客人 厄…強火ファン②

「何とまあ、我ながら滑稽極まる」


 朝目が覚めて真っ先に困惑を覚える己に笑ってしまう。

 これがマヨヒガという異界で暮らすことに起因するものならまだマシだ。

 私が困惑を覚えたのはそこではない。そこはもう飲み込んである。

 私の困惑は、


「朝目覚める度に覚えていた怒りがなくなったのは良いことのはずなのだがな」


 何時頃からか。私は常に怒りの炎を裡で燃やし続けていた。

 唯一その炎から解放されるのは眠っている時ぐらいか。

 煩わしいと思っていたそれがこうも綺麗に消えていることに戸惑いを覚えたのだ。


「さてどうしたものかな?」


 上体を起こしてぼんやりと天井を眺める。

 胸焦がす怒りだけでなく職務からも解放されてしまったものでやることが思いつかない。

 無趣味というわけではない。少女漫画というせんせぇより与えられた立派な趣味がある。

 しかしそれは忙しい中でもしっかり楽しんでいたのでイマイチピンと来ない。

 そもそもここで漫画とか読めるものかも怪しいし。


「いや、頼めば彼が仕入れてくれるか」


 彼――昨日出会った坊野なるマヨヒガを管理者している男だ。

 三十手前ぐらいだろうか。取り立てて目を引く容姿ではない。平々凡々。

 性格も恐らく人並に善良といったところだろう。

 多少言葉を交わした程度なので断定はできないがそこまで外れていることはあるまい。

 私が間引く対象からは今のところ外れている人間なので度を超えた頼みでなければ受け入れてはくれると思う。

 が、世話になっている身でわざわざ使い走りを頼むのも忍びない。


「……とりあえず朝風呂でも頂くとしようか」


 何時までも天井を眺めていたってしょうがない。

 折角温泉があるのだからまずはさっぱりするのも良かろう。


(出会うことのない客人、か)


 大浴場前の入口には男湯、女湯という暖簾がかかっていた。

 私とは別の客人がマヨヒガに居るからこうしているとのことだ。

 確かに何となくではあるが私と管理者以外にも人の気配は感じていた。

 たが理屈は分からないが今の私が邂逅することはないという確信があった。それはあちらも同じだろう。


(恐らくかなりの実力者なのだろう)


 坊野と対面した際、私は一般人ならば恐怖で身を竦ませるぐらいの圧をかけた。

 しかし彼は立ち振る舞いこそ只人のそれなのにあっさり私の威圧を受け流してのけた。

 その理由が既に同じような経験をしていたから耐性ができていたというのなら納得がいく。


(ひょっとしたら私も知る誰かなのかもしれんな)


 脱衣所で服を脱ぎ中へ。

 まずは室内の浴場で頭を洗い身を清めてから露天風呂へ向かった。


「ほう、絶景だな」


 薄明の空、朝靄を纏った瑞々しい緑。

 澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込むと体の隅々まで浄化されていくような気がした。

 酷く穏やかな気分だ。自分でも驚いている。

 怒ったところでどうにもならない状況に置かれているというのもあるが、


「……この領域の特性か」


 沈静、癒しの効果が永続的に働いているのだろう。

 揺籃の中で微睡んでいるような錯覚を受けるほどにその力は強い。

 使い方次第では良からぬことに利用出来そうなものだが……いや違うな。

 人を害さないという制約があればこそか。

 私とて好んでストレスを溜めているわけではない。抗わず素直に受け入れるべきだろう。


「しかしそうなると少し物足りないな」


 これだけの絶景。折角だし山野を肴に一杯……そう言えば。


『マヨヒガの権能? みたいなのを一時的に君に付与した』


 部屋に案内された際、彼はそんなことを言っていた。

 着替えやら食事やらは私が望めば現れるとのことだ。

 ひょっとしたら娯楽品の類もこれでいけるか? いやまずは酒だな。


「はは、これは良い」


 念じてみれば徳利とお猪口の入った桶が湯舟に出現した。

 ではありがたくと早速、酒を注ぎ一息い飲み干す。

 かなり上等な代物のようだが銘柄は何だ? マヨヒガオリジナル?


「ふふ、もしそうならこれで一儲け出来そうだ」


 そんなくだらない独り言を漏らしつつ酒と景色を楽しんだ。

 ほろ酔い気分で脱衣所に入ると既に浴衣が用意されていた。つくづく気の利く家屋である。


「……」


 体を拭き鼻歌交じりに髪をドライヤーで乾かしていたが一瞬で良い気分が霧散した。

 鏡に映った一糸纏わぬ己の姿が原因だ。

 出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ女らしい肢体。

 女ならばどうだと誇りたくなるような見事なものだと思う。

 幼い頃から周囲の誰より発育が良かった。

 しかし私はある時期まで一度として己に女としての価値を見出せなかった。


「……嫌なことを思い出してしまった」


 父母の、というより祓主家のくだらない教育のせいだ。

 私の代で消すつもりだが……つくづく愚かな一族だ。

 能力はあるが有害寄り。間引くなら一族の半数も残らないだろう。


「リトルレディせんせぇに出会わなければ一体どうなっていたことか」


 嫌な気分を振り払うように頬を叩きパパっと着替えを済ませ浴場を後にする。

 朝食の時間だが食欲が失せてしまったのであてもなく館内をぶらついていると、


「む」


 気になるものを発見した。娯楽室という札がかかった部屋だ。

 これは私も利用して良いのだろうか? 良いよな。

 もし坊野が私的に使うためだというのならこうも堂々と部屋は用意しまい。

 一人ならまだしも私が訪れる以前から既に客が居たのだから。


「どれ……おぉ、色々あるな」


 中は空間を弄っているようでかなり広かった。

 温泉宿のお約束の卓球台からゲームの筐体まで色々と揃っている。

 視線を彷徨わせていると本棚が並んだ一画を発見。漫画コーナーのようだ。


「!」


 本棚のラインナップを見て驚愕に目を見開く。


「愛してるぜババア★★、貴様に直撃、ハバネロとトリカブト、枯れ落ちるお主らへ、彼氏彼女の死闘……」


 今読み上げたラインナップ以外にも……これも、これも、これもそうだ!

 本棚に収められた少女漫画の数々は私の好きな作品だった。

 リトルレディせんせぇがあとがきで紹介していたのが切っ掛けで私も手を出しハマったのだ。


「……ひょっとして私の趣向を反映して?」


 違うそうじゃない。手に取ってみて分かった。

 これは間違いなく外から持ち込んだ私物だ。

 大切に大切に何度も読み返しているであろう痕跡が窺える。

 坊野か、もう一人の客人のものか。

 後者なら会えないので無理だが前者ならばこれらの作品について語らえるということ。


「どれ確かめてみよう」


 本に鼻を近づける。

 一番深くこびりついた香りは……坊野のものだった。


「良い趣味をしているではないか! これは出来る人間のラインナップだぞ!!」


 人類間引き計画を発動させた際、大幅にプラス査定を下しても良いぐらい出来る人間だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る