今日の日記 ※夕方編
夢美瑠瑠
第1話
これまでに、たくさんに、多くの方のいろんな随筆を読んできて、小説もたくさん読んだですが、思い返すにつけ、やはり自分の提唱している?人間の定義…『ホモ・ヴァリアス(多様人)』というのが人間の本質、と思わざるを得ない。
「文は人なり」と言う、その古いことわざが如実に随筆やそういう書きものを読むと、実感されもします。
オレなども、「山下清」さんみたいかな?と思われがちやが? 「山下清の日記」というのが残っているのは有名で、読むとオレとはまあ対照的。
「モーツアルトの手紙」も本になっていて、ドイツ語の授業のテキストで、講読したことあります。 これは意外というか、スカトロ風にふざけたり子供っぽいような 、異常性格風の特徴が顕著?な手紙やった。
35歳で亡くなっていて、足の障害で身長もごく低かったとか。
モーツアルト効果というのも、自分の精神障害に合わせてしらずしらず癒しの効果のある音楽を創っていたからではないかという説もあるそうです。
「アイネクライネ…」とかの立派過ぎる音楽だけを聴いているとそういう人物とは思いにくいが…が、そう言えば、最近でも大江光さんという方がおられたなあ。
ずっと何となく流行っているのには「脱力エッセイ」というのがあって、四コマ漫画やら「ゆるキャラ」に似た需要かと思いますが、笑いヨガ、漫才とかが健康にいいので推奨される…それと同様のエフェクトを、われわれは経験的に知っているので、?エラそうな言い方になったが? 肩の力を抜くためにこういう「暢気眼鏡」をかけて物事を見る…「暢気眼鏡」というのはそういうエッセイの元祖かもしれぬ、尾崎一雄氏の有名な随筆です。
そう言えば、そういうのばかりを、オレは若い頃に殊更読み漁っていたような?
現実逃避願望が強く、逃げ場を求めていて、が、「逃げてばかりでは問題にまともに向き合えないのでいずれ破綻したりしないかな?」という危惧の念もあり、しょせん逃避、という認識はありました。
幻想小説とか、RPGにも嵌った…「逃走論」という本が当時にあったりして、オレは読まなかったが、たぶん同じ悩みを青春時代に葛藤しない人物はいなくて、悩みもしないやつは、「人物」にもなれない…そういう逆説的な事情を例えばボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌い出しは典型的に物語っているのかな?と思います。
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