Take Medicine~ダウナー系薬学生は意外とキャンパスライフを満喫している~
ペンネ
第1話 アセトアルデヒド(C₂H₄O)とわたし
瞼に降り注ぐ微かな明かりを受けて、わたしの眼球は運動する。刹那、瞼を開いていた。
目の前には、煌々としたシーリングライトの光。
(やば……。寝てたか…?)
首を動かす。フローリングの床に直接敷いている布団の枕もとには、デジタル表示の時計。当然ながら床に直置きしている。時刻は、夜中の3時38分。
(え…? えぇっと……)
寝起きの曖昧模糊としたわたしの脳。ここに至るまでの記憶はかなり不鮮明であった。
しかし。
「……やべ、吐きそう…」
意識が徐々に戻ると同時に、胃の入口から喉元にかけて急激なムカつきが駆け巡った。居ても立ってもいられず、わたしは上体を起こすと、フラフラとした足取りでお手洗いに向かった。
***
食道から胃袋の上部あたりに熱感と膨張感が滞留している。間違いない。この感覚には覚えがある。
「……やばい。飲み過ぎた……」
深夜も過ぎて早朝を迎えようとする4時。自分でもゾッとするような低い声が小さな部屋にこだました。
布団の横の小さな机の上には、飲み口の辺りに小さな凸凹がある缶が置かれている。プルタブが起こされた空の缶たちは、きちりと立っているもの、横を向いているもの、床に転げ落ちているもの、まさに「散乱」というに相応しい様相を呈している。
そして、コップには飲み残しの液体が見える。透明なグラスのおよそ6割ほどの高さに注がれた状態のままだった。氷を入れたような気がするものの、時間にして数時間。すでに氷はすべて溶けてしまっているらしかった。
「…もったいない」
胃酸がせり上がってくるかのような気持ち悪さを抱えながらも、そんな未練がましい言葉がつい口をついていた。
末世とはこのこと。
こんな爛れた生活と部屋を持つ女子大生なんていないだろう。――そう、「わたし」を除いては。
***
「とりあえず水飲んで寝とこう…。アセトアルデヒドの効果もそう長くはないから……」
フラつきながらキッチンに辿り着く。常温で置いていたペットボトルのキャップを回すと、食器洗い桶に伏せていたマグカップを取り出す。水を注ぎ、少し飲んだ。
ここで様子をみる。症状がひどいと、これだけで吐き気を催すのだが、今回は大丈夫そう。わたしは二口目、三口目と少しずつ水を取り込んだ。
お酒に含まれるアルコールは、C₂H₅OHの化学式で表されるエタノールである。ちなみに、食品などの成分表示に「酒精」と表記されているものはこのエタノールを指している。
化学式からも分かるように、ヒドロキシ基-OHを構造に含むことから、親水性を示し、水に溶けやすい。
エタノールは体の中に入ると、胃で約20%、小腸で約80%が吸収される。そして、小腸で吸収されたエタノールは門脈という血管を通って肝臓に運ばれる。肝臓では、アルコール脱水素酵素のはたらきによってエタノールが酸化し、アセトアルデヒドという物質が生じる。ちなみにC₂H₄Oがその化学式。
肝臓の酵素で生じたアセトアルデヒドは、アルデヒド脱水素酵素のはたらきで酢酸(CH₃COOH)へと代謝され、最終的にはTCA(クエン酸)回路によって水(H₂O)と二酸化炭素(CO₂)となり、呼気などから体の外へ排泄される。
アセトアルデヒドは、脳の中枢に作用し、頭痛や吐き気といった症状を引き起こす。これは、日々皆さんが――そして、ほかならぬわたしが今――お世話になっている「二日酔い」という症状の元凶でもある。
「胃薬飲んどこうかな……」
布団に戻って来たわたしは薬箱に手を伸ばそうとした。
が、その動きはすぐに止まった。これまでの経験則上、顆粒タイプの胃薬を飲んだ途端に胃袋からせり上がる不快感で胃薬を無駄にしてきたことは明らかでもある。
(…薬無駄にしたくないし。あぁ、でも…胸が一瞬だけスッキリして症状が軽減されるしな。……悩ましい)
透明な薬箱には、胃薬や解熱鎮痛剤、湿布、体温計などが収められているのが見える。
このところ、お世話になりっぱなしなのは顆粒タイプの胃薬なのであるが……。
(やばい、爛れてるな、わたし……)
わたしは重苦しい溜息を漏らしていた。そして、
(……もう、こんなにお酒飲まない! 絶対に…!)
すでに何度誓い、破って来たか分からない「誓約」を立てていた。
***
目が覚めたとき、胃部の不快感は軽減されていた。しかし、頭がぼうっとする感覚は残存したまま。
(アセトアルデヒドめ……)
布団から上体を起こし、わたしは忌々しさを込めて溜息を吐き出していた。枕もとに直置きしているデジタル時計は、12時30分を指していた。
今日は、土曜日。幸いにして大学は休みである。
「…勉強、するか」
そう言ったのも束の間、わたしはゆっくりと布団に身体を横たえていた。
「……別に今日じゃなくていいや」
ゾッとするほどテンションの低い声。そして、おそらく明日もそう言って一日をほぼ布団で過ごしてしまうことは目に見えている。
それが薬学生である「わたし」――
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