第一章 9:王城保管庫の襲撃

 醜い肉塊、――動く死体を前に、シリルが腕組みをしてそれを見つめる。

 教会では、目にする前に、それは姿を消した。いや、盗まれたのだと、シリルは推測する。

 それを詳しく分析、調査されるのが困る、誰かがいるということだ。この王都で、不吉な何かが起ころうとしている。

「王城で、厳重に保管しなさい。教会は駄目。そうね、兵舎の保管庫に運んで」

「はっ」と、となりに立つ警備兵が答える。

「それと、軍医のエドモンドと、宮廷魔術師のリュカに調査するよう、すぐに手配しなさい」

「はっ。直ちに」

 シリルは警備兵に指示すると、物見遊山の人ごみをかき分けて人だかりの外に出た。

 パティアが、栗色の髪の男性に何やら話しかけている。どこかで見た顔のような気がしたが、それがどこだったのか思い出せなかった。

「さあ、戻りますよ」

 シリルに気付いて、パティアは不満げにぷくっと頬を膨らます。

 そんな態度を気にする素振りもなく、シリルはパティアの腕を引いて王城へと歩き出した。

 少なくとも、近隣の都市や郡部から似たような事案の報告は、シリルの元にまでは入ってきていない。

 未知な疫病の流行を、何者かが隠そうとしているのか。それとも、何か、王都に対する極めて悪質な企ての前触れか。

 王城へ戻るなり、シリルは近衛兵や兵士たちに矢継ぎ早に指示を下す。

「姫様は、自室にお戻りください」

 文句を言いたげなパティアを城内に押し戻すと、シリルは兵舎へと向かった。

 兵舎に着くと、ちょうど例の肉塊が台車に載せられて運ばれてきたところだった。

 粗布で覆われているが、台車が揺れるたび、その隙間から赤黒く濁った不気味な皮膚が覗く。

 兵士の誘導で、それは保管庫へと運び込まれる。

 その様子を見守っていたシリルは、背後から聞こえてきた「ぜぇぜぇ」という荒い息遣いに振り返った。

 胸に王家の紋章の刺繍が入った白衣を羽織った高齢の男性が、息を切らせながらシリルの横に立った。

「シリル様、…あれが、動く死体ですか」

「エドモンド」と、シリルは男性を呼び捨てにした。「教会の方の個体は、あなたは見ていないのですね?」

「…はい。あれを診た、医務官からの報告は受けていますが…」

 一晩のうちに消えたのだ。おそらくろくな調査はされていないだろう。

「そう」と、シリルは短く返す。

 彼女はエドモンドを伴って、保管庫へと入った。

 壁に取り付けられた松明の揺れる灯のもとで、肉塊を覆う布が取り払われた。

 醜い、その全体像があらわになった。もうそれは原型をとどめてはいない。まるで巨大な握りこぶしのようなその異様な姿にあてられて、一人の兵士がその場で嘔吐する。

 シリルが目で合図すると、エドモンドは三角巾マスクを着けて肉塊に近づいた。

 置いてあった角灯を持ち上げ、肉塊に顔を寄せる。

 肉塊の皮膚に沿うように、いくつもの血管が浮き出ている。そのうちの最も太い血管が、どくりと脈打った。しばしの静寂。間隔を空けて、再びその血管が脈打つのを確認する。

 エドモンドは角灯を、飛び出した眼球に近づけた。

 真っ赤に血走った瞳。その瞳孔がわずかに収縮する。

「これは、」と、エドモンドが振り向きながら言う。「確かに、まだ生きていますな」

「動く、死体か…」

 シリルが呟きながら、傍にいた兵士の腰に吊るされている剣を引き抜いた。

 彼女の行動を察したエドモンドが、慌てて制する。

「シリル様、危険です」

「構うな」

 シリルが抜き身の剣を手にして、肉塊に近づこうとした、その時。

 低い悲鳴が、保管庫に響いた。

 保管庫にいる皆の視線が、悲鳴の方に一斉に向けられた。

 そこには、胸から剣の切っ先を生やした兵士が立っていた。

 彼の口元から、ひとすじの血が流れ落ち、顎をつたって滴り落ちる。

 その背後には、剣を深々と突き刺している別の兵士の姿があった。口元から血を流しながら悲痛の表情を浮かべる兵士の、肩越しに見えるその瞳は、灰色に濁っていた。

 途端、保管庫の外からも怒声が聞こえてきた。

「ちっ」と、舌打ちしながら、シリルが眉をしかめる。

 胸を貫かれた兵士が、うつ伏せに崩れ落ちた。

 周囲にいたほかの兵士たちが思わず、倒れた兵士と、血で濡れた剣を握った兵士から、身を引いて遠ざかる。

 素早く、シリルが剣を脇構えで駆け出す。

 下から薙ぐように振るわれた彼女の剣を、兵士は身を反らして後ろに跳び、躱した。

 シリルはさらに深く踏み込む。

 タンッ、と石造りの床を蹴る、乾いた音が響く。

 シリルは剣を逆手に持ち替えると、兵士の灰色の左目を正確に突き刺した。

 兵士が雄たけびをあげる。

 シリルが剣を引き、間合いを取って、様子を窺う。

 左目を両手で押さえて、雄たけびを上げ続ける兵士。指の隙間からあふれ出した赤い血が、次第にどす黒くと変化する。

 その体がぐらりと傾いた。

 剣の切っ先は、脳にまで届いているはずだ。

 兵士は雄たけびをやめない。その声が震えて、だんだんと掠れてくる。

 残った右目が、ぎろりとシリルを睨む。ゆっくりと足を踏み出すと、剣を高々と振り上げた。

 シリルが冷静に剣を振るう。

 音もなく、兵士の首が胴体から切り離された。

 とすん、と頭が落ちる。そしてその体も、仰向けに崩れ落ちた。

 それっきり動かなくなる。

 シリルが剣を振って、付いた血を払う。

「…なるほど。アンデッド、というわけではなさそうね」

 そして、皆に聞こえるように大声で言う。

「頭を切り落としなさい。怪しいと思ったら、躊躇してはなりません」

 外の怒号がますます大きくなる。金属同士がぶつかり合う音も混ざる。

 シリルは、保管庫の出口に向かいながら考える。

 敵は、こちらの兵士に化けて潜んでいる。誰が味方で、誰が敵なのか、一見では区別ができない。いや、もしかすると、兵士だけではない。通りを歩く商人や、通行人。貴族や、…王族にも成りすましている可能性だってある。

 想像以上に厄介だ。シリルは眉間のしわを強くした。

 保管所から外に出ると、すでに乱戦の真っただ中だった。

 シリルの足元に、黒焦げになった兵士の体が転がっていた。この状態では、それが味方のものなのか、敵のものなのかすら、判別できない。

 シリルに気付いて、黒いマントを羽織った白髪の女性が駆け寄ってきた。

 その幼い顔立ちは、まるで十五、六才の少女のように見える。しかしその眼差しは鋭く、油断なく周囲を睨みつけていた。

 傍らに立った彼女に、シリルが声をかける。

「リュカ、あなたは本物なの?」

「…冗談は、状況を見て言ってください。燃やしますよ」

 嘆息混じりに言うリュカに、シリルは笑って答えた。

「本物のようね」

 そして、再び真剣な面持ちに返って、鋭く周囲に視線を巡らす。

 味方か敵かわからない死体が、中庭に幾つも転がっている。いや、死体の状態から見て、おそらくそのほとんどは味方のものだろう。

 その死体の中に、黒焦げになったものも複数あった。宮廷魔術師であるリュカの仕業に違いない。

「なるほど。首を刎ねるか、燃やすか、か」

 呟くシリルに、リュカが言う。

「敵は、この保管庫を狙っています」

「やはり、そうか」と、シリルは剣の柄を握り直した。

 敵の目的は、あの醜い肉塊の回収だ。しかし、このなりふり構わずの様相は、なんというか。

「…やり方が、素人ね」

 腹部から腸をだらりとぶら下げたままで、兵士が剣を振るっている。三人の兵士が応戦しているが、疲れ切っており、防戦一方だ。

「退きなさい」

 叫びながら、シリルが駆け出す。

 兵士たちを追い越して、シリルが剣を一閃する。

 一瞬で、異形の頭と胴体が離れた。

 崩れ落ちる兵士の行方を見とどけることもなく、シリルはさっと視線を巡らせて、次の標的を探す。

「あと一人か」と、シリルは地面を蹴った。

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