「靴、舐めていいですか?」

 ファストフード店を出た智絵里と倉九は、人通りの前で向かい合っていた。

 持ち出したハンバーガー一個を、二階の店から降りて来るまでに食べ終わり、未だに咀嚼している。


 規格外の巨躯と食欲と意地汚さを、智恵理が改めてじろじろと熟視する。

 どうしていいか分からない倉九は視線を泳がせ、口に付着しているソースをジャージの袖で拭いた。


「ど、どこ行く? 雀荘……もこの辺なさそうだし、げ、ゲーセンかパチンコ?」


 三周りも小さい相手へ貫録すら感じ、周りの建物をきょろきょろと見渡す。

 智恵理はソースがべったりと着いた相手の袖を睨み、叱り付ける教師のように腕を掴んだ。


「クラちゃんてさぁ、ライブ用のステージ衣装、持ってる?」

「い、衣装?」


 倉九は少し悩んだ後、ジャージを摘み「へへっ……これ」と苦笑いした。


「ばかやろー!」


 智絵里は胸に下がる二つの脂肪の塊を加減せずビンタした。「ひっ!」と巨躯から小さい悲鳴が雑踏に消える。


「まずは服屋さんにゴーだ!」


 無理やり手を取って智絵里は歩き出した。弾かれた胸を擦りつつ、倉九はぎゅっと握られた手を眺め、耳まで赤くして顔を伏せた。



 ターミナルビル内の服屋を回り、智絵里は自分の感性に従って衣装を選んでいた。


「やっぱジャズだし、スーツかドレスっぽいのかな、カジュアルでもいいんだけど」


 一着を見る時間はほんの数秒、倉九には何を基準に判断しているのかさっぱりわからない。大きな体で小さな背中へついて回り、不安そうに店内をきょろきょろしている。


 スタイルはいいがボロジャージの長躯、ハーフで栗毛の短躯、二人の組み合わせはどうしても周囲の目を引いた。

 倉九は自分へ向けられる目線を避けるため服の陰に隠れるが、どこかがはみ出るためほとんど意味をなしていない。


 智絵里は時間をかけて何着か選び、店員に断ってから試着室へ急いだ。金魚の糞の次は彼女のまにまに、倉九は着せ替え人形と化していた。


「クラちゃんかわいいー!」

「ち、ちょっと、胸がキツイ……」


 胸部の伸びきった服を見て、智絵里は笑顔から真顔へ急変する。

 自身の頼りない胸元を見下ろし、下着コーナーの端にあるパッド入りブラジャーを由々しき眼差しで眺める。


「私、ハーフだし第三成長期もありえるよね?」

「な、何の話?」

「いいの! いいから次! はやく!」

「は、はいぃ……」


 両手を上げて怒る相手から隠れるようにカーテンをしめる。倉九は急いで服を脱ごうとしたが、布が軋み一旦冷静になった。


「べ、弁償は不味い……」


 胸付近を破らないように慎重に脱いでいると、首元の値札がふと目に入る。

 次の服を探す前に値札のゼロの数を何度も数えなおし、次第に手が震えだした。他の服の値も同様で、倉九は戦慄したままカーテンから顔を出す。


「ち、智絵里ちゃん……高くない? このお店」

「え? 普通だよ。私のこの服、もっとするし」


 智絵里は身軽に一回転し、ひらひらと舞う服を掴む。陽気に踊る妖精のようだった。


「ままま、まさか智絵里ちゃんって、お金持ち……!?」


 倉九はバタバタとジャージに着替え、試着室から飛び出して跪いた。


「うわっ、どうしたの?」

「お、お嬢、一生ついて行きます……靴、舐めていいですか?」

「なに!? なんで!?」


          ♪


 ブラックライトが四隅に光る、塵一つない部屋で知久は貧乏ゆすりをしていた。

 コンポから流れる大会の予選音源を聞き、五分に一度は除菌アルコールでテーブルを拭く。


 最後まで聞き終える前にCDを取り出し、テーブル脇に置いてある二つのプラスチックの容器、【合格】と【ゴミ】と書かれた紙が貼ってあるどちらかへ投げ入れる。


 一つが終わると、眼下に置いてある【未】と書かれたプラスチック容器から真っ白いCDを手に取り、コンポに入れる。

 全ての音源を最後まで聞くことなく左右へ振り分けていった。

 CDの出し入れは終わりを向かえ、【未】と書かれた箱には最後、一つだけ残った。


 溜息を残して席を立ち、冷蔵庫から牛乳を出しケトルに火をかけてホットミルクを作る。整然とされた棚から砂糖を取り出して大量に入れた。


 少し冷ましたそれを飲みながら今度はパソコンがあるデスクへ向かう。

 今度はダウンロードフォルダを開き、大会審査用とかかれた音源を順番に聞き流した。

 知久は欠伸をしながら【合格】、【ゴミ】と名付けてあるフォルダへ振り分けていく。


「……お」


 途中、出だしから格の違う音源が流れた。自然と首と体でリズムを取り、別のフォルダからバンドのプロフィールを確認する。

 名前はグリザイユ・ジャズ・トリオ。

 たっぷり最後まで聞いて、機嫌良さそうに【合格】とかかれたフォルダへ音源を移動した。


「やっぱこいつらは格が違うねぇ」


 マウスをアルコール除菌して次の音源ファイルを開いた時、電話がかかって来た。スマートフォンの画面には『ゲス女』と表示されている。

 彼女は面倒そうに通話ボタンを押した。


「よう、三瀬。どうした」

『例の件、大丈夫よ』


 開口一番に彼女はそう言った。知久はマウスを拭いた除菌タオルでキーボード―を遊び拭きし、眉を寄せる。主語がなく、なんの話か思案する。


『ホームページにはバンド名が載らないわ。応募した形跡は残らないの。あいつら、安心して落としていいから。そもそも、手違いを装ってエントリーしてない事にしちゃったら?』

「あぁ、あの話か」知久は奥歯に挟まっていた物が取れたように頷く。「どうやったんだ?」


『知りたい?』


 魔女が誘惑するような艶声に、知久へ嫌悪が走った。


「いや、いい」

『じゃ、よろしくね』


 返答を待たずに通話は切れ、彼女はスマートフォンを睨んだ。

 画面をアルコールタオルで念入りに拭き、机の角に合わせるように置いて、何度か位置を微調整する。


 重い腰を上げ【未】の箱の中にある残りの一枚を取り出す。そのデモ音源のバンド名はスパイシーデスモヒート。


「横の繋がりってのは、大事だな」


【ゴミ】とかかれた方の箱へ落とそうとし、指が離すことを躊躇する。


「……ふん。私を選ばないお前が悪いんだ、黎木」


 知久は未練も一緒に落とすように、智絵里たちのデモ音源を奈落へ放った。

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