第24話 素直に

橘さんの部屋に二人で向かった。


空気が重かった。


駅の近くで一緒にいた女の人は誰なんだろう。


部屋に入ってリビングに行ったら、橘さんはバルコニーに行った。


私はゆっくりと橘さんの後について行った。


橘さんは椅子に座って夜景を見ていた。


なんの話をされるのだろう。


もし橘さんに突き放されたら、私は仕事をちゃんとこなせるのだろうか。


何もかも失ってしまうの?


手を伸ばした夢も。


暫く沈黙が続いた。


「……ごめん」


橘さんから出た言葉が意外だった。


でも、それはどういう意味かわからない。


「何の事でしょうか……」


「俺はあの日、美鈴を放置してしまった。嫉妬して」


嫉妬…だったんだ。


「自分で蒔いた種なんで、橘さんは気にしないでください」


「何でお前は強がるんだよ。確かに小説については厳しくすると言った。でも、美鈴は自分から線を引いている」


「それは……今の関係を壊したくなかったからで……。橘さんの足を引っ張りたくないんです」


私達は両想いだけど恋人ではない。


私は橘さんを縛れない。


「で、あれからどうしてるんだ?書いてるのか?何か」


「何も書いてません。小説も読んでません。」


「気持ちはどうだ?すっきりしたか?」


「いえ……空っぽになっちゃいました」


小説を手放した私は、ただ毎日を漂っていた。


特に目標もなく。


「これからどうしたい?」


わからない。何もわからない。


涙が溢れてきた。


「泣くくらいなら素直になれよ」


「素直って何ですか?」


「今のお前を曝け出せよ」


「え?」


「今日、駅前にいただろ。視線を感じて見たら美鈴だった。」


……まさか見られていたなんて。


「あれは会社に新しく来た子で、歓迎会の帰りに一緒になっただけだ」


「そうだったんですね」


「安心した?」


「言いたくないです」


嫉妬してる自分なんて見せたくない。


「もうさ、そうやって我慢しないで全部言えよ。」


橘さんに引っ張られて抱きしめられた。


「美鈴の気持ち俺に全部ぶつけて。何も余計な事考えないで」


橘さんの優しい声に胸の奥が震えて、涙が止まらなくなる。


「橘さんが他の人と一緒にいるの見て、凄く嫌でした。誰にも渡したくないです。橘さんに触れていいのは私だけです。小説を書けるようになりたいです」


次々と溢れてくる本音。


「そうか……安心した」


「私……みっともないです」


「みっともなくない。俺を好きなら当然出る感情だろ」


そういう気持ちを剥き出しにする人間にはなりたくなかった。


でも、それが本心。


「じゃあ俺を縛ればいい。俺がどこにも行けなくなるくらい。美鈴が安心するように」


「わかりました。もう我慢するのはやめます」


橘さんの香りの中、私は素直になってみようと思った。



──なぜだろう……



何で私は縛られてるんだろう……


私の手はネクタイで縛られている。


俺を縛れと橘さんは言ったはず。


「どういう事なんでしょうこれは……」


「美鈴が素直になると言ったから、素直になれるように」


意味がわからない……


「もう何も隠すな。恥じらうな。美鈴の全てを俺に曝け出せ」


「何をするんですか?」


橘さんは何かを考えていた。


「よし……お前は夫に飼われてる人妻だ。マッチングアプリで出会った大学生と恋に落ちる。」


また設定を出してきた。


「また書かせるんですか!?」


「俺は言ってるだけ。書くかは美鈴次第」


また勝手に物語が頭の中に広がる。


自分が作った設定だと上手く書けないのに。


「本当の気持ちは言わない、認めない、でも体は正直。まるで美鈴そっくりな女」


橘さんの唇が身体に触れるたびに声を漏らしてしまう。


「男は言うよ『認めろ』って。『俺しかもう反応しないくせに』って。」


「橘さんに似たキャラですね…その大学生…」


「俺と美鈴の別の物語だから」


私と橘さんの物語……


二人で紡ぐ物語……?


そう考えるのが正しいかはわからない。


ただ、人妻は大学生に、泣きながら愛の言葉を溢した──


◇ ◇ ◇


橘さんが寝静まったあと、バッグに入れてた三浦さんからもらった小説を出した。


何が書かれているのか気になっていた。


そこに書いてあったのは


高校生の男の子と歳上の女の人の切ない恋物語だった。


びっくりしたのが、そういうシーンがあった事だった。


繊細な表現で、主人公の気持ちが溢れてくる。


私は結末に涙した。


「……ふーん。いい話だね」


「わっ!」


いつの間にか橘さんも見ていた。


「いつ渡されたの?」


「今日偶然会った時です」


そのあと最後のページの隅に何か小さく文字が書いてあった。


"嫌な気持ちにさせてごめん"


私と次会った時に渡そうと、ずっとこれを持っていたのかな……。


「やっぱり三浦さんは凄いですね。こんな素敵な話が書けるなんて」


「俺は?」


「翠川先生は私の中でナンバーワンですよ」


もう小説を書くのをやめようかと思ったけど、また書いてみようと思えた。

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