おさるの神さま
中本則夫
第1話 バスの王子様
今の私の一番幸せな時間。それは自宅から大学に向かうバスの中での五分間です。
自宅の最寄りのバス停に午前八時六分にやって来るバスに乗ると、白いワイシャツにネクタイ姿の彼は、必ず乗車ステップ側から見て左側の列の中ほどに立って吊り革を持ち、片手でスマホを操作します。
おはようございます!今日も素敵です!完璧です!
私は唇を結んだまま胸の中で元気にあいさつします。今日も彼が彼であることに満足し、今日も彼が彼でいてくれることに納得してうなずくのです。
私の全力片想いの彼は、五分後、午前八時十一分にバスが市役所前停留所に着くと、そこで降ります。市役所に勤めていらっしゃるのでしょう。
市役所勤務のバスの王子様。
行ってらっしゃい!今日もお仕事頑張ってください!市政はあなたにお任せします!
私は胸の中でそう声をかけ、胸の中で手を振りながら、降車ステップを降りていく王子様をそっとチラ見しました。ここまでで朝の幸福な礼拝はワンセット終了です。
ところがこの時、ちょっとした事件が起きました。
バスの王子様が、降車口に向かいながら、チラッと私の顔を見たのです!
ガツン、と音がするほどしっかり目が合いました。
ひいっ!
悲鳴を上げそうになるのをどうにか抑え、しかし、目をそらすこともできず、私はそのまま呆然と彼を目で追いました。彼はすぐに視線を外しました。フーッと気を抜いたその刹那、彼は降車ステップを降りながら振り返って、もう一度確かめるように私を見ました。
はんっ!
私は変な声が出そうになるのを飲み込みました。いや、少し漏れたかも知れない。
彼はまた視線を正面に戻してバスを降り、何事もなかったかのように市役所の庁舎に向かって歩いて行きました。
何だったんでしょう今のは?私何かおかしい?いや、今日に限ってそんなはずはありません。出かける前、特に入念におのれの姿をチェックしてきました。反射的にバッグから鏡を取り出して、メイクも異常ないことを確認。
市役所前から五分ほどバスに揺られると、私の通う
ただ、私は今日に限ってはここでは降りません。さきほどのバスの王子様二度見事件の衝撃で腰が抜けたからではありません。今日の講義は午後からです。それまでの間に、ひとつ用事があるのです。
三代川文化大学前からさらに二十分、車窓の景色を眺めていると、だんだん人や建物はまばらになり、視界が開けてきます。
目に入るのは、青い空と、畑と、低くなだらかな緑の山々ばかり。一応このあたりもまだ市内なのですが、そんなのどかな
山の方へ向かって、かつては田んぼだった草むらの間のあぜ道を進みます。
「あ、林さーん!」
若くてきれいなスーツ姿のお姉さんに声をかけられて、私は歩きながらお辞儀をしました。
私が向かう先には、そのお姉さんを含めテレビ局の人たち総勢四名が待ってくれています。僭越ながら、これからテレビの取材を受けるのです。
話題となるのは、この地に古くから
像のそばに小さな石柱があって、そこには「
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