第8話 日高由衣の日常

「お嬢、行きますよ。」

「だから、“お嬢”って呼ばないでって。」

 厳つい男性が女子高生に竹刀で襲い掛かる。上段からの振り下ろしをいなし、横薙ぎで腹を狙うが、直ぐに体制を整えた男が竹刀を縦に構え、受ける。数回の打ち合いを重ね、両者距離をとる。

「強くなられましたね。お嬢。」

「だから―――ってもう良いわ。」

 剣道の防具を外しながら、日高由衣が呆れ顔で返す。朝の稽古は日高の日課である。

 竹刀や防具を指定の場所に置いて、道場を出て、シャワーを浴びに向かう。

「ったく、いつになったらお嬢呼びを止めてくれるのかしら。」

 ショートカットの黒髪を丁寧に洗いながら、溜息交じりにぼやく。

 始めはただの過保護な家だと思っていた。元々友達も少なかったし、家の事を話すこともあまりなかった。最近になって我が家が少し特殊であることに気づき始めた。今でも思い出すだけで顔が赤くなってしまう。


 ある日の教室―。

「ねえ、今朝道場でランニングして転んだら、膝すりむいちゃってさ。そしたら、『お嬢、大丈夫ですか?すぐにお抱えの医者を呼びます。』って大袈裟だよね。」

 何気なく話した日高の日常である。てっきり「そうだよね。最近ウチでもさー。」みたいな反応を期待しての発言だったが、聞いていた友人の顔が引き攣っている。

「いや、お嬢って。ねー。」

「お抱えのってかかりつけってこと?」

 その中の数人が確認するように切り返す。「えっ、どういうこと?」と頭がパニックになる。一瞬の沈黙が指し示すことを全員が把握してしまった。こうなっては会話のブレーキを踏むこともハンドルを切ることもできない。話を進めることにした日高。

「そ、それだけじゃなくて、パパが『そんな滑る床にしたのは誰だ』って大広間から日本刀取り出して来たから、一斉に宥めたんだよ。ね、大変だよね、ね?」

「「「日本刀!」」」

「こんなことよくあるよね?」

「「「いやないからっ」」」

「え?」

 他にも血縁意外にも「家族」と呼んでいる人が100人近くいること、ボディーガードがいること、怪我人の発生率が異常なこと、その他、今までの日常が普通ではないことに気づいた日高は、まずお嬢呼びを禁止した。だが、習慣とは恐ろしいもので、なかなか改めてくれない。というより、改める気がないだけかもしれない。もう半ば諦め始めている。

 一番遠い人の顔が見えないほどの大広間で朝食を摂り、玄関へ向かうと、

「「「「「お嬢、本日もお役目ご苦労様です。」」」」」

 屈強なスーツ姿の男性が道を作って、一糸乱れぬ挨拶をしている。

 日高の表情が強張ったのは言うまでもない。


「ああ、疲れたー。」

 放課後のトレーニングを終え、日高が自室に戻って来た。

「えいっ。」

 可愛い掛け声とともにベッドに飛び込んだ。

「きっとこのトレーニングも普通じゃないんだろうな…。」

 ランニングに筋トレ、柔道や合気道などの武術に加え、人体の構造や武器の勉強なども行っている。

「ねえ、あなたはどう思う?」

 そう話しかけるのは、枕元に置いているサン〇オのキャラクターのぬいぐるみである。

「そうだよね。大丈夫だよね。こんなの家庭の事情ってやつだよね。こんなの誤差だよね。」

 10分程ぬいぐるみとの会話を繰り広げ、ぬいぐるみを指定の場所に戻した。

「こんな日は気分転換が必要よね…。」

 両手を広げた時よりも大きいクローゼットを開ける。日高の普段着、寝巻、お出かけ服、制服などがある中で一際目立つ服が並ぶゾーンあった。ちなみにトレーニング用の服は別室に入れている。

 日高は最も目を惹く服を手にとり、着替えを済ませる。

 頬は緩み、自然と踵を上下させる。

「そう、これこれ。この非日常感が堪らないのよね。」

 全身鏡の前でくるくる回って、大量のフリルやリボンを振るわせる。俗に言うゴスロリ衣装である。一度家族の前で来てみたが、何とも言えないような顔をされたきり自室でしか着なくなった。家族のことは大好きだけど、こういったところには共感をしてくれないのがちょっとした不満である。

 部屋を囲むように配置をしているぬいぐるみやクッションをゆっくり撫でたり、顔を埋めたりして過ごす。

「あー、早くミッションの日が来ないかな?」

 複数のぬいぐるみを抱きかかえ、その日を今か今かと期待に満ち溢れている。

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