭和の香りが残っていた。給食のカレーは鉄の鍋からよそうし、教室の黒板はギリギリと音を立ててチョークの粉を落とした。


 クラスではミニ四駆が大ブームになり、昼休みには男の子たちが机を並べて“即席コース”を作った。

 友だちの雄大(ゆうだい)が僕のマシンを手に取りながら言った。


「一(はじめ)のやつ、ぜんぜん速くないじゃん!チューンしてやるよ!」


 その言葉が妙に誇らしくて、家に帰ると父に報告した。

 父はニコリと笑い、次の休日、僕をおもちゃ屋に連れて行ってくれた。

 リヤモーターのキットを買ってくれた帰り道、父はどこか嬉しそうだった。


 家計が苦しいはずなのに無理をさせてしまったのでは――

 大人になった今はそんなことを思うが、当時の僕はただ、父がくれた“特別な時間”が嬉しかった。


   *


 1995年、阪神・淡路大震災が起きた。

 朝のテレビの画面に、崩れた高速道路と煙の上がる街の映像が繰り返し流れ、母は手を胸に当てていた。


「こんなこと、本当に起きるんだね……」


 僕はその言葉の意味を完全には理解できなかったが、画面の向こうの悲鳴のような風景に、子ども心に何か冷たいものが流れた気がした。


 学校でも、先生たちが黙祷を呼びかけた。

 目を閉じて祈りながら、僕は「世界は思っていたより怖い」という事実を初めて知った。


   *


 一方で、明るい出来事もあった。

 校庭にはJリーグのユニフォームを着た子がいて、僕たちは背番号11番カズの真似をした。

 放課後はスーファミを持ち寄り、「ストII」や「マリオカート」で白熱した。


 時代が不安定でも、子どもの時間は確かにキラキラしていた。


   *


 そんなある日、父が珍しく酔って帰ってきた。

 玄関で母が小さな声で言う。


「また……異動の話でもあったの?」


 父は答えず、黙って靴を脱ぎ、僕の頭を軽く撫でた。

 その手が少しだけ重かった。


 子どもは、大人の沈黙に敏感だ。

 僕はその夜、自分でも理由のわからない不安の中で眠った。


   *


 こうして平成初期の混乱を背景に、僕の子ども時代は静かに過ぎていった。

 時代の影が少しずつ家にも差し込み始めていることに、当時の僕はまだ気づいていなかった。


 ただ、変わることのない日常の中で、家族の温度だけが確かな“居場所”として胸に積もっていった。

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