第6話 初めてのサッカー観戦-1

 黛蒼空は忙しい日々を過ごしていた。

「いってきます。」

 親戚から貰ったお下がりのバッグを手に家を出る。キーーっと古びた団地のドアが閉じる。黛の家は母子家庭であり、かなり困窮している。母も体が弱く、働くことができないからだ。

 黛の制服や持ち物は全て親戚や友人からのお下がりである。黛が桜彩学園に入学したのもお下がりの中に桜彩学園の制服があり、学業特待で入学金と授業料免除だったからという徹底ぶりだった。

 また、放課後は近所の子供の面倒を見ることで、食事やお小遣いをもらっている。更には学校に内緒でこっそりバイトもしている。それでもかなりギリギリの生活だ。そこでサッカーの試合を見に行くのがミッションだとは思わなかった。

「困ったな…。」

 どう資金繰りに努めてもチケット代や交通費を考えると卒業までに達成できるとは思えない。たかだか数千円と思うかもしれないが、その数千円すら余裕がない。まして娯楽に回すなんて以ての外である。

 せめてチケットだけでも…と思い学校に到着すると、ある人物に話しかけた。

「なあ、駿河。申し訳ないんだけど、サッカーのチケットどうにか融通したりできないだろうか?」

 恐る恐る黛がお願いをする。相手は駿河蓮。高校生にしてプロのサッカー選手である。高校も推薦で合格し、最低限の出席のみである。無論卒業後もサッカー選手としての活躍が期待されている。

 そんな駿河ならもしかしたら…と思い、嘆願に来たのだ。正直他に当てはない。これでダメだったら八方塞がりである。

 動揺が過剰に伝わらないように、密かに息を飲む。

「良いよ。何枚欲しい?」

 あっけらかんとした態度での即答に驚いたが、折角なので近所の子も招待したい。サッカー場での試合という特別感の中で自分がコントロールできる子どもの人数を瞬時に割り出し、問いに答える。

「高校生1枚と子ども3枚、お願いできるかな?」

「そんなんでいいの?すぐ手配するよ。今週の土曜で良い?」

「ああ、よろしく。」

 毒気が抜かれた気になったとともに、ホッとしたのだった。


 サッカー観戦当日――。

「ねえ、見て見て!」

 子どもに手を引かれる。いつもお世話になっている近所の子どもにも、日頃のお礼にとご招待をしたのだ。といっても、駿河に手配をしてもらったのだが、そこはご愛敬である。

「こんないい席じゃなくていいのに…。交通費まで出してもらって…。」

 思わず口に出してしまったが、何と最前列だったのだ。しかも、貰った封筒にはタクシー代まで入っていた。お陰で子どもたちのテンションは爆上がりだ。

「おお、すげー。」

「ゴメス選手だ。本物だ。」

 子どもたちを優しい目で眺めつつ、グランドへ目を向ける。俺は駿河以外は知らない選手ばかりだったので、子どもたちのサッカー知識に驚く。

 早目に到着をしたので、選手たちはアップをしている。やはりプロの選手は動きが違う。一つ一つが洗練されて無駄がない。一人の選手のシュートがゴールに突き刺さる。

「ねえねえ、アレできる?」

「どうだろうね。」

 子どもの一人が興奮気味に問うが、回答を濁した。学校の体育でサッカーをしたことはあるが、バイトの体力温存のために極力セーブしていたし、実際どこまでできるのだろうか?

 そんなことを考えていると、ボールが俺の方へ飛んできた。ゴールから大きく外れた場所であったが、それなりの勢いのボールであった。子供達に当たらないように制止しながら、咄嗟に選手の動きを真似て足元へ収める。ボールが来た方向を見ると選手の一人が大きく手を振っている。

「ちょっと離れててくれる?」

 どうやら僕もテンションが上がっているらしい。子供達も期待の目で見つめてくる。

 4,5回小さくリフティングをして真上に大きく蹴り上げた。数歩下がり、助走の距離を稼ぐ。自身の身長を超える高さの打点で足を振り抜く。手を振っていた選手の元にボールが飛んでいく。選手も驚いた顔をし、ハンズアップで返す。

「「「わあ、凄い。凄い。」」」

 子供達もテンションも爆上がり。

 来てよかったと心底思った。


 試合開始時間は近づくと、スタンドはほぼ満席になった。すぐ後ろでは、ユニフォームを着た集団が、楽器を演奏したり、5メートルありそうな旗をダイナミックに振ったりしている。日頃、集団で盛り上がることもないため、熱気に呆気にとられる。

 本日の試合、駿河は先発出場をした。普段はベンチスタートの時もあるし、先発出場の時もある。そんな立ち位置らしい。

「ピ――――っ」

 選手入場を終え、主審のホイッスルの合図で試合が始まる。

 プロサッカーの試合は前後半45分ずつの計90分と長時間であるも、1、2点の勝負である。

 動きとしての派手さはなく淡々とした試合運びである。その中で、他を寄せ付けない熱量を持ってプレーしているのは駿河だった。正に鬼気迫るプレーだった。しかし、惜しいシーンはいくつかあったが、互いに点は決まらず、前半のアディショナルタイムに突入する。

 駿河のチームメイトの一人がサイドからセンタリングを上げるが、予想した軌道より遥か上を通り過ぎる。明らかなミスキックである。ゴールラインに向かってボールが転がり、前半の終了だろうと全員が心に一区切り付けた。駿河ただ一人を除いて。

 駿河は転がっていくボールを全力で追い、スライディングしゴールラインぎりぎりで止める。気の抜けた相手チームは慌てて守りを試みるも、一度乱れてしまったポジショニングでは組織での守りは難しく、フリーな選手が出てしまう。もし駿河がパスを出せば敵からのプレッシャー無くシュートを打つことができるだろう。

 しかし、駿河がパスを出すことはなかった。距離を詰めてきた敵を即座に交わし、ペナルティーエリアに侵入するや否な右足を振り抜く。

 放出されたボールは見事な弾道を描き、逆側のゴールネットを揺らす。

「ゴ――――ルッ!!!」

 今日一番スタジアムが沸き上がったシーンだった。

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