第23話 シックホームな修学旅行
11月
「沖縄っ!?2泊3日で?ウチも行く!」
「いや。白浜さんは3年だから無理だよ」
肌寒くなった季節。
2畳ほどの石台の上。昼食を取るのも、季節的にあと少しでお終いかなと思っていた昼下がり。
俺は白浜、木瀬、石田、ケイの四人(匹)に修学旅行の話をしていた。
自分も行くと豪語する白浜に、石田が優しく突っ込みを入れた。
あの件から、三人の関係を心配していたが、それはまったくの稀有に終わった。
石田と白浜に限っては、前よりもグッと絆が強くなったように思える。教師としては嬉しいが、距離感の近い二人に俺としては複雑な気持ちだ。
「あ?3年が修学旅行に行けないって誰が決めたんだよ!」
「校長だよ」
「ピピっ!」
次に答えたのは木瀬。有無も言わさずビシッと突っ込む。ケイもこの時ばかりは木瀬の味方をした。
少し不貞腐れながら何やら考えていた白浜が、ピンっ!と閃いた感じで立ち上がった
「なら……校長にっ!!」
「やめなさい!」
次に止めたのは俺。
今にも走り出しそうな白浜を、失笑しながら止めた。一緒に行きたいと言ってくれるのは嬉しいが、もう校長室への直談判は勘弁だ。
って、説得すればどうにかなるかもと考えている白浜もどうかと思うが……。
「まぁ。大人しくお留守番してなさい!お前らに、内緒でお土産買ってくっから!」
「やった!俺、チョコのちんすこう!」
「俺は星の砂!」
「カハッ。星の砂って、可愛いな、優真」
石田の乙女な答えに木瀬が盛大に吹き出す。
俺は頭のメモに留めていく。
「で、白浜は?何がいい?」
まだ不機嫌そうな白浜に笑顔を向けると、ケイにリンゴを上げながら白浜はケッ!とやさぐれていた。
「ピィ?」
ケイが心配そうに白浜を見上げ、渡されたリンゴを半分渡す仕草を取る。
時折り、こいつは人間じゃないのかと錯覚するほど、ケイは白浜の心境を理解していた。
「なら、センセーがいない間、ケイを預かっていいか?」
ケイの効果で機嫌の戻った単純な白浜が、ケイから分け与えられたリンゴを口に入れながら、そう尋ねてきた。口いっぱいに含んで”モッモッモッモッ”と咀嚼している。
あっ、可愛い……。
そのいつもの様子に、緩む表情を抑えながら、右手で顔を隠して奥歯を噛み締める。
そんな俺の様子を石田と木瀬が、呆れたように目を合わせ吹き出していた。
◆
修学旅行1日目。
那覇空港に着いた俺たちを迎えたのは、大型バス8台。それぞれのクラスに分かれて指定されたバスに乗り込んでいく。
1日目の工程は、昼を挟み、美ら海水族館、夕方に森林公園、ブセナ岬、海辺散策と多忙だ。
点呼を終え、走り出した車内は浮かれた空気に満ちていた。
俺はマイクを手にして前方の席に立つ。
「えーっと。まずは諸注意な。車内での飲食は軽くつまむ程度なら良し。ただし、食い過ぎんなよ!これから昼だから。あと、ガイドさんに連絡先聞かない!はい、渡辺、言ったそばからスマホをかざさない」
「えー、星野ン、細けぇ〜」
「細かくて結構。ガイドさんは仕事中です」
ところどころからくすくす笑いが漏れる。
生徒たちの浮かれモードを軽く引き締めつつ、俺は続けた。
「それから、バス酔いしそうなやつは早めに言え。俺は助けられんけど、副担の林先生が助けてくれます」
「え?」
俺の言葉に、前の席に座る新任の林先生が固まった。
「なんで星野ンは無理なんだよ」
「俺は無理。人の“戻す音”に弱いので絶対無理」
そこでハッとする。
つい最近、気持ち悪そうな白浜に両手を差し出したことを。
あんときはただ、白浜を助けたい一心だったからなんも考えてなかったけど、あいつのなら全く平気だったんだなと、我ながらちょっと感動してしまった。
「ぜってー、星野ンの前でえずいてやる!」
「止めなさい!」
笑いがさらに広がり、ようやく空気が落ち着いたのを見て、俺は座席に戻ろうとマイクを置いた。
だが、副担の林先生がいそいそとバックから二つにおられたカードを差し出してきた。
「星野先生。校長からのヤツです。ちゃんとやりましたって報告しないと……」
「……えー。マジでやんの、これ……」
俺はそのカードを渋々受け取る。毎年恒例の”校長シローの修学旅行クイズ”。
一体どこで有名になったのか、どの生徒もその存在を知っていて、密かに受け継がれていた。
驚いたことに、このクイズに正解した生徒は、必ず志望校に受かると言うジンクスまで出回っている始末。
校長も毎年、バスごとにクイズを作成しているから、仕事が暇なのかと訝しがってしまう。
「生徒たち、意外と楽しみにしているみたいですよ」
はぁ、と小さく溜め息。
仕方なくマイクをまた取る。
「はいはい。じゃあ恒例の”校長シローの修学旅行クイズ”やりまーす」
「出た!」
「待ってましたー!」
「ぜってー!正解してやる!!」
ここまでとは…。
お前ら、自力で勉強しろよ……と思いながらも、俺はフッと笑った。
「第一問」
「ダダン♪」
ご丁寧にも、林先生が合いの手を挟む。
「”ウミガメの平均寿命は?”」
「100歳だろ!」
「いや、80歳くらいじゃね?」
「なら、半分の50歳!」
「正解は……“とっても長生き”。……って、なんだこの答え」
ダラーっと汗が流れる感覚。マジでなんだこの問題……。
「なんだよそれ!」
「意味わかんない!」
「俺に文句言わない。文句は直接、制作者の校長へ言ってください!」
横でガイドさんがクククっと失笑した。
「第二問」
「ダダン♪」
「“沖縄そばとソーキそばは、どっちが美味しい?”」
「やっぱソーキそば!」
「校長だろ?なら、どっちも美味い!」
「いや、味に甲乙は付けられない!とか?」
「正解は、うわっ……。“僕は日本そばが好き”って、分かるかっ!!!」
俺は手に持っていたカードを叩き付けた。
「シローやべー!!!」
「郷土愛!」
バスの中が爆笑に包まれる。
俺は肩をすくめた。
白浜がここにいたらどんな顔するかな。
クソみたいな問題に真剣に頭悩ませて、答え聞いて『ふっざけんなよっ!』って、本気で怒って。
そんな様子が鮮明に想像できて、俺はふわっと笑った。
生徒たちからの次の問題の催促。
残りの問題はあと8問。
俺は仕方なく叩き付けたカードを拾って、またマイクに向き合った。
一緒にいたいよ。――白浜。
そう思ってしまった自分に、苦く笑う。
窓の外には、海の青がちらちらと見え始め――生徒たちの声より先に沖縄が迫ってきた。
*
「はいはーい!美ら海水族館に到着でーす!皆さん、楽しんできてくださいーい!」
昼を終え、ようやくバスが美ら海水族館に到着した。
ガイドさんの声に生徒たちが一斉に立ち上がり、わっと賑やかな空気が広がる。
浮き足立つ声、はしゃぐ足音、肩を叩く笑い声。
俺は少し距離を置きながら、その波のような軽やかさを見守っていた。
*
館内は、涼しかった。
水槽越しの青い光が、壁も床も人の肌も同じ色に染めている。
俺は生徒の行動範囲を確認しつつ、自然と足が水槽の奥へ進んでいく。
そこで、ふと視界の端に「静かなコーナー」があった。
――写真展。
白いパネルに囲まれた、小さな展示スペース。
誰も騒がず、ただ水の音だけが響いている気がした。
何とはなく、足がそっちへ向かった。
展示されているのは、水の生き物の写真だった。
光の屈折で輪郭が揺らぐクラゲ。ゆっくりと渦を描きながら泳ぐアカウミガメ。水面に反射した太陽が、細い波紋になって魚影を照らしている。
――呼吸がゆっくりになる。
写真なんて詳しくないのに。俺は、目を離せなかった。理由なんてない。でも、胸が、どくどくとうるさいほど音を立てる。
……なんだ…これ。
不意に、パネルの端に掲げられたポスターが視界に入る。
タイトル、キャプション、そして――作者名。
俺の時間が、止まった。
“写真家 神谷 彰”
その文字だけが、世界の中心に浮かび上がる。
ふっと、プールの塩素の匂いがした気がした。
足元の感覚がすうっと抜け、背中の奥を氷の指で撫でられる。
……なんで。
俺が、全身全霊で愛した男の名前。
「……嘘だろ」
その呟きは、プールの底に沈んでいくみたいに小さかった。
「星野ン、どーしたの?」
俺の固まっていた時間が、生徒の声で動き出す。
「…っ!あぁ。悪い。ボーッとしてた……」
俺の鼓動がドクドクドクドクと嫌な軋みを見せていた。
その後、生徒達に手を引っ張られて行ったイルショーも全く目に入ってこない。
ここに白浜がいれば――。
俺はあの写真を見ても笑っているだろうか。
*
その日の夜。
教師達の誘いを断り、俺はホテルの一室の椅子に項垂れるように座っていた。テーブルに置いたスマホを持ち上げ、そして戻すの動作を繰り返している。
”美ら海水族館 写真展”
そう調べたら出てくるはずだ。だが、いまだに検索できないのは、俺がまだ引き摺っているから――。
白浜の存在で過去の呪縛から解き放たれたと思っていた。なのに、俺はまたチキンに戻っている――。
スマホを何度目かの往復をさせたとき、テーブルに置いたスマホがLINEの通知を知らせた。
はやる気持ちでそれを開くと、それは白浜からのメッセージだった。
トクン――。
『センセー!ケイってトイレ、トイレですんの???』
「……トイレ???」
この意味不明なメッセージに、俺は今までクヨクヨしていた思考がすっかり吹き飛ぶ。
意味が分からず思わず独り言を溢すと、続いて写真が送られてきた。
そこには、便器に立ち、勇ましく用を足すケイが写っていた。
俺の家ではそんなことしたことがない。ケイのヤツ、白浜の前でカッコつけやがって。
俺はただただ可笑しくなって、カハッと吹き出した。そうして通話ボタンをタップすると、相手は直ぐに電話口に出た。
『センセー!見た?凄くない?ケイ、天才じゃね!?』
開口一番の興奮した声に、俺はどこまでも気持ちを楽にする。
「凄いな。ホント、凄いよ――」
一瞬で俺の不安やわだかまりを消し去り、呼吸を楽にしてくれる二人(匹)のケイに、感動すら覚えた。
『だよなー!センセーからトイレシート預かってんのに、ケイ、トイレの前で「開けて」って言うんだ!開けたらさぁ、ピョンっ!て飛び乗って力むだろ?』
「すげーな。マジで。神じゃん――」
白浜の話ぶりが可笑しくて。直ぐにでも抱き締めたくて――。
情緒不安定な俺はどうしても強い光を求めてしまう。そんな俺の弱気な部分を白浜は直ぐに察した。
『……なんかセンセー、元気なくね?楽しくねぇの?』
目頭が熱くなる。もう、どうしようもなく電話の主が愛しくて、可愛くて、そんなヤツの側にいる今の自分が幸せで――。
――あぁ。俺、白浜が。白浜蛍が好きなんだな……。
ポロリと大きな涙が頬を伝った。
「……白浜。俺さぁ。……お前のことが」
『あっ!ごめんセンセー!ケイが吐いた!』
「え!?」
電話口の綺麗な声が、瞬時に慌てふためく。電話の向こうで焦っている声。電話口で遠くから聞こる心配げな声。
『ケイ!ウチの残したヤツは食わなくていいから!ほら!ウサギには無理なんだよ!!』
ガヤガヤ、ガサガサ遠くで音がする。
俺は電話口で心配しながら相手が戻ってくるのを辛抱強く待った、
数拍後。ようやくその声が戻ってくる。
『ごめん!センセー。ケイがウチの残した葉っぱ食べて』
白浜は野菜のことを”葉っぱ”という。
そうしてそれを進んで食べようとはしない。本当に失礼なヤツだと思うが、それはそれで面白いから正そうともしなかった。
おそらく、コンビニかなんかで買った弁当に付いていた野菜を白浜が残して、カッコつけしいのケイが食べてやろうとしたのだろう。
だが人間の味付けに胃が耐え切れず吐き出したに違いない。その光景が容易に想像でき、どうしようもなく気持ちが熱くなり、またプハっと吹き出した。
「――はぁ。なんかもう、会いたいよ。マジで」
『センセー、シックホームか?』
「……そうなのかもな。うん。そうだな……」
笑い泣き。
”シックホーム”の突っ込みさえ忘れてしまう。
『帰ってくんの明後日の土曜だろ?返しに行くよ。ケイ。だから頑張れ!』
俺のホームシックをウサギのケイに会えないせいだと思っている白浜が、どこまでも憎らしくていじらしい――。
「あぁ。頼むよ」
東京に戻ったら会えるんだ。
――その約束が嬉しくて、俺は朗らかに笑った。
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