第3話 最悪な奴


 転校初日のホームルーム。  

 教壇に立った烏羽からすばシンヤは、チョークをへし折らんばかりの勢いで黒板に文字を書き殴った。


 ──『霊力』×『感情』=『力』。


「今日は新入りもいることだ。妖祓士あやかしばらいとしての基礎をもう一度伝える。

 いいか、お前ら。妖祓士にとって最も重要なのは霊力の総量ではない。いかに世界を感じ、感情を昂ぶらせ、それを霊式に乗せるかだ」


 烏羽の鋭い視線が、教室全体を、そして最後に俺を射抜く。

 この話は俺が小さいときにも聞いていた。霊力より感情が大切だと。

 だから、多様な感情に囲まれていた当時の俺はそこそこの実力があったのだろう。

 だが今は。


あやかしは、人の負の感情や淀みが具現化した存在。対して我々妖祓士は、己の感情を刃に変えて奴らを祓う。希望、歓喜、愛情、そういった善の感情だ。

 心の振れ幅こそが、霊式を鋭く研ぎ澄ます」


 感情を刃に。  

 その言葉が俺の胸に重く響く。

 ハルの死に意味を持たせよう。そう決断した。だが、それでもハルのことは完全に吹っ切れていない。

 無力感、やるせない気持ちをまだどこかに抱えている。


「特に重要なのは『感情』だ。心が死んでいれば、どんなに才能があっても霊式は紙切れ同然になる。だからこそ、この学校がある」


 烏羽は黒板を指の背で叩いた。


「ただ技術を学ぶだけなら訓練施設でいい。だが、ここは違う。訓練だけでなく、感情を高められる場所だ。

 俗に言う『青春』という生活の中で、お前らの錆びついた感情を磨き上げ、昂らせろ。それが妖祓士への道だ」


 青春か……   

 俺は小さく息を吐いた。

 ハルが死んでから俺は心を閉ざしてきた。悲しまないように、傷つかないように。

 それを今さら「昂ぶらせろ」と言われても、できるのだろうか。


「特にお前だ、御影ツジキ」

「……はい」


 俺の考えを読んだかのように、烏羽は俺に注意喚起をする。


「よし。ホームルームはここまでだ。次は実技を行う。訓練場へ移動しろ」


 ◇


 コンクリート打ちっぱなしの広い訓練場。 生徒たちは皆、動きやすい訓練着に着替えていた。


「これより対人戦闘訓練を行う。霊式の使用は禁止。純粋な体術のみでやり合え」


 烏羽の号令とともに、生徒たちがペアを作っていく。  

 俺は周りを見渡したが、転校初日ということもあり、誰に声をかければいいか分からない。唯一の知り合いのワカバは女子生徒と組んでいるようだ。


「おい、そこの転校生」


 声をかけられた。  

 振り返ると、一人の男子生徒が立っていた。 線の細い体格に、整えられた黒髪。眼鏡の奥にある瞳は理知的だが、どこか冷ややかな光を宿している。  

 見た目の印象だけで言えば、運動系という感じはせず、むしろ勉学系といった風貌だ。


「ペアが決まっていないなら、僕が相手をしてやる」

「助かる。俺は御影ツジキだ」

「知っている。君があの『ルール破り』だろ?」


「……は?」


 握手をしようと出した手が、空中で止まる。  

 彼は俺の手を無視し、蔑むような目で見下ろしてきた。


「僕は凪雲なぐもリクだ。……僕はね、君のような人間が一番嫌いなんだ」


 凪雲リクと名乗ったその男は、嫌悪感を隠そうともしなかった。


「規則も守れず、力の使い方も弁えない。そういう無秩序な人間が、組織の規律を乱し、誰かを危険に晒す」

「……事情があったんだ。それに、俺だって好きで破ったわけじゃ──」

「言い訳はいい。構えろ」


 有無を言わさぬ口調と共に、凪雲がすっと半身に構えた。  

 重心が低く、全く隙がない。教科書の手本のような、完璧な構えだった。


「……随分と言ってくれるな」


 俺も構えを取り、前へ出る。  

 ブランクはあるが、元々体術は優秀な方だった。だから、体術でそう簡単に遅れを取るつもりはない。  


 そう思っていた。


 だが──


「予備動作が大きい」


 凪雲は表情一つ変えず、最小限の動きで俺の拳を掌で逸らした。  赤子の手をひねるかの如く、俺の攻撃はいなされた。


「なっ!?」


 攻撃を流され体勢を崩した俺の懐に、凪雲が滑り込む。


「──≪流≫」


 トン、と軽い衝撃が胸元に走る。  

 力任せではない。俺が前のめりになった勢いと体重移動を利用した技術だ。  

 

 視界が回転する。  

 気づいた時には、俺は天井を見上げて背中からコンクリートに叩きつけられていた。


「がはっ……!」


 肺の空気が強制的に吐き出される。


 何が起きた? 

 今の動きは教科書通りの基本動作。相手の力を受け流して、自身の攻撃として利用するという基本的な動き。

 だが、それをここまで完璧に実戦で使える奴がいるのか? いや、それとも俺のブランクがあまりにも大きすぎるのか?


「……弱いな。基礎がなっていない」


 凪雲は冷ややかな目で見下ろしながら、眼鏡の位置を直した。


「君の動きは感情任せで雑だ。だから嫌いだ。そうやって一時の感情に身を任せる、そんなところがね。

 僕みたく冷静にいなよ。」

「くそっ……!」


 俺は跳ね起き、再び掴みかかろうとする。  

 だが、凪雲はそれすらも冷静に処理した。俺の手首を掴み、関節の可動域の限界ギリギリまでねじり上げる。


「ぐあああっ!」

「──≪捕≫」


 激痛のあまり膝をつく俺の耳元で、凪雲が淡々と告げる。


「ワカバさんだったか? 彼女もかわいそうだな。君みたいな奴の監視をするなんて」

「……そうだ、聞きたかったんだよ。監視役ってなんなんだ?」

「そんなことも知らないのか。やはり、君のような人間は嫌いだね。」


 凪雲は腕の力を緩めず、いやむしろ強めて、さらに言葉を続ける。


「監視役は、その名の通り君の監視さ。

 君がまたルールを破って暴走しないよう、首輪をつけるためにいるんだよ。霊式を無断使用するような奴は、誰かが見張っていなければ次にいつ独断で規則を破るか分かったものじゃないからね

 ……もっとも僕が烏羽隊長の立場なら、即刻処罰を申請していただろうけどね」



 凪雲が腕の力を緩めたかと思うと、また基礎的な技術を使って俺を投げ、俺は再び無様に地面に打ち付けられた。


「立て。訓練はまだ終わっていない」


 結局、その後の訓練中、俺は凪雲に攻撃をすることも出来ず、ただ一方的に凪雲に投げられるだけだった。


♢♢♢


 放課後。  

 全身の痛みと、それ以上の精神的な疲労を引きずりながら、俺は男子寮の廊下を歩いていた。


「あーあ、散々だったな……」


 あの凪雲とかいう奴、絶対に性格が悪い。 確かに無断使用は俺が悪いのかもしれないが……

 

 はあ……これからの学校生活、あんな奴らばかりなのだろうか。

 あいつ以外にも、無断使用したことで俺は嫌われているのだろうか。

 これじゃあ感受性を磨くどころか、ストレスで胃に穴が空きそうだ。



「205号室……ここか」


 指定された部屋の前に立つ。  

 二人部屋だと聞いている。同室の奴が良い奴であることを祈るしかない。  

 少なくとも、あの眼鏡野郎のような奴でなければいいが。


 俺は祈るような気持ちでドアノブを回し、扉を開けた。


「失礼します──」


 部屋に入った瞬間、俺の動きが固まった。  

 部屋の奥にある机で、教科書を広げて予習をしていた人物がこちらを振り向く。


 黒髪。眼鏡。そして、冷ややかな瞳。


「……」

「……」


 数秒の沈黙。

 俺とそいつ──凪雲リクは、互いに目を見開いたままフリーズした。


「……なんで、お前がここにいる」

「それは僕のセリフだ」


 凪雲は手に持っていたペンをパキリとへし折った。  


「最悪だ……よりによって、一番嫌いな奴と同室だなんて」

「こっちの台詞だ! 誰が好きでこんな堅物と!」



 俺の波乱に満ちた妖祓士生活は、どうやら俺の想像を遥かに超えて前途多難なものになりそうだった。

 

 


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