1.Where is this…?
01
ミアシュは真白神殿の養い子、当年十二でとりあえず神殿の巫女見習いだが、第二次性徴で適性が発現すれば使役者になれるかも、なのでまだ将来は未定である。
誰だって使役者でありたいが、こればっかりは遺伝がものをいう。父親は、本国シグリーズの有力家門のひとつで、使役者の家系につき、可能性は高い。母親の方はそうではなく、おまけに妾という立場だったので、数年前、行儀見習いを口実に、ミアシュはあっさりと神殿に厄介払いされた。……グレてもいいところだが、どっこい、真白神殿はまったく子供が不良化するのに向かない環境だった。なにしろ外部から隔絶されているし。女性ばかりの大所帯だし。お姉さま方は最年少のミアシュをかわいがりまくるし。……だいたい、健康で元気な女の子は、いつまでも過去の不幸にばかり囚われたりしないものである。
そんなミアシュは、桃色がかったふわふわした頭髪をなびかせて、神殿の外庭をけっこう本気で走っていた。年相応にガリガリで、日によく焼けてて、そばかすもいっぱい。見習い巫女の装束だが、下だけは動きやすいように五分丈のぴったりした脚衣を
あの方より、自分の手習いが終わるのがあとだなんてっ! バカバカ、大切なあの方を待たせてどーすんのっ!? あたしがお世話してるのにっ! あの方にとって、あたしはなくてはならない存在なのよっ! ……ミアシュ、ありがとう。ミアシュ、いてくれてすごく助かってる、って、あの、うっとりしちゃうお顔で何回いってもらったと思ってるのっ!? すんごく弱々しくって、なんにもものを知らなくて、控えめで、照れたみたいに笑って……
しあわせだわ、あたし。使命感って、人生を明るくするのねっ!
……と、ここ十日ほどはべつな理由から、女の子の気分はさらなる上昇気流にのっている。
神殿の敷地の、ずっと山際のところに、お湯の湧き出る岩場があり、そこに
いつでも使える足湯があって、ミアシュの大切なあの方は、最初に案内して以来、ここがお気に入りだ。昼間の用事を終えた、午後の遅いひととき、涼しい風に当たりながらここで過ごすのが、もう日課みたいになっている。
木立の陰から顔を出すと、はたして、東屋の中にうつむいた人影があった。
「サリュウさまぁぁ!」
「ミアシュ」
その
といっても、年の頃は、ミアシュとそこまで変らない。神秘の生まれの方ゆえ、正確な年齢はわかりようもないが、見た感じ、三つ、せいぜい五つぐらい上の、まだ成人前の少女である。ただし、神秘のきわめつけというべきか、この世のものじゃないみたいに美しかった。
長く豊かな波打つ銀色の髪、紫水晶のような美しい瞳、肌は陶磁のように白くきめ細かで、この上なく愛らしい顔かたちである。均整のとれた体つきで、夏場の露出の多い薄地の服から、はっとするほど白くて細い手足がのぞいている。……ちなみに今朝も、服を選んだのはミアシュだ。あ・た・し・が! 選んだ! ……ここ、重要である。
「サリュウさまっ、うわあ、やっぱりレース編みの上着、正解でしたねっ! よくお似合いですぅ!」
「しゃべってると危ないよ」とやさしい声。
ミアシュが大好きなこのひとは、山ほどある衣装を前に、なにを選んだらいいのかいつも途方に暮れるのだ。そこでミアシュが、これにはこれが、こうしたら、と合わせて差し上げる。すると、ミアシュをしあわせにするはにかんだ笑顔を浮かべて、ありがとうとやさしくいうのだ。 ……こんな! 服選びなんて楽しくて仕方ないことをまかせてくれて! しかも感謝してくれて! ……もう一生、これを仕事にしていたい。
足湯のある一帯は、ごろごろと手つかずの岩が転がっている岩場である。濁った湯があちこちから染み出ているので、いつも濡れていて滑りやすい。ミアシュはぐらりと態勢を崩した。
「……あっ」
「ミアシュっ!」
ぱっと大岩に手をついて事なきを得る。東屋の中で立ち上がって、蒼白になっている美しい造形の顔が、ほーっと大きく息をついた。
「ミアシュ、もっと気をつけないとダメだよ? 大きな傷でも残ったらどーすんの」
「これぐらい、平気ですよぉ。ミアシュ、木登りだって得意です」
「そうなの? ……小さな女の子には近づかない、を徹底してたからよく知らなくて」
東屋にたどり着いたミアシュは、目をぱちくりさせて聞く。「なんでですかぁ?」
「通報されるかも……じゃなくて、こわがらせちゃいけないから」
「サリュウさま、こわくないです。お目覚め前にそんな夢を見られてたんですか?」
「うん、日本という国の。……そーゆーのって、なかなか抜けないもんだね……」
少しさみしそうなきれいな顔にキュンときて、ミアシュはおもいっきりサリュウに抱きついた。
「ひゃあっ」
悲鳴を上げて、美しい少女は硬直した。ほほをばら色に染めた、頼りなげな細い肢体。
「サリュウさま、おやさしくって、ミアシュ、大好きですぅ」
「ありあり……ありがとう」
*
おれ――外見は美少女であるところのサリュウ・アズリーンは、小さい年下の女の子のスキンシップが積極的なことに驚嘆の思いを禁じ得なかった。……いや、驚嘆するのはそこじゃないだろ、異世界にいることの方だろ、って話ではある。
目覚めたら、女ばかりの神殿だった――
男の妄想が具現化したような状況だ。右も左も美人のおねーさんだらけで、あの娘もこの娘もおれを取り合って、モテモテのパラダイスが――などという、おいしい話でないことが残念でならない。
一週間ほどは寝込んでいた。身体がなじまないせいなのか、とうぶん高熱にうかされた。ようやく少しは動けるようになってからも、ひ弱なままである。木登りもできないから、ミアシュ以下だ。エンタメ界隈では、男が女になったら、突如、怪力になったり男同様の身体能力を得られるというのがお約束だが、だまされた、そんなのはウソだった、意識がおれでもこの子の筋肉量は増えはしないし、男みたいに動こうとしたらコケる。男のようになんにつけムラムラもムクムクもしない。……ないんだから当たり前か。
こんなはずじゃなかった――!!! ……との、さもしい男の嘆きはひとまず置いておくとして、突然始まったここでの暮らしは、そう悪いものではなかったのである。 ……いや、正直にいおう。あり得ないほどよかった。手厚く看護された後は、敬われかしずかれ、貴人のあつかいだ。
「サリュウさまのお披露目ってまだまだ先なんですかねー?」
おれの隣でパシャパシャと足湯を跳ねている、元気でかわいい世話係。
「何しろ銀鈴の巫女姫さまの降誕って、ミアシュの生まれるずーっと前の前、この国ができる前のことですもん。きっと島を上げてのものすごいお祭りになりますよぉ。うふっ、すごいたのしみっ」……こんな子がおつきの生活であることに、一抹の罪悪感を感じなくもない。
男であったら、曖昧で胡散臭い笑い――なぜか美少女だと、控えめでやさしげな微笑み――を浮かべ、
「そんなのまだぜんぜんムリにきまってるでしょ。……いまはナルーシャとアレッサの話を聞くぐらいで精いっぱいかな」
きょくりょく女口調を意識して……しゃべる。声は抜群にかわいいのだが、なんともぎこちない。
「うくぅっ、神官長さまと神職の司さま! ミアシュがお話したの、世話係をおおせつかったときぐらいです。巫女姫さまは特別ですねっ」
そうなのだ。ここのところ、この神殿のツートップであるふたりの女性が、わざわざ時間をとって、作法だの手習いだの個人授業をしてくれている。なんかの生け贄にするつもりとかなら、ここまでの手間ひまをかけないんではなかろうか……?? ……と、もはや警戒心もゆるみまくってしまっているのである。
のんびりと足湯につかりながら、涼しい風に吹かれている、極上の時間――
「……ときどき踊っとけば優雅に暮らせる……? あああ誘惑無限大だよ、雇用条件よすぎだよ、どんだけ帰る気力を削ぐ気だよ……」
わけもわからず放り込まれた世界が、中世ヨーロッパみたいな糞尿臭ただようようなとこだったら、王さまにしてくれるといっても帰りたかったと思う。ところがここはぜんぜんそうじゃなかった。……清潔で、快適で、三食おいしいご飯がでてくる何不自由ない生活で、朝起きて鏡を見ると、とんでもない美少女が映るので、だんだんもとの自分の顔を思い出すのがいやになってきた。帰らなきゃ、がだんだん帰る必要ある? ……になってきて、いまや帰る方法を探そうという意欲さえ減退気味である。
「……ただのフリーターだったしなあ。……あ、いまはニートか」
おれである少女のつぶやきを聞きつけて、ミアシュがキラキラした目で反応した。「また日本のお話ですか? にぃとは使役できるんですか!?」
アズリーンは翻訳脳を持っている――かどうかは知らないが、そうとしかいいようのない能力があるのは事実だ。最初はよく聞き取れなかったここの言語を、あっという間に日本語そのもののように理解できるようにした。こちらが話す言葉も最適化するのだが、横文字言葉なんかは、意訳したりしなかったり。音がそのままでてしまったときは、なんか意味不明なことを口走ってる感じになる。
ミアシュは、おれの口からでる言葉はぜんぶいいものだと思っていて、いいものは役に立つ、だから使役できるのかも、ってなるらしい。
「ええと、その図を想像すると哀しくなるから、いわないでおいてね?」
「にぃとは小さくてかわいい生きものなんですか? うふ、サリュウさまにぴったり! 日本って、かわいいものばかりいる別世界なんですね!」
ミアシュのイメージする日本は、たぶんめちゃファンシーにアレンジされている。
「うーん、別世界のとこだけあってるかな。私にとってはここがそうだから、もっといろいろ勉強して、早く慣れないと」
「きゃあ、サリュウさま、ごりっぱですぅ! ミアシュ、手習いそっちのけで、サリュウさまのとこに来たくなるのに。明日から、ミアシュも気合い入れます!」
……あうっ、こんな子に慕われてるとか、やっぱ帰らなくていい気しかしない。
とはいえ、おれ自身が女である。そりゃあアズリーンは見たこともないぐらいの美貌の少女で、最初は眺めるのも触ってみるのもすごくドキドキでウキウキ、背徳感満点だったけど、いまはそうでもない。自分はしょせん自分だし。アズリーンが男のおれを好いてくれるんだったら、天にも昇らんばかりにうれしいだろうけど――ふ。人間なんて欲深いもんだからこの際言っちゃうけど、どうせならアズリーンの男バージョンで転生ってのが最高だったな。そしたらどんなロマンスもハーレムも思いのまま……
「はぁれむは使役……」
「ひゃあああっ、ごめんなさいっ」
………と、おれである美少女が真っ赤になってミアシュの口を押さえた、現在地。
ただし、ここに至るまでには、恐怖と混乱とが錯綜した時間があったのだ。
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