第4話 予想外の妖

 最悪の朝だった。

 目が覚めて最初に見えたのが、几帳面に整頓されたベッドと、すでに制服に着替えて目眩を催しそうなほど分厚い本を読んでいる眼鏡野郎の背中だったからだ。


「……おはよう」

「やっと起きたか。遅いぞ」


 凪雲リクは時計へと視線を投げる。


「集合時間まであと45分。君の準備に15分、移動に20分、予備時間が10分。ギリギリだ」

「朝から細かい計算してんじゃねーよ……」


 俺は重い体を起こしため息をついた。  

 今日から本格的な実戦訓練が始まる。それも、よりによってこいつとチームを組んで。

 


♢♢♢


 学校が管理している演習場の一つ。郊外の『廃工場区画』に俺達はいた。

 錆びついた鉄骨、ひび割れたコンクリート、生い茂った草木などなど、いかにも妖の出そうな場所だ。


「全員集合っすね! 二人とも顔色が悪いっすよ?」


 現場に着くと、すでに監視役兼教官の神奈楽かんなぐらワカバが待っていた。


「誰かのせいで寝覚めが悪くてな」

「奇遇だね。僕もだ。誰かが視界に入るもんだからね」

「はいはい、わかったすから。喧嘩はよそでお願いするっす」


 俺と凪雲なぐもリクは、あの訓練以来何かと授業で一緒になる機会があったが、全く上手くやれる気がしない。

 俺達は正反対すぎる。今日もこうして仲が悪い。


 ワカバは端末を操作し、工場の見取り図を表示させた。


「それじゃ、始めるっすよ。

 今日の授業は、この区画に放たれた『訓練用妖』の討伐っす。動きは単調で攻撃力も低いっす。あくまで連携と、基礎的な霊式の確認用っすね」

「訓練とはいえ、実戦形式か」


 凪雲が眼鏡の位置を直しながら確認する。


「万が一の時は?」

「自分が介入するっす。ま、自分が出る幕なんてないと思うっすけどね。サクッと終わらせて購買のパンでも買いに行くっすよ」


 俺たちは頷き、廃工場の暗がりへと足を踏み入れた。

 俺はこういう授業が初めてだから詳しくは知らないが、凪雲の様子を見るにそこまで大変な訓練ではないのだろう。

 実践形式とは言っても、気楽なものだ。





 工場内は湿った空気が澱んでいた。  

 カツン、カツンと俺たちの足音だけが響く。


「……おい、凪雲。お前、なんか感じないか?」

「何がだ?」

「空気が重いっていうか……肌がピリピリするっつうか」


 強い妖の存在とか、そういうのかもしれない。何か本能的な、嫌な予感がする。

 ただ、ここはそもそも学校が管理している。そういう妖はいないはずなのだが……


「馬鹿な君の野生の勘か? 臆病風に吹かれたなら帰っていいぞ」

「あ? 誰が臆病だって」


 俺たちが睨み合った、その時だった。


「──ストップっす」


 先頭を歩いていたワカバが、鋭い声で制止した。  

 彼女のいつものおちゃらけた雰囲気は消え失せ、その小さな背中から凄まじい殺気が立ち上っている。


「……妙っすね」

「どうしたんですか、ワカバさん」

「おかしいっす。訓練用の妖にしては、霊力が強すぎるっす。

 それに……数が合わな──」


 ワカバが周囲を見渡した瞬間、工場の窓ガラスが一斉に割れた。


 ガシャアアアアンッ!


「ッ!?」


 飛び込んできたのは、四つ足の獣のような形をした妖の群れだ。

 ワカバのひどく焦った様子から、その妖が訓練用とは明らかに違うことが分かった。

 妖達から溢れる凄まじい殺気。ただ向かい合うだけで、汗が止まらない。


「なっ……なんだこの数は!」

「やっぱりおかしいっす! ……二人とも、ここは自分が食い止めるっす! 二人は本部に連絡するっす」


 ワカバが素早く呪符を取り出し、群れの前に立ちはだかる。


「でも、授業は──」

「馬鹿! 状況を見ろっす! 自分がこいつらを抑えてる間に、出口へ向かって学校に連絡するっす!」


 ワカバの声に焦りが混じる。  

 その時、群れの一体が俺達を無視して出口の方へと走った。


「あっ、しまっ──!」

「行かせるか!」


 俺と凪雲は反射的にその妖を追って、出口の方へと走った。

 

 背後でワカバの「そっちは任せたっす」という声が聞こえる。

 ワカバは、俺達二人の実力なら妖一体は問題ないと判断したのだろう。

 俺達が一体を対処する間に、恐らくワカバは群れの残り全部を相手にするはずだ。

 なら、俺たちがやるべきことは一つ。群れから抜けた一体をさっさと片付ける。



 妖を追いかけて、出口の付近の開けた場所たどり着いた俺達はそこで足を止めた。


「……は?」


 俺達の声が重なった。  

 そこにいたのは、追ってきた獣型の妖ではない。そいつはすでに「何か」に喰われていた。


 天井の鉄骨に張り付く巨大な影。蜘蛛と人間を継ぎ接ぎしたような醜悪な姿。

 八つの赤い目が、ギョロリと俺たちを見下ろしている。


「な……なんだ、あれは……」


 凪雲の声が震えている。

 この工場に入ったとき、俺が感じた嫌な予感の正体は間違いなくこいつだ。  

 

 こいつの圧迫感、威圧感、恐怖。かつて孤児院を襲った妖と同等、いやそれ以上の妖だ。


「おい御影、逃げるぞ。あれは僕たちの手に負えない」

「……同意だ。撤退するぞ」


 凪雲の提案もあり、俺たちは即座に踵を返した。

 だが、遅かった。


 ヒュンッ。


 風を切り裂く音と共に、白い糸のようなものが射出される。

 それは俺たちの退路である扉を粉砕し、瓦礫の山で道を塞いだ。


「退路を……断たれた!?」

「キシャアアッ!」


 怪物が天井から落下してくる。  

 地面が揺れ、土煙が舞う。


「来るぞ!」


 俺は咄嗟に横へ飛んだ。凪雲も反対側へ転がる。

 直後、俺達がいた場所に巨大な鎌のような脚が突き刺さった。そこは地面が崩壊していて、直に攻撃を喰らっていたらひとたまりもなかっただろう。


「くっ……≪霊式・祓雨はらいあめ≫!」


 凪雲が呪符を使い、雨のように無数の霊弾を展開する。

 霊弾すべてが妖に直撃していた。

 だが、全くダメージが入っていない。


「駄目だ凪雲! 効いてない!」

「分かってる! 僕が気を引いている内に御影が攻撃しろ!」


 凪雲はさらに気を引こうと、果敢に妖の懐へ飛び込んだ。俺はそのうちに後ろから妖に近づく。


 凪雲の動きは速く、いつもの訓練で見せる無駄のない洗練された動きだ。

 

 そうして凪雲が怪物の腹部を捉える──はずだった。


 ガギンッ!


 硬質な音が響く。  

 柔らかそうに見えた妖の表皮は、鋼鉄のように硬かった。


「なっ──硬い……!?」


 凪雲の動きが一瞬止まる。  

 その刹那、妖の複数の脚が凪雲を薙ぎ払った。


「がはっ……!?」


 まるでボールのように吹き飛ばされ、凪雲はコンクリートの壁に激突した。  

 ドサリと崩れ落ちる体。口から大量の血が吐き出される。


「凪雲!!」

 

 怪物は興味を失ったように凪雲から視線を外し、今度は俺の方へゆっくりと向き直った。


「……ぐ、ぅ……」


 壁際で凪雲が動こうとするが、足が変な方向に曲がっている。見るからに折れていた。  

 俺は怪物と距離を取りながら、凪雲の方へじりじりと寄った。


「おい、大丈夫か!?」

「……肋骨が……数本逝った……足も、だ……」


 凪雲は大量の汗と血を流しながら、割れた眼鏡越しに俺を見た。


「御影……聞け」

「喋んな、傷が開くぞ」

「……妖祓士の規則……第4条7項」


 凪雲は突然、妖祓士の規則について話し始めた。

 凪雲の行動原理は規則であり、規則が基準で最適解。だから、きっと今もこの状況の最適解を話そうとしている。


「……『勝機が見込めない妖に対して、移動が可能な者と不可能な者がいる場合……可能な者は即座に離脱し救援を要請せよ』……」

「……は?」

「僕は動けない。……だから囮は……負傷者の僕が務める。それが、被害を抑えるための……最適解だ」


 凪雲は震える手で呪符を取り出し、ふらりと立ち上がろうとした。


「僕が……あいつの注意を引く。その隙に、君は上の天窓から逃げて学校に……報告を……」

「ふざけんな! 死ぬぞお前!」

「全滅するよりマシだ!」


 凪雲が叫んだ。

 その目には、恐怖よりも強い覚悟のようなものが宿っていた。


「僕は妖祓士になるんだ……規則を守り、最善の手を打つ。……君のような半端者とは違うんだよ……行けッ!!」


 凪雲はわざと憎まれ口を叩き、俺に逃げるように仕向けた。

 

 そんな凪雲は足を引きずりながら、妖に向かって残りの力で霊式を使った。

 妖が反応して鎌のような脚を振り上げ、死にぞこないの獲物に止めを刺そうとする。



「……早く、逃げろっ!」


 理屈は分かる。凪雲の判断はきっと正しい。それが最善だ。

 俺が逃げて助けを呼んでくる。それが一番生存確率が高い方法だ。凪雲らしい合理的な判断。


 でも。

 嫌な映像がフラッシュバックする。血の海、冷たくなっていくハルの手。

 あの日の惨状が鮮明に思い浮かんでくる。


 またか。また俺は、誰かを犠牲にして生き延びるのか?

 規則だから? 最適だから?


 ……違うだろ。 そんなもののために、俺はここに来たんじゃない。  

 ハルの死に意味を持たせるんだろ? 妖祓士になるんだろ?  

 なら──こんなところで見殺しにしてたまるかよ!


「──っあああ!!」


 俺は吼えた。  

 体が動いていた。気付いたら凪雲の前に移動していた。

 

「御影!? 何を──」


 俺は凪雲の前に割って入り、振り下ろされた妖の脚を、霊力で強化した腕で受け止めた。


 重い。骨がきしむ。痛い。硬い。

 だが、耐えられる。  

 体の中から熱いものが溢れ出してくるのを感じる。


 凪雲を守り、死なせないという感情の昂り。それら全ての感情が、強大なエネルギーとなって全身を巡る。


「……馬鹿か君は! なぜ逃げない! 規則違反だぞ!」

「うるせえ! 目の前の仲間も見捨てて何が最適解だ!」


 俺は脚を弾き返し、妖との距離を詰めた。


「俺はもう二度と! 誰も死なせないと決めたんだ!」


 感情が昂ぶるほど、視界がクリアになっていく。力もどんどんみなぎってくる。

 烏羽シンヤの言う通り、感情の昂りが俺を強くしている。


 妖の動きが遅く見える。  

 

 身体能力が向上しても恐怖はある。だが、それ以上に「死なせない」という昂った思いが体を突き動かす。


「《霊式・断閃》ッ!」


 俺の放った手刀が白く輝く刃となって妖の装甲を切り裂いた。  

 攻撃を受けたことで、妖の身体からは緑色の液体が噴出していた。


「ギシャッ!?」


 妖が怯んだ。俺の攻撃に怯えているのだ。

 自分にダメージを入れられたからだろう。


「凪雲! お前の頭を貸せ! こいつの弱点はどこだ!」

「……っ、はは、本当に君は……大馬鹿だ」


 背後で、凪雲が力なく笑う気配がした。  

 だが、その直後奴の声には理性が戻っていた。


「……恐らく頭と胴の継ぎ目だ! さっきの霊式でそこだけ攻撃が効いた!」

「了解!」


 あいつ一つずつ確認しながら霊式使ってたのかよ。すげえな。


 俺は地面を蹴り、妖に近づく。

 妖はひたすらに白い糸のようなものを噴出し続けるが、避けて、弾き、避けて、弾きを繰り返す。


 そうして俺と妖の距離はわずか数センチ。


「いけ、そこだっ!」

「おらぁっ!」


 俺の霊式が頭と胴体を切り離す。

 妖の頭だけが空中に放り上げられる。


「これで──終わりだ」


 俺は残った全ての霊力を右手に収束させ、高く飛んだ。

 ハルを想う気持ち。凪雲を死なせたくない気持ち。全ての感情をこの腕に乗せて。


「《霊式・断閃──絶》!」


 閃光が走る。  

 水平に放たれた一撃は妖の頭ごと消し去った。


 頭が崩壊したことで、残っていた胴体も崩れ始めやがてその体は黒い塵となって霧散していった。


「……はぁ、はぁ……」


 俺はその場に膝をついた。  

 霊力を使い果たし、指一本動かせない。


「……無茶苦茶だ、君は」


 壁際で座り込んだまま、凪雲が呆れたように言った。


「規則を破り、助けを呼ぶどころか、二人で死ぬリスクを冒して……妖祓士になる者として最低の判断だ」

「……結果、勝っただろ。文句言うな」

「ああ。結果だけを見れば、ね」


 凪雲は痛む脇腹を押さえながら、眼鏡を外し、ふうっと息を吐いた。

 その顔にはいつもの険しい敵意はなかった。


「……悔しいが、君の規則破りがなければ僕は死んでいた。君が規則を破ったから、僕は助かった」


 凪雲は俺の方を見ずにボソリと呟く。


「……今回は、君の無茶苦茶なやり方に救われたことを認めてやる。……礼は言わないがな」

「俺も、お前の気付きがなきゃ倒せなかった。……礼は言わないけどな」


 俺たちは顔を見合わせ、鼻で笑った。  

 仲良くなったわけじゃない。俺からすれば凪雲は堅物で、凪雲からすれば俺は規則破りだ。  

 でも、少なくとも「背中を預けられる程度」には俺達は互いを知った気がする。




「二人とも無事っすかー!」


 瓦礫で塞がれた所から、瓦礫を粉砕して埃だらけになったワカバが駆け込んでくるのが見えた。

 どうやら向こうも片付いたらしい。    


 また守れた。

 最強の妖祓士に近づけてるかな、ハル。


 心の中でそう思うと、疲れのあまり泥のように眠りに落ちていった。

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