平成物語 〜僕の三十年史〜

第1話 1989:喪から始まる誕生

1989年1月7日。

 静まり返った病院の産科ロビーに、薄い灰色の午前の光が差し込んでいた。

 テレビでは「昭和天皇、崩御」のテロップが流れ続け、日本じゅうが言葉を失ったような空気に包まれていた。


 そんな日、僕は産声をあげた。


 後から両親に何度も聞かされた話だが、僕が生まれたその瞬間、病院の廊下では“昭和”の終わりを告げるニュースが流れ、看護師たちが足を止めて画面を見入っていたという。

 母は分娩台の上で、苦しい息の合間にそのざわめきを聞いていたらしい。


「新しい時代に生まれる子だね」


 出産を手伝ったベテラン助産師が、母の額の汗を拭きながらそう言ったという。

 平成という名前はまだ発表されていなかったが、誰もが「何かが大きく変わる」予感を抱えていた。


 母は僕を抱きながら、窓の外をぼんやり眺めていた。

 冬の光はどこか薄く、冷たく、それでもどこか、静かな幕開けのように見えたのだと父から聞かされた。


「この子には、新しい時代を生き抜いてほしいね」


 父はそう言って、まだ小さな僕の手をそっと握った。

 彼はその日のニュースに心を揺らしながらも、僕の誕生に顔をほころばせ、複雑な喜びの入り混じった笑みを浮かべていたという。


 看護師たちは慌ただしく病室を行き来し、テレビでは官房長官の発表が繰り返された。

 “昭和”が終わり、“平成”が始まる瞬間を、日本じゅうが固唾を飲んで見つめているなかで、僕は母の腕の中で穏やかに眠った。


   *


 物心がつくよりずっと前の話なのに、僕の誕生日はいつも“重み”とともに語られた。

 親戚の集まりでは必ずと言っていいほど、


「一(はじめ)はね、昭和天皇が亡くなった日に生まれたんだよ」


 と紹介され、みんなが感慨深げに頷いた。

 そのたびに、僕の誕生日は喜びと哀しみのあいだに立つ、特別な日であるように思えて仕方がなかった。


 けれど、赤ん坊だった僕にそんな重みはわからない。

 ただ母の胸の温かさと、父の腕に抱かれたときの心地よさだけが、記憶のない時代の唯一の“感覚”として今も残っているような気がする。


   *


 僕が生まれた1989年は、日本が大きく揺れた年だった。

 消費税が導入され、ベルリンの壁が崩れ、世界が音を立てて変わっていく気配がどこか漂っていたと、父はよく語った。

 時代の節目に生まれた子は、なぜか家族から“特別な役割”を期待されがちだが、もちろん幼い僕にはそんなことはおかまいなしだ。


 泣いて、眠って、また泣いて。

 そんな当たり前の日々の中ではじまった、僕の平成の物語。


 この先、どれだけの時代の波に翻弄されるかなんて、誰にもわからなかった。


 けれど今となって思う。

 ――たしかにあの日、世界の空気は変わっていた。


 僕の人生は、そんな“時代の転換点”の中で、ひっそりと幕を開けたのだ。

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