5th number『giant steps』
「ふん、この泥棒猫」
都内の駅は
二メートルに届く彼女の体だけならまだ良かったかもしれない。それに加え長方形の棺めいた巨大なケースを背中に背負っているため、周囲との対立は不可避だった。
「す、すいません、ひぃ、すいません……」
謝罪を繰り返し、ようやく目的の改札を抜けることが出来た。既に帰りたいくらい疲弊していた。
新緑の影もないコンクリートジャングル。まだ桜が見えなくなる時期にしては、太陽光がやけに地面を刺す。倉九は上下長袖のジャージを召してきたことに後悔した。
背中に密着する棺と片手にはスクールバック、過重と不自由に倉九だけが真夏だった。
街頭にある時計を見て「ヤバっ」と走り出した。ただでさえ人目を引く彼女がランニングすることで余計に周囲の興味を引く。走りながらスマートフォンを取り出し、アプリでオーディション会場を確認する。交差路が複数存在する信号の前で立ち止まり、きょろきょろと左右上下に視線をやった。
「え、えーっと、どっちだ……? 分かれ道が多すぎる……」
画面の地図を目の前に掲げてみるが、解決せずに振出しに戻る。画面端にある時間を確認し、倉九の挙動は不信の一途を辿る。周囲に頼ろうとするが、声をかけるに至らず無常に時が過ぎていく。
タイムリミットを知らせるように、人ごみの中で立ち尽くす倉九の腹が鳴った。うぅ、と唸り、鼠なら吹き飛ばせそうなほどの溜息を吐いた。
「ま、また別のオーディション探せばいっか……」
諦めて体を半回転させ、駅まで道を引き返す。余裕を持って歩くと視野が広がり、都会の姿がはっきりと映し出された。
営業のサラリーマンが電話口に対し、必死に腰を落り曲げ謝っている。目に光のないOLがゾンビのように出勤している。路地裏のホームレスが、邪魔だババア! と身なりの汚い清掃業者に怒鳴られている。
現実が飛び込んでくる度に倉九の歩みは遅くなり、ついに立ち止まった。スマートフォンにて時間を確認し、再び体を半回転させる。少し遠くなった交差路を指さし「どーれーにーしーよーうーかーな……」と賭博を開始した。
「よし……待ってろ、不労所得!」
再び倉九の巨躯が都内を駆ける。ぐぅ、と腹の虫が彼女の暗い熱意を応援した。
♪
智絵里はコンビニ内を歩いている最中、1L入りの蜂蜜を発見した。
「うわ、でっかい! 買うしか!」
思わず高揚し、店内の注目を集める。早速会計を終え、ありがとうございましたぁ、とやる気のない店員の濁声と共に、外へ飛び出した。
突起型のキャップを開け、ごく少量を喉に塗り込むように舐める。すれ違う人々は予想外のものを所持する彼女の手元を二度見した。
智恵理は周りを気にせず天気の良さに目を細めていると、反対側の路地を同じ方向に駆けていく人物が目についた。
遠目から見ても背が高いと分かる。ジャージ姿で棺めいたケースを背負い、地鳴りでもさせていそうな大きな女性が突進している。
はちみつをぺろぺろと舐めながら、智絵里は「うわ、でっかい」と呟いた。
そのまま数分歩き、スタジオが多く入っている雑居ビルに到着した。同じ建物が続きわかりにくいが、ルイーズとの練習で頻繁に通っているため時間に余裕をもって到着出来た。
入口の前でスマートフォンをいじる黎木を発見する。駆け寄って挨拶し、浅く頭を下げた。
彼は一瞥してから「待て、もう終わる」と真剣に何かをやっていた。智恵理は軽く無視されてムっとし、画面を除いてやろうと跳ねてみるが、逆に高く腕を上げられてしまう。
「見えない!」
「ちょっと待てって言ってるだろ」
「何やってるんですか? もうデートの相手、来てますけど!」
「麻雀。アプリだ」
「ゲーム!? 私と麻雀、どっちが大事なんですか!」
「……お、来た。上がれそうだぞこれ」
「無視!」
諧謔を弄する張り合いなく、静かに待つことにした。黎木は程なくしてスマートフォンをしまい、何事もなかったように入口へ向かう。彼女は慌てて横に着き、一緒に自動ドアを潜った。
ガラスのドアに存在が主張されている『ファンク、スカ系バンド、新人オーディション』というポスターが横目に流れた。
「お前の声を聞かせた上で、知り合いに声をかけた。もう全員待ってるはずだ」
エレベーターが下りてくる手持ち無沙汰の時間、黎木はつまらなそうに言う。智絵里は感嘆を漏らし、階段で駆けあがりたくてそわそわしていたが、はちみつを舐めて衝動を抑えた。
「お前、何でそんなもの持ってるんだ?」
黎木は彼女の手元を顎でしゃくる。
「蜂蜜は喉にいいんですよ。知らないの~?」
「そうじゃない。なんでそのまま持ってるんだって聞いてる」
エレベーターの扉が開き、智絵里は答える前に入ってしまう。「黎木さん、早く!」手招きで急かされ、彼はやれやれと呆れながら乗った。
目的の階へ着くと、受付の先に短い列ができていた。一番広いスタジオの部屋から伸びていて、並んでいる人物はギターやベースらしきものを背負っている。見た目は派手な者が多く、不良の輩に見えないこともない。
ルイーズのレッスンと同じ階だが、いつもと違う様相に蜂蜜を落としかけた。
「もしかして、こんなに集まったの!?」
「いや、違う」
二人はエレベーターを離れ、黎木が受付に話を通して奥に進んだ。
智絵里は後をついて行きながら、長蛇の列ができている扉を通り過ぎる際、入口にも貼ってあった新人オーディションのポスターを目にする。
その隣のスタジオの扉へ、彼の手がかかった。
「ここだ」
智絵里はいそいそと後を追って入室する。中は十帖の広さで、アンプやPAの機材等、ドラムセットも奥にあり、五人程度のバンドなら余裕で練習できる機材が揃っている。
その端に二人の男と一人の女が談話していた。智絵里は指を折って少ない人数を何度も確認する。
「さ、三人……」
「男二人は俺の知り合い、もう一人の女はルイーズの知り合いだ。さすがに今の声質だとほとんど話を聞いてくれなかったが、集まっただけマシだ。気にするな」
「三人もいる! 凄い!」
「喜ぶのか……」
わざわざフォローをした彼は、気を使って損をしたと眉間を押さえた。
「黎木さん、その子? 高校生って聞いてだけど……」
三人の内、壮年の男性一人が歩み寄って尋ねた。
「はい! どうみても十八才の智絵里・パーカーです! よろしくー!」
控えめにしていた男性から手を奪い、智絵里は無理やり握手をした。次々に手を取り、文句を言わせないように挨拶を済ませる。
最後に握手した女性は二十代前半くらいで、ポニーテールにした金髪をなびかせ、見るからにガラが悪い。
それだけでなく腰に下げたバッグからアルコールティッシュを取り出し、たった今握手した手を忌まわし気に拭く。
「ふん、この泥棒猫」
彼女は智恵理にだけ聞こえるよう呟いた。
「へ?」
智恵理が聞き返す前に、彼女は黎木へ関心を変える。
「私は知久だ。早くやろーぜ黎木。私、次の仕事あるからよ」
黎木は初対面の相手が取る態度にムっとしたが、生返事で知久に注視する。
彼女は肌の露出が多く、体も態度も挑発的で不和を呼びそうな予感がした。智絵里も知久の振る舞いを快く思わず、ぷいとそっぽを向き、やけくそで蜂蜜をぺろぺろと舐めた。
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