第13話 無茶振り

毎日仕事の合間を縫って、翠川雅人から渡される本のレビューを書く課題は続いていた。


書いたらそのレビューを印刷して本人に持っていく。


「前よりかはマシになってきたな…」


よかった!


「ありがとうございます!」


前に進めてる気がする。


橘さんは本棚から何冊か本をまた持ってきて渡してきた。


「こ、これは…」


全部、官能小説だった…


「先に言うが、これは"そういうシーン"も含めて、この物語の結末に何があるか、人間の欲望と向き合うストーリーを勉強の一環で読んで欲しい」


ページをパラパラ見ると、濃厚なシーンの部分ばかり目が入ってしまう。


「私はプラトニックなラブストーリーが好きなんですが…」


「それはお前の好みだが、知識を養う上で損はない。むしろ得るものもある」


翠川雅人は真剣だ。


「プラトニックとは対局する、欲望の渦を理解するからこそ、お前の思うプラトニックというものについて、より理解が深まる」


「そうなんでしょうか…」


「とりあえず読んでこい。話はそれからだ」


私はその本を抱えて、書斎から出た。


そして、自分の部屋に戻り、一冊を読んでいた。


開けてはいけない扉を開けた気分だった。


私が憧れていた世界と違って、謎の空気感、緊張感、スリル、がそこにはあって、想像よりも複雑なストーリーだった。


そういうシーンはもちろん沢山あるけど、その間の心理描写、登場人物の葛藤、堕ちてゆく背徳感、衝撃的な結末…


こんな世界もあるんだと、色々考えさせられた。


私は戸惑いながらもその本についてのレビューを書き、また次の日も別の作家のを読んだ。


なぜか引き込まれる世界。


心が揺さぶられる。


「この作家さん、こんなことを堂々と書いて…すごいな」


ある意味、とても勇気のいることだと思った。


──数日後、その本とレビューを持って橘さんの部屋に行った。


「読んできました。」


橘さんに渡すと、すぐにレビューを読んでいた。


「……今まで書いていた物の中で一番完成度高いな…」


「そ、そうなんですかね…」


橘さんは何かを考えていた。


「書いてみないか?」


「え?」


「こういうストーリー、書いてみろ」


「無理ですよ!」


何を言い出すの突然!?


「俺は見たい…」


橘さんがじりじりと迫ってきた。


「真似はしないで、お前のストーリーで、欲望を曝け出せ」


「欲望!?そんなの書けないですよ!!」


「じゃあ……俺が既婚者とする。美鈴は歯科衛生士で、二人はクリニックで出会う。それから俺達はそういう関係になる」


壁際まで追いやられてしまった。


「俺の家にきて、妻はいない。俺はお前に触れたい。今を逃したら暫く会えない」


橘さんに顎を掬われた。


「どうする?」


その瞬間何故か心が震えた。


「奥さんが帰ってきたらまずいですよ……」


そう口では言ってるのに、なぜか心臓が高鳴ってきた。


「"まずい"、"ダメ"、心ではわかってる。でも求められたら?」


橘さんは私をぐっと抱き寄せた。


「主人公の気持ちになって」


橘さんの唇が耳に触れた。


『愛してる』


そう言われた瞬間、全身が火がついたように熱くなった。


「そんな事言われたら…抵抗できないですよ…」


禁断の関係に、全てが壊れるかもしれないこの関係に、頭の中では否定しても心と体は求めている。


何この感覚……。


「ちゃんと教えてね、この物語の結末を」


自分の中に、知らない自分が目を覚ますみたいで怖い。


でも私は抗えなかった……


──


その後二人でそのまま肩を寄せ合っていた。


「楽しみだ……」


橘さんは嬉しそうにしている。


「自信ないです」


なぜこんな流れになってしまったのか。


私は部屋に戻った後、パソコンに向かって、ただあの時の設定を思い浮かべて、主人公の気持ちになって、無心に物語を綴ってみた。


結末なんて何も考えてなかった。


何故か登場人物達の行動が、ストーリーを作っていく。


何も考えてなかったのに、ゴールに向かって進んでいる。


"歯科衛生士の女"とその男との結末は──


◇ ◇ ◇


数日経って出来上がった短いストーリー。


見せるのが恥ずかしかった。


何度もまだかまだかと橘さんに催促されていた。


私は試しに、投稿サイトにそのストーリーをアップしてみた。


そしたら、予想外の事が起こった。


そのストーリーの読者がどんどん増えて、とても反応がいい。


意外だった。


『ファンになりました!』というコメントまで……。


とても嬉しかった。


ただ、私が書きたいジャンルとはだいぶ違うから複雑だった。


そして私は勇気を出して橘さんのところへ行った。


「ストーリー……持ってきました」


橘さんは、それを奪い取って、真剣に見ていた。


「……凄くいい」


ほ、褒められた……!


「まるで生きているかのようなストーリー…」


「書いてた時、特に結末とか考えてなくて、無心でした…」


「そうか……こういう結末なのか……」


翠川雅人に褒められて感無量……。


プラトニックな恋物語じゃないけど。


「よし!次!」


今度は書斎に縫い付けられた。


「俺は大学教授だ。お前は卒論の為に俺と話す事が多くなる。いつの間にかお互い惹かれていく」


「まさか……また書くんですか?」


「そうだ。書くんだ」


「嫌です!恥ずかしいです!」


「羞恥心を捨てろ」


「そんな事言われても…!」


「とにかくやってみろ、何事も挑戦だ。今回のは良かった。俺は次のが楽しみだ」


橘さんの手がそっと体に触れてきた。


体が無意識に反応してしまった。


「読んでてわかった。美鈴の好きな触れ方」


的確に心と体を揺さぶってくる。


「だから嫌なんです!私のそういう部分、丸見えじゃないですか……」


「だから、読んでて夢中になるんだよ」


「なぜ橘さんは書かないんですか……?」


「俺が全てを曝け出したら、作家人生終わる気がするから」


逆に気になる!!


「そんな事どうでもいいから、今感じている気持ちを全部頭に刻んで」


教授と生徒……


また禁断な恋の物語。


いけないとわかってるのに求めてしまう。


突然開かれた世界に、ただただ戸惑うばかりだった。

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