第一章 8:二人のヴァレンと父の手紙
ヴァレン邸は典型的な貴族の邸宅といった感じだった。
鉄製の大きな門の前に私兵が一人、長槍を持って立っていた。邸宅の周囲は高い壁に覆われて、容易に中の様子はうかがい知れない。
ウィルは地図と邸宅を何度か見比べて、私兵に尋ねた。
「レオン・ヴァレンさんに会いたいのですが」
「予約は御座いますか」と、私兵は事務的に答える。
「いえ、…」と、ウィルが言いよどむと、私兵はあっさり続けた。
「レオン様は、予約のない方とはお会いになりません。申し訳ありませんが、またの機会になさってください」
そう言うと、私兵は再び正面に向き直った。
「あの、手紙を渡すだけなのですが…」
ウィルの言葉にも、私兵はそれが聞こえないかのように何も返さない。
途方に暮れて肩を落とすが、ふと思い出して声をかける。
「あの、この手紙、…オルヴァン・フェルナーから届けるように言われたものなのですが」
私兵が驚いたように、ウィルを見た。
「オルヴァン…。それは、本当ですか」
「はい。…俺、いや…、わたしはオルヴァン・フェルナーの息子の、ウィル・フェルナーといいます」
ますます驚いたように、私兵の目が見開かれた。
彼はウィルの頭の先から足の先まで、じっくりと視線をはしらせる。
「まさか、…いや、風の噂では聞いておりましたが。ウィル様、これは大変に失礼なことを」
私兵は丁寧に頭を下げた。そして申し訳なさそうに続ける。
父親の名がもたらす影響の大きさに、ウィルは戸惑いを覚えた。
先ほどの詰め所での、あの年配の警備兵の反応。そして、この私兵の驚きよう。
警備兵の言葉が気になった。「…良くも、ある意味では、悪くも、な」
あの言葉は、果たして何を指して言っていたのか。知りたかったが、聞くのもはばかられる。知らない方がいいこともあるのかも知れない。
「レオン様は現在、密命にて王都にはおられません。お手紙は、預かりましょうか」
ウィルはしばし逡巡したあと、首を横に振った。
「いえ、直接お渡ししなければならないものだと思います。いつ頃、戻るかわかりませんか?」
「私にはわかり兼ねます。申し訳ありません」
どうしようかと、ウィルは悩む。
やはり彼に手紙を預けるべきか。しかし父親は、ヴァレンに届けるようにといった。だが、いつ王都に戻ってくるのかわからない相手を、このまま待ち続けるのも、無駄に時間を浪費するだけだ。
困った表情で考え込むウィルを見て、「あ、」と私兵が声を上げた。
「レオン様のご兄弟が、宮廷にお勤めです。兄上に似て、とても責任感の強いお方です」
「その方も、近衛騎士なのですか?」
「はい。とても重要な任務に就かれています」
私兵が意味ありげな笑みを浮かべる。
なるほど、兄弟か。いや、父親は近衛騎士のヴァレンに渡せと言った。もしかするとしばらく王都にいないレオン・ヴァレンではなく、王宮にいるそちらのヴァレンなのかも知れない。
ウィルは顔を上げた。
「そうします。ありがとうございました」
礼を言って立ち去ろうとして、ふと大事なことを忘れていたのに気付いた。
振り返って、ウィルは問うた。
「その方の、お名前は?」
「セラフィヌス様です」と、私兵は笑みで答えた。
再度、礼を言って、ウィルはヴァレン邸を後にした。
すでに日は傾きはじめている。今日のうちに自宅に戻るのは諦めた。王都の近くとはいえ、真夜中の街道は物騒だ。どんな危険があるかわからない。
持ってきた路銀は少ない。ちゃんとした宿に泊まるには心もとなかった。
ウィルはまたひとつ増えた悩みを抱えて、来た道を王城へと戻る。
まだ通りを往来する人々は多い。しかしそれもあと数時間のことだろう。自然と、ウィルの足取りも早くなる。
先ほど若い警備兵に襲われた通りを過ぎる。
すでにあの醜い肉塊はそこには無かった。まわりに警備兵たちの姿も見えない。
王城が見えてきた。日の光を浴びて、今はやや赤みかかって見える。
詰め所を覗くと、警備兵の一人と目が合った。
「おお、君か」と、警備兵はわざとらしく声を上げた。「無事か。本当に怪我はなかったのか」
先ほど若い警備兵に襲われたときに、駆けつけてきた二人の警備兵のうちの一人だった。
「はい。大丈夫です」
答えるウィルに、彼は歩み寄る。
「探したんだぞ。急にいなくなったもんだから、心配したぞ」
ウィルの肩をがっしりと掴む。
「放してやれ。逃げないさ。なあ、ウィル」
詰め所の奥から声がかかる。あの年配の警備兵だった。
「レオン様には会えたのかい?」
「いえ、」と、解放された肩をさすりながら、ウィルは答えた。
「会えませんでした」
密命という言葉は呑み込んだ。「レオン様はいらっしゃらなくて。代わりに、ご兄弟のセラフィヌス様を探しています」
年配の警備兵が露骨に眉をしかめた。
「ああ、あの方か。先ほど、王城に帰って来たのを見たばかりだ。しかし、なあ…」
言いよどむと、腕組みして唸る。
「会えるか、どうか。わからんな。…良し。俺が王城まで着いて行ってやろう」
「ありがたいです」
ウィルが頭を下げると、彼はにやりと笑って見せた。
「会える保証はできないが、少なくとも門前払いはされんだろう」
「しばらく頼む」と、詰め所の警備兵たちに声をかけて、彼はウィルと一緒に詰め所を出た。
並んで歩きながら、ウィルはふと考える。この人はきっと、自分の知らない父親の過去を知っているのだろう。父親が若いころに過ごしたこの王都で、何をしていたのか。そして、いったいどんなことがあったのか。
白亜の城に通じる跳ね橋、その手前に二人の衛兵の姿が見える。
「少しここで待っていてくれ」
年配の警備兵はそう言うと、ウィルを残して衛兵に声をかけに行く。
二人が何かを話しているのを眺めながら、ウィルは何気に腰に吊るした剣を撫でた。
その時、城内が騒がしくなった。
走り回るいくつもの足音と、何かを叫ぶ声。そして時折、金属のぶつかり合う音が響いてくる。
何事かと、衛兵たちも城内の方を振り返った。
跳ね橋の向こう側から、一人の兵士がこちらに向かってきた。息は荒く、顔が恐怖に引きつっている。
その後ろを、また別のもう一人の兵士が追いかけてくる。
ウィルは既視感に襲われた。
追いかけてくる兵士の、その瞳は灰色に濁っていた。
そうだ。ウィルを襲った、あの若い警備兵の瞳と同じだった。
それは獣のように唾液を飛び散らせながら、目の前の兵士の背中に剣を振り下ろした。
振り下ろされた剣は空中を薙ぐ。びゅんと風を裂く音が響いた。
「た、助けてくれ!」
逃げる兵士が跳ね橋を渡りきると、衛兵が前に出て剣を構えた。
振るわれた剣を、衛兵が剣で受ける。
キンッと、剣がぶつかり合う音が響く。
二撃目。獣のような雄たけびを上げながら振り下ろされた剣の勢いに耐えきらず、衛兵が剣を取り落とした。
すかさず、もう一人の衛兵が割って入る。
「下がってろ」と、年配の警備兵が、ウィルを守るように立ちふさがった。
衛兵が振るった剣が、兵士の左肩を切り裂いた。
勝ちを確信した表情を衛兵が見せた、その次の瞬間。兵士はまったく怯んだ様子も見せずに、衛兵の首の付け根めがけて剣を振り下ろした。
鮮血が飛び散った。衛兵の顔が戦慄に歪む。
泡立つ血を喉から吐き出しながら、その体は仰向けに崩れ落ちた。
年配の警備兵が、剣を抜いて斬りかかった。
ウィルは倒れた衛兵に駆け寄った。衛兵は、しかしもうすでにこと切れていた。
衛兵の血で真っ赤に染まった手を、ウィルは強く握りしめた。
年配の警備兵が振るう剣が、兵士の身を何度もかすめる。そのたびに、どす黒い血が飛び散る。だが、まったく兵士は前に出るのをやめない。
ザッ、と鈍い音がして、年配の剣士が振り下ろした剣が、兵士の脇腹に食い込いだ。
剣を引き抜こうと引っ張るが、食い込んだままで抜けない。
年配の警備兵に焦りと、戸惑いの表情が広がる。
灰色に濁った瞳がぎょろりと動き、兵士が剣を振り下ろす。
ガキンッ、と激しい金属音が響いた。
父親から借り受けた剣を抜いたウィルが、振り下ろされた兵士の剣を受け止める。
剣を斜めに傾けて、振り下ろされた兵士の剣の勢いを流す。ぐらりとバランスを崩す兵士に、ウィルが身を転させて蹴りを叩き込んだ。
兵士の体は大きく弾き飛ばされて、跳ね橋の板に激しく叩きつけられた。
「かたじけない…」
年配の兵士が片膝をつきながら立ち上がった。
ウィルは無言でうなずくと、油断なく剣を構えて倒れた兵士を見つめる。
兵士の体がぴくりと動き、起き上がるようなそぶりを見せた。
「どうしましょうか…」
呟くウィルに、年配の警備兵も答える。
「まるでアンデッドだな」
醜い肉塊となった、あの若い警備兵との戦いを思い出した。ぎろりとこちらを睨む目。あの時は、なぜか勝手に自壊して、肉塊となって横たわった。
兵士が立ち上がろうとする。しかしもうその体はずたぼろだ。がくりとバランスを崩して、その場に片膝をついた。
ウィルは瞬間的に駆け出した。
そして、一閃。兵士の首を刎ねる。
どす黒い血が噴き出した。
返り血を浴びながら、ウィルはそのままの勢いで兵士に体当たりをする。首無しの体は、跳ね橋の外へと押し出された。
ぼちゃんと、堀に大きな水しぶきがあがった。
「おい、お前。なかなかやるな」
年配の警備兵が、息を荒げながらウィルの肩をたたく。
ウィルが振り返ろうとした、その時。
再び、城内から怒号と悲鳴があがった。
異形の兵士は、城内から現れたのだ。まだ異常事態は終わってはいなさそうだ。
「まずいな、行くぞ」
年配の警備兵の声に、ウィルは頷いた。
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