第2話 対決
アルケストラ魔導学園の鐘が、新たな季節の始まりを告げるように鳴り響いた。
空は灰色がかった曇天。春の陽光には程遠い冷気が漂っていたが、それでも学園の中庭には、生徒たちの活気と期待が満ちていた。
リリィ=クロウフォードは、いつも通りの無表情で黒のロングコートを羽織り、肩から胸元にかけて流れる銀髪をなびかせながら、無言で廊下を歩いていた。
「今年も…変わらない、か」
ぽつりと呟くリリィの手には、新しいカリキュラムが記された革装丁の魔導手帳。
しかし、その視線はそこにはなく、――今朝から耳にしていた、ある”噂”に向いていた。
「ねえ、知ってる? 今日から転入してくる子…なんだか貴族らしいよ」
「しかも相当な実力者だって…」
新学期初日、教師陣の間でも緊張が走っていた。
それは、魔力を“何者か”に抜き取られるという怪事件が、立て続けに報告されていたからだ。
1限目の講義が始まる直前、教室の空気が一変する。
教壇に現れたミリア=グラウヴェルが、どこか警戒を滲ませながら紹介を始めた。
「今日からこのクラスに編入する生徒を紹介します。アリス=フェンリス…前へ」
その名が呼ばれた瞬間、教室に淡い沈黙が落ちた。
ゆっくりと扉を開いて入ってきたのは――
雪のように透き通った銀髪を揺らし、黒と紫を基調とした古風なドレスを纏った、美しい少女だった。
彼女は微笑みながら、礼儀正しく一礼した。
「初めまして、皆さん。アリス=フェンリスと申します。ご迷惑をかけないよう、努力いたしますので…よろしくお願いいたしますね?」
その声は柔らかく澄んでいたが、リリィは瞬時に“違和感”を覚えた。
まるで、言葉の奥に別の意図があるかのような、――そんな不協和音。
「……リリィ=クロウフォードさん、ですよね?」
休み時間。リリィが一人、魔導塔の裏庭で読書をしていたとき、背後からアリスが声をかけてきた。
「あなたの噂は、ずっと前から聞いていました。冷静で、美しくて…とても素敵な人、って」
「……誰がそんなことを」
「ふふ……私が、そう思ってるの」
笑顔のまま近づくアリス。彼女の距離の詰め方は、どこかおかしい。
それでもリリィは、嫌悪ではなく、奇妙な“戸惑い”を覚えていた。
その日の放課後、リリィの寮室の隣から響くノック音。
顔を覗かせたのは、フィーナ=アストリアとノア=ルミエールだった。
「……リリィ、アリスのこと、どう思う?」
「妙に距離が近すぎるっていうか……なんか、目が笑ってないんだよね」
ノアが珍しく真面目な声で言い、フィーナも黙って頷いた。
「彼女の魔力…まるで底が見えない。普通じゃないわ」
リリィは目を伏せたまま答えなかったが、手にしていたカップが、わずかに震えていた。
夜。アルケストラ学園の旧校舎では、また一人、魔力を抜かれた生徒が発見された。
現場に残されたのは、黒い羽のような“影の痕跡”。
ミリア=グラウヴェルはそれを見つめながら、静かに呟く。
「影の幻術…まさか、あの子か?」
週末の図書棟、リリィが1人で調べ物をしていると、再びアリスが現れる。
「リリィちゃんって……誰かと仲良くするの、苦手でしょ?」
そう言って、彼女は笑った。
「だったら、私が全部代わりにしてあげる――ね?」
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
アリスの瞳は笑っていた。でもそこにあるのは、あまりに深く、異質な愛情。
その夜、──月のない夜だった。
いつもなら寮の窓から覗く銀の光も、今夜ばかりは雲に隠れて沈黙している。
リリィ=クロウフォードは、自室の窓辺に腰掛けながら、その暗闇の中に沈む
「……また、生徒の魔力が奪われたの」
呟く声は、冷たく張り詰めていた。
日増しに増える、魔力喪失事件。犯人像も、犯行手口も見えないまま、警戒だけが強まっている。
リリィの手には、先日ミリア=グラウヴェル先生から手渡された調査記録が握られていた。
「魔力の痕跡が“残らない”のが、逆に不自然なのよ。まるで……“喰われている”みたいね」
記録の中には、そう綴られていた。
──そのとき。
ノックの音が響く。
この時間に訪ねてくる人物は、限られている。
「リリィちゃん……ちょっとだけ、いいかな」
声の主は、フィーナ=アストリアだった。
彼女の表情には焦りが混じり、唇はかすかに震えている。
「どうかしたの?」
リリィがドアを開けると、フィーナはまるで隠れるように中へ入ってくると、すぐに囁いた。
「……シェリスがいなくなったの。夕方までは寮にいたのに、気づいたら、部屋も、姿も……」
「……!」
リリィの目が細められる。
胸の奥に冷たいものが流れ込んでくるのを感じた。
「最後に見かけたのは?」
「夕方……校庭の方。誰かと一緒に歩いていたって。目撃した子は“銀髪の女の子”って言ってた」
「……アリス、ね」
リリィは呟くように言った。
どこかで、予感していた。彼女の微笑みの奥にある、見えない何かを──。
🌑
その夜、リリィは単身で学園の旧校舎へ向かう。
生徒たちの間で“出る”と噂される、夜の影──そこに、何かがあると確信して。
重くきしむ扉を押し開けると、冷たい空気が流れ込む。
奥の階段の先に、微かに灯る紅い光。
「……来てくれたんだ、リリィちゃん」
囁くような声とともに現れたのは、アリス=フェンリスだった。
漆黒のドレスに身を包み、銀の髪を揺らして、彼女は古びた講堂の中央に立っていた。
その足元には──意識を失ったシェリスの姿。
返して」
リリィの声は冷静だった。だが、その瞳の奥では、怒りが凍った刃のように静かに燃えていた。
アリスは微笑む。
「どうして……そんな顔するの? 私はね、ただ“邪魔なもの”を片付けただけ。だって……リリィちゃんを見つけたとき、思ったの」
彼女はリリィに一歩、また一歩と近づく。
「この人は、私だけを見ていればいいって──」
「……狂ってるわね」
リリィの言葉に、アリスの微笑みが崩れる。
「……そう。じゃあ、その“狂気”を見せてあげる。あなたが拒んだら、私は壊れるしかないのよ──」
アリスの背後から、黒い影が蠢く。
それはまるで意思を持った闇。生徒たちの魔力を喰らい、その身に宿した“偽りの魔神”。
リリィは目を閉じ、深く息を吸った。
「……なら、見せてあげる。私の“覚醒”を」
次の瞬間、彼女の背後に黒い魔力が奔流のように放たれた。
影が衣に染み込み、目が淡く紅に染まる。
──リリィ=クロウフォード、《覚醒》。
「あなたは、ここまでよ。アリス=フェンリス──」
吹き荒れる魔力のぶつかり合い。
冷たい夜の講堂に、咆哮と叫びが響いた──。
──その想いは、過去を焼き尽くし、未来を照らす光となる。
夜の旧校舎――。
黒い月が空を覆い、校舎の窓からは一筋の光も差し込まない。
リリィは静かに扉を開ける。埃の匂い、軋む床板。そして、奥から響くのは、誰かの微かな鼻歌。
「……アリス」
闇の奥、蝋燭の光に浮かび上がる少女の姿。アリス=フェンリスは漆黒のドレスに身を包み、淡い微笑みを浮かべていた。
「来てくれたのね、リリィちゃん……やっぱり、あなたは優しい」
周囲には崩れかけた魔術刻印。すべては、地下へと続く“鍵”だった。
リリィの目が、その魔法陣の構造を読み取る。
血脈認証式封印術――以前ミリア先生から教わった術式と酷似している。だが、これは逆転の発想。封印を破るために設計されている。
「どうして……こんなことを?」
リリィの問いに、アリスはゆっくりと立ち上がり、歩み寄ってくる。
「私の中にある“欠けた時間”……あなたの魔力を見た瞬間、全て思い出したの」
アリスの背後、巨大な幻影の門が開く。
そこは、地下封印区画。かつて失われた禁術の保管庫。
――リリィがかつて命を落とした、前世の記憶と深く関係する場所。
アリスはその扉を開き、リリィを導こうとする。
「一緒に来て。私たちなら、“あの時”をやり直せる。今度こそ……救えるのよ」
リリィは目を伏せ、そしてゆっくり首を振った。
「……私はもう、過去には戻らない。あなたが求めるものが何であれ、私は自分の道を歩く」
アリスの瞳が、暗く、深く染まる。
「なら……あなたのすべてを、壊してでも連れ戻すしかないわね」
黒い魔力が吹き荒れる中、ふたりは地下へと姿を消した。
地下封印区画 ― 黒の魔法陣の間
閉ざされた石扉が音もなく閉じ、ふたりきりの空間が生まれる。
「ねえ、リリィちゃん。どうして、私を拒むの?」
「あなたが見ているのは、私じゃない。……“前の私”を、あなたはずっと追い続けている」
「違うわ。私はあなたのすべてを知ってる。誰よりも、深く、深く──愛してるの」
アリスの足元から黒い幻影が渦巻き、巨大な魔物の姿が現れる。
影の中に蠢く目、牙、嘆きの声。
リリィは静かに構える。杖を掲げ、魔力を収束させる。
「……それでも、私は前を向く。誰かの“代わり”じゃなく、自分の意志で」
「じゃあ、私を超えてみせて……リリィ」
幻影獣が吠える。リリィの魔法陣が輝きを放つ。
交錯する光と影。魔力の奔流が空間を切り裂き、世界が悲鳴を上げる。
アリスの魔力が狂気と共に爆ぜ、リリィの魔術に染み込んでいく。
だがその中、リリィの瞳が凛と輝いた。
「──《ルーン・イクリプス》」
彼女の杖から放たれた光が、闇の幻影を貫き、アリスの足元の影を引き裂いた。
「わたしは、過去に贖いを求めない。未来を、自分の力で切り拓く」
アリスの瞳に、涙が浮かぶ。
「そんな顔、しないでよ……リリィ。わたし、あなたの全部を……全部を、愛してるのに──!」
それは悲痛な叫びだった。
そして次の瞬間、空間が崩れ落ち、ふたりは瓦礫と光の中へ――。
魔導学園――戦いの爪痕がまだ消えぬ地下封印区画の静寂を破り、朝の鐘が遠くに響く。
地上では新たな一日が始まろうとしていたが、そこに安らぎはなかった。
リリィ=クロウフォードは、校舎の屋上から学園都市を見下ろしていた。
風に揺れる銀髪、焦げ跡の残る制服。微かに紅に染まった空を見つめ、彼女は小さく息を吐いた。
「あれで終わったとは……思えない」
あの夜、アリスとの激闘の末、封印区画は再び結界で覆われた。しかし、“闇”は完全に消え去ったわけではなかった。
むしろ、それは今もなお地下深くで蠢いていた。
「リリィちゃん!」
フィーナ=アストリアが息を切らしながら駆け上がってくる。
その手には学園長室から渡された封書があった。
「学園長からの緊急指令だよ……《ヴェルダインの残火》が、次に動くって」
リリィの目がわずかに細められる。
「――来るのね、本当の戦いが」
封を開けると、そこには
廃都の地下――黒煙が立ち込める空間で、紅い短髪の女幹部が甘いチョコを口に含みながらつぶやいた。
「準備は整ったわ。次は“焔の核”を奪うだけ」
その名は《スヴァローラ=クリムゾン》。
冷酷で非情な判断を下す彼女だが、戦闘中でもスイーツを手放さないという奇妙な癖を持っている。
「リリィ=クロウフォード……彼女だけは、確実に潰さねばならぬ」
リリィたちは学園の地下研究室に集まっていた。
そこには新たに仲間となった少年――
儚げな美少年風の外見を持つ“男の娘”、ユイ=セレネアも加わっていた。
癒し系で結界術の使い手。だがその瞳には、深い覚悟が宿っている。
「敵は、次に“焔の核”を狙ってくる……そこはもう、僕の故郷なんだ」
ユイの一言に、場の空気が張り詰める。
「なら、なおさら私たちが動かなきゃ。あの闇を、また放っておくわけにはいかない」
リリィは静かに立ち上がる。
ミリア=グラウヴェル教師、近接戦闘を得意とする新たな
「この命、未来のために使わせていただこう」
こうして、リリィたちは再び戦いの旅へと踏み出す。
待ち受けるのは《ヴェルダインの残火》との本格的な衝突。
“闇”と“光”が交差する中、それぞれの運命がぶつかり合う新たな決意と仲間の絆を描きながら、次なる戦場――“灼熱の空域”へと繋がっていく。
続く
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