第一章 王国の盾、辺境伯アレスの誕生
第1話 その日、俺の自由は死んだ。
辺境伯領ファルクナーの領都から離れた小さな別邸は、アレス・ファルクナーにとって最高の隠れ家だった。
彼は朝は遅く起き、日中は書斎に籠り、難解な兵法書や歴史書を読むのが日課だった。ティーカップを傍らに置いた机の上には、いつも使いかけの羽根ペンと、鑑定スキルで分析した古美術品のメモが散乱していた。アレスは常にC、知力:S+**という自身のステータスを認識しており、戦場に出るよりも書斎で戦略を練ることにこそ、自分の価値があると考えていた。
宝石の名を冠するエーデルシュタイン王国。その王都では、権力と富に溺れた貴族たちが日々、舞踏会や派閥争いに明け暮れている。しかし、伯爵家の次男であるアレスは、そうした喧騒とは無縁だ。
彼の人生の目標は一つ、「悠々自適な日々を謳歌すること」に尽きる。
彼の自由は、「王国の盾」と呼ばれ、エーデルシュタイン王国の辺境防衛とファルクナーの全てを背負う長兄アーヴィンの存在の上に成り立っていた。
広々とした書斎の窓から差し込む午後の陽光のもと、アレスは古めかしい地図を広げ、指先でその紙質をなぞった。
「さて、鑑定」
心の中でスキルを発動すると、脳裏に情報ウインドウが開く。
対象:『古代アルカディア帝国時代の軍用マップ』
状態:劣化(中)、真贋:真
価値:★★★★☆
この【鑑定】こそが、アレスの唯一の特技だった。戦闘能力も魔力も凡庸だったが、すべてを数値化し、真実を暴くこのスキルのおかげで、彼の趣味である歴史研究や骨董品収集は、学者顔負けの深みに達していた。
兄アーヴィンは、五年前の「血の谷の防衛戦」において、圧倒的な異民族の波状攻撃をわずか一昼夜で押し戻した英雄だ。その武勲以来、国境の平和は保たれてきた。エーデルシュタイン王国の誰もが、武勇と経験の塊である兄がいる限り、辺境は安泰だと信じていた。
彼は趣味で、兄のステータスも鑑定したことがある。
『アーヴィン・ファルクナー』武力:S+ / 知力:B / 統率力:S / 魅力:A
その数値は、間違いなく辺境の守護者に相応しいものだった。
武骨な長男、アーヴィンが、自ら鎧を纏い「王国の盾」として国境を守る。そして、次男である自分は、優雅な知識人として趣味に興じる。この完璧なバランスこそが、彼の望む人生だった。
アレスは兄の武勇と実直さを尊敬し、戦場とは無縁の自身の生活に安堵しており、その兄がいる限り、アレスの平和は揺るがないはずだった。
「今日も平和で何よりだ」
彼はそう呟き、ティーカップに手を伸ばしたーーーその瞬間、遠くで馬の蹄の音が慌ただしく別邸へ向かってくるのが聞こえた。その音は、これまでの平穏を打ち破るかのように、やけに慌ただしく、荒々しかった。
玄関先で対面したのは、代々ファルクナー家に仕える騎士の娘であり、騎士見習い時代からアレスと親交のあったレイナだった。
彼女はアレスの数少ない幼馴染であり、騎士団で伝令役を務めていた。
幼馴染のただならぬ雰囲気に、アレスは平静を装いながらもスキルを起動する。
対象:『騎士・レイナ』 武力:B / 知力:C+ / 統率力:B- / 魅力:B
状態:極度の動揺、体力の限界
情報:極秘(悲報)
親愛度:最高
アレスは鑑定結果から全てを察した。
「レイナ、慌てず、話せ。何があった」
レイナは馬から降りるなり、血の気の引いた顔で声を絞り出した。彼女は一瞬、アレスの姿に縋り付くのを躊躇い、軍人として必死に声を整えた。
「アレス様.......!大至急、領都へ......!アーヴィン伯爵様が、最前線で......」
言葉を詰まらせるレイナに代わり、アレスの脳内に、残酷な事実が情報として流れ込んできた。
兄、アーヴィン・ファルクナー伯爵が、エーデルシュタイン王国の国境を侵す異民族『ヴァルガ族』との戦闘中に戦士した......と。
アレスは、手にしたティーカップを床に落としかけたが、間一髪で踏みとどまった。「「無理だ。俺の武力はCだぞ。俺には、辺境を、この家を継ぐ資格はない」 脳裏で抵抗が叫ぶ。
しかし、レイナは、兄アーヴィンが戦場に経つ直前に託したという、紋章入りの封蝋が施された書状を震える手で差し出した。
「伯爵様のご遺志です。我々は、アレス様が直ちに家督を継ぎ、ファルクナー家を、そして辺境を守ることを切望しています」
兄の死という悲劇、そして何よりも自由を奪われることへの抵抗感が、アレスの胸を締め付けた。経験と武勇の塊だった兄を失い、国境の防衛性が崩壊寸前。この絶望的な状況下で、彼は兄の遺志と、家臣団の切望を拒否する術を持たなかった。
アレスは、深く息を吐き出す。幼馴染であるレイナの、涙を堪える強い眼差しと、鑑定スキルがもたらす無機質な情報だけが、今、彼の冷静さを保つ唯一の支えだった。
「わかった。すぐに出立する」
彼は静かにそう告げた。彼の悠々自適な日々は、唐突に、そして永遠に終わりを告げたのだ。
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