第8話 裏金の座標と、1万クレジットの運転資金

ベッドに横たわっても、心臓の鼓動は静まらなかった。


天井のシミを見上げながら、俺は何度も拳を握りしめる。

指先に残る鉄杭の感触。

画面越しに見たゴブリンの死。

そして、回収した魔石を敵の懐へねじ込んだ瞬間の、背筋が震えるような快感。


完璧だ。

ロジックは実証された。

このシステムさえ回せば、俺は確実に3300万の借金を返し、その先の1000億へと手を届かせることができる。


俺は高ぶる気持ちを抑えきれず、次なる投資計画を立てるために神マケのウィンドウを開いた。


まずは弾薬の補充だ。

鉄杭は使い切ってしまった。

明日の夜も狩るためには、最低でも20本、いや50本は欲しい。


さて、追加発注といくか。


俺は軽い気持ちで、画面右上のステータス欄に視線を走らせた。


その瞬間。

熱を帯びていた思考が、液体窒素を浴びせられたように凍りついた。


《残高:0クレジット》


ゼロ。

完全なる、無。


「……あ?」


間抜けな声が漏れた。

俺は数回まばたきをして、もう一度数字を凝視する。

変わらない。

冷徹なゼロがそこにあるだけだ。


思考が急速に巻き戻る。


昨夜、小杉の財布から抜き取った1000円。

あれをクレジットに変換し、1000クレジットを得た。

それで鉄杭10本セットを1000クレジットで購入した。

残高はゼロ。


そして今夜、その10本の杭をすべて消費して、5個の魔石を手に入れた。

その魔石は、小杉の闇在庫へ送った。


詰んでいる。


俺は愕然と呟いた。


手元に武器はない。

武器を買うための金もない。

換金するための商品は、すでに手元を離れている。


俺が送りつけた魔石が小杉によって換金され、現金として戻ってくるのはいつだ?


小杉の横領サイクルはおそらく月一回くらいだろう。

だとすると、次の業者の回収日は、早くて来週、遅ければ月末だ。


それまでの間、俺は指をくわえて待つしかないのか?


ROIゼロの待機時間。

回転しない資産。

それは、死んでいるのと同じだ。


クソッ!


俺は枕に拳を叩きつけた。


計算が甘かった。

システムは完璧だが、それを回すための運転資金が圧倒的に足りていない。

自転車操業どころか、ペダルを漕ぐ足場すらない状態だ。


どうする。

明日も小杉の財布から1000円抜くか?


いや、それはリスクが高すぎる。

毎日財布の中身が減っていれば、いくら鈍感な小杉でも気づく。

警戒されれば、会社という狩場そのものを失うことになる。


もっと安全で、まとまった金額が必要だ。

俺のビジネスを加速させるための、最初の種銭が。


焦りが思考を加速させる。

俺はスマホをひったくり、斥候蜘蛛の管理画面を呼び出した。


まだだ。

俺にはまだ、仕掛けておいた目がある。


1匹目、第3廃棄区画。

異常なし。


そして――本命。


2匹目、小杉デスクのモニター裏。


「……映れ」


祈るようにタップする。


ブツン、という音と共に、映像が切り替わった。


深夜の物流管理課。

静まり返ったオフィス。

だが、俺の狙いはそこにある物だ。


カメラをズームする。

小杉のデスク。

乱雑に積み上げられた書類の下。

一番下の引き出し。


以前、あいつが電話で話していたのを思い出す。

前回の売り上げはそこに突っ込んである、と。


あの中にあるはずだ。

小杉が横領で稼ぎ出し、まだ回収屋に渡していない裏金のストックが。


あるはずだ。

いや、なくては困る。


俺は息を殺し、モニターの向こうの静寂を睨みつけた。


その時。


コツ、コツ、コツ。


マイクが足音を拾った。

近づいてくる。

この、無駄に足を引きずるような特徴的な歩き方。


ガチャッ。


オフィスのドアが開いた。


現れたのは、見慣れた中年太りのシルエット。

小杉だ。


顔色が悪い。

昼間の尊大な態度はどこへやら、周囲をキョロキョロと見回し、怯えたように肩をすくめている。


チャンスだ。


俺はベッドの上で身を起こした。

獲物が、餌場にやってきた。


小杉は自分のデスクに座り込むと、荒い息を吐きながら一番下の引き出しに手を伸ばした。


ギィ……。


錆びついたレールが鳴く。

その奥から現れたのは、分厚い茶封筒。


(……ビンゴ)


喉が鳴った。


裏金だ。

俺が求めていた、運転資金の塊だ。


小杉は封筒から札束を鷲掴みにすると、枚数も数えずに自分の長財布へ乱暴に突っ込んだ。

残りは雑に封筒へ戻し、隠し板の奥へ放り込む。


雑だ。

あまりにも管理がずさんすぎる。

いくら入っているか、いくら使ったか、正確に把握すらしていない。

だいたいこれくらいという、どんぶり勘定。


その隙が、俺にとっては命綱になる。


俺は座標を脳内で構築し始めた。

引き出しの奥。

茶封筒の中心点。


今夜、俺はこの資金問題を解決する。

あいつの裏金の一部を、俺の事業投資へと変換する。


指先が震えた。

だが、迷いはない。


「【ワールド・デリバリー】――【受取】!」


ズクンッ!!


脳が叩かれたような衝撃。

視界が一瞬、濃い闇に沈む。


同時に、手のひらに紙の束の重さが生まれた。


万札独特の匂い。

折れ跡。

人の汗の染み付いた、生活の匂い。


全額いくか――?


……いや、ダメだ。

ここで強欲を出したら終わりだ。

必要なのは、次の狩りの資金だけ。


俺は束から一枚だけ抜いた。

1万円札。


残りは即、元の座標へ送り返す。


疲労で視界が揺れたが、指先は一度も迷わなかった。


机の上に残ったのは、一枚の紙幣。


静かだ。

この一枚が、次の夜を動かす。


反撃の第二ラウンド。


神マケを開き、クレジットチャージを選択。

紙幣を置き、座標を固定。


「【ワールド・デリバリー】――【配送】」


1万円札が消える。

胃の奥に殴られたような疲労。

だが、UIに浮かんだ数字がすべてを上書きする。


《残高:10,000クレジット》


よし。


すぐに【業務用品】ストアへ飛ぶ。


《異世界の鉄杭セット/Fランク》

《1000クレジット/10本セット》


購入数:10

合計:10,000


「【受取】」


工具箱が沈むほどの鈍い重さ。

鉄杭100本。


蓋を開けると、無骨な金属の塊がぎっしり詰まり、光を吸っていた。

一本をつまみ上げると、ひんやりとした重量が指に伝わる。


今夜の狩りで、スキル発動のクセは明らかになってきた。

魔力の流れ。

疲労の波。

座標の微調整。


だが、まだ足りない。

眉間ではなく、急所そのものを狙う精度が必要だ。


スマホを手に取り、斥候蜘蛛の映像へ切り替える。


湿った土の匂い。

闇の奥の獣の気配。


俺は工具箱の蓋を閉じた。

カチリ、と乾いた音が、狭いワンルームに響く。


準備は整った。


お前の裏金で買ったこの鉄杭を、

お前の闇在庫に変換し、

お前の換金ルートで洗浄する。


とことんお前をしゃぶりつくしてやるぜ。


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