第2話 船着場 リミティーヴォ港

 食事を終えて、片付けを続けるアンナと別れて船着場を出る。

 会社の事務所までは少し距離がある。


 「(静かすぎる)」


 いつもは地元の漁師で賑わうリミティーヴォ港がなんだか物静か。

 

 理由はすぐにわかった。

 

 この町は観光地でもなく、みんなが顔馴染みの町で、見慣れぬ人間に敏感だ。

 怪しまれて集まる視線をものともせずに、どうどうとカソック姿の中年男がいた。


「赤毛の娘、シスター・ローズだな」


 挨拶も名乗りもせずに高圧的に尋ねられても、答える義理はない。


 事務所に向かっていた足を止めて、周りを見る。


 話しかけられても返事をせず、しかも近づかないリヴィアの反応に、港の人たちがいっそう警戒心を高める。

 何人か静かに走っていった。こんな時に地元の連携の強さがすごい。

 あとでワインボトル持ってお礼にいこう、と心に決めた。


「答えんか!」


 身をすくませる。怒鳴り声は嫌いだ。

 答えたくないし、話したくもない。

 沈黙したまま、近づかれたら近づかれた分だけ後ずさる。


「うちの社員に何か、ご用でしょうか」


 男の後ろから腹の底から響く低音が聞こえた。

 大柄な男、社長のゲイルがリヴィアと相手の間に入ってくれた。

 さすが、伝達が早い。


「お話がある様子ですが、失礼があってはいけません。

 よければうちの事務所を使いやせんか」

「お前たちには関係のない話だ」

「おや、司祭さまではありませんか。

 僕が担当している町ですので、関係がありそうですね」


一緒に出てきたのはこの町の教会の牧師様。

ちょっと汗をかいているし、息も上がっている。

リヴィアと目が合うと、牧師様はにこりと笑みを浮かべてくれた。

カソック姿を見て、宗教関係と判断し、港から教会まで走ってくれた人がいるらしい。


「…そのようで」

 

 訪問者は同業者に対して、怒鳴ることはできなかったらしい。

 渋々牧師の案内についていく。


「(もう皆にワイン貢ごう。魚によく合う白ワイン大人買いしよう)」


 少しだけ、ゲイルと2人きりになった。


「あの、ゲイルさん」

「俺たちも同席する。今はまず、話を聞くぞ」


 よくない話ではある。相手はこちらが拒否することを微塵も考えていない。

 誰も伴わずに1人で来ていること自体異様だ。


「その…すみませ」

「迷惑かけるかも、とか辛気臭いことはなしだぞ」

「うぅ」


 先に言われて仕舞えば、リヴィアに言えることは何もない。



 ***


「こちらは南都、サン・パラッツォ教会からいらした、司祭様です」


 南都。南北に縦長の形をしたこの国の南側の首都で中心地。

 南端にあるミルゼリア州とは距離があるし、この町レンツァまでとなればもっと時間がかかったことだろう。

 呆れた気持ちとわざわざここに来た要件に嫌な予測しかできない。


 事務所のこじんまりとした応接室。

 ゲイル社長と、リヴィアが先生と呼んでる牧師が座る。

 講話をするより庭のお世話と海を見るのが好きという、のんびりとしたお方。

 普段はにこやかなのに、今は珍しく表情が硬い。


「シスター・ローズ、あなたに良い知らせです」


 中年男性は、さっきの態度を引っ込めて下手くそな作り笑いを浮かべつつ言った。

 ぐ、と奥歯を噛む。


 その名は捨てた。

 その名は私のものではない。

 その名で呼ばないで。


 言いたいことが言えない。言ったところで無駄だ。

 相手はこちらを個人として思ってない。言いなりになる人形、物としか思ってない。


「お役目が与えられました。神のお導きに従い、教会へ参列するように」

「(はあ?)」

「お役目?この子は洗礼名を教会に帰した、と聞いていますよ」


 リヴィアが反応する前に、先生が口を挟んでくれた。

 司祭は先生を嫌そうに一瞥してから答えた。


「過去、シスター・ローズは甚だ疑問ながらあまりに大きなお役目から恐れ慄いて逃げ出したのだろう」


 そんな話に、なっているのか。

 都合のいいこと、耳馴染みのいいこと。


 ぐらぐらと、リヴィアの胸の奥から炎のように怒りが燻る。


「そこで、教会がシスター・ローズがよりその身を活かせるよう整えたのだ」

「質問を、お許しいただけるでしょうか」

「なんだ?」


 こちらを見る司祭の顔が歪む。知っている。

 あの顔は自分と違うものを見る目だ。

 目が合うことすら厭うておいて、何がお役目だ。


「お役目とは、具体的に」


 声は震えてないだろうか。冷静に、落ち着いて。


「敬虔な信仰心と共に、その身を捧げる機会を得たのだ」


 つまり、この町から離れて言われるがままについてこいと。

 

 ならば、答えなければ。

 にっこりと愛想よく。

 

 リヴィアがいかにこの町で楽しく健やかに過ごせて、礼儀も含めて教養を得ているかを。

 もうリヴィアは何も知らない子どもではない。

 言われるがまま流される子どもではないことを証明するために。


「お伝えしたいことがあります」


 堂々としたリヴィアの態度に相手は怯みを見せた。

 本当に言われたら拒否もなくついていくと思っていたらしい。


「(昔の自分なら、あるいは、ついて行ったかもしれない)」

「なんだ」


 一度、息を吸って、震えてしまいそうな喉を落ちつかせる。


「わたくしは、信仰のお道から脱した身です」

「あなたのご両親が再び信仰のお道に戻されました。

 神が与えた使命に、個人の意志などは不要です」


 は?と叫びたくて、口を閉じる。


 絶縁した両親に、いったいどのような権限があって。

 しかもそれは受理された上、何か面倒な役割を押し当てようとされている。

 咄嗟に口元を手のひらで覆った。吐き気がする。胃がムカムカしてきた。

 心配そうにこちらを見る社長や先生を見て落ち着こうとする。


「それは不思議ですね。私自身は、籍を戻すことに同意していないのですが。

 何か手違いがあるのではありませんか?」

「どんな理由があろうとも神の導きで与えられたお役目は果たすことが私たちの喜びだろう」


 怯みながら、言い訳のように、信仰を盾とする。

 あぁ、話が通じない。この感じが懐かしい。

 昔親と話しているときと同じ気分。諦めてしまうと楽だ。

 相手もそれを望んでいる。このままここで抵抗したところで、面倒になるだけだ。

 本当に勘弁してほしい。居場所も知らなかったはずなのに。


 そもそも、なぜ私の居場所が。


「少し、考える時間を頂けませんか。突然のことで私自身戸惑っています」


 必死に考えて、考えて、絞り出せたのは時間稼ぎの言葉だった。


「驚くのも無理はない。この町の町長とは話がついている。私はそこに滞在している」


 ***


 司祭が事務所から出て行った。案内のためか、先生がそれに同行していった。


 リヴィアは事務所の応接室の椅子に座ったまま、じっと考え込む。


「リヴィア」


 いないはずの声がして、パッと顔を上げた。


「先生、お戻りに」


 座ったままのリヴィアの横に、先生が片膝をついていた。

 顔色やリヴィアの表情を観察されているのがわかる。

 心配した先生が顔色や目の動きから人の心や体調を確認するためによくすることだ。

 久々に、こんなお顔をした先生を見た気がする。

 

「司祭様はきちんと町長の家に送り届けてきました。今夜は歓迎の宴をするそうです」


 この町の歓迎の宴は、夜通しひたすら酒と食事を振る舞って客人をもてなすこと。

 言外に、町長が今夜は司祭を家から一歩も出さない心積りであるという報告でもある。

 町長に協力した町民も集まって、司祭にひたすら飲食物を振る舞う。

 司祭ってお酒飲んでよかっただろうか。禁酒されていても強引に飲ませそうだ。


「だからリヴィア。今夜、彼があなたを強引に連れていくことはできません。この町が許しません」

「先生」


 思ったより、情けない声が出た。震えて、途切れそうで、掠れた声。


「すみません、社長、先生、突然のことで、私、何が何だか」


 痛ましげな顔をしている2人。

 2人がいてくれて、この町の人間で、本当に良かった。

 そうでなければ私は、どうなっていただろう。

 言われるがまま、連れて行かれていただろう。


「まさか、両親が勝手に、入信させているなんて」

「抗議文を送りましょう。同意のない入信の手続きは不履行です」


 それを、信仰者で牧師である先生がいうのが面白かった。

 そういうゆるさが、救いだった。


「なぜリヴィアを突然呼び出したのか、向こうの状況含めて、調べましょう。リヴィア」


 先生が手を握ってくれた。

 その時初めて爪が手に食い込むほど硬く握っていることに気づいた。

 気づいた後に痛みが来た。

 力を入れすぎて強張った指を、先生がほぐすように開いてくれる。


「焦ってはなりません」

「先生…」


 私にとっては牧師様は教会の人というより、文字やここでの生活の知識を教えてくれた手習所の先生だ。


「自警団のジルにも知らせをしとこう。変な輩が寄ってこねぇように。

 しばらく1人で動くんじゃねぇぞ。家もうちに泊まれ」

「社長」

「放っておいたら俺がアンナに殴られる。飯抜きはつらい」


 そんなことを、言ってくださる。

 あながち、事実っぽいのがアンナと社長の関係性であり、アンナの母らしいところだ。

 当然のように庇ってくれる体制を整える姿に、目の奥が熱くなる。

 ここで泣いたら、余計心配をかけるのに。


 ぐしゃぐしゃと、大きな手が頭を撫でた。


「それにな。おめえがいなくなってみろ。

 誰があのわがままヒッポたちを大人しくさせるんだ」


 に、と笑う社長の顔は自然であった。


「わがままに育ったのは社長が甘やかすからですよ」

「おめえだって甘やかしてんじゃねぇか。アンナから聞いたぞ、朝のこと」

「う」


 否定できない。


 ***


 ずっと会っていない両親を思い出す。もうほとんど声を忘れて顔も朧げ。

 

 あのとき、愛していたのに。

 愛されたことは、きっと一度もなかった。

 

 両親にとって私は、子どもではなく、異質なもの、不安の原因だった。

 それだけは、ほんの少し、申し訳なく思っていた。


 でも、身を剥がれた痛みで、あのときの両親の笑顔で。私は親への気持ちを捨てた。

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