人生における四つの味覚

青山 翠雲

第1話:甘

 日本の歴史の中で一番、面白いところと言えば、あの時鳥ホトトギスに対する態度でも全くといっていいほどの違いを見せる織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という、それぞれアクの強い個性豊かな三人の傑物が、戦国武将が力を以って天下に覇を唱えんとし、新しい武器や戦法の導入、知略調略をも用いて、歴史の大転換期を、それぞれのやり方でほぼ天下を掌中に掴みながらも、最終的には、じっと天の時が満つるのをわきまえて後、260余年という安定政権の礎を徳川家康が築いたという一連の絵巻物語であろう。


 改革者というと、鉄砲のいち早い導入や楽市楽座の展開など織田信長の名前が真っ先に脳裏に浮かび、次に太閤検地や刀狩を行った豊臣秀吉、一番印象が薄いのが徳川家康となるかもしれない。


 しかし、徳川家康もなかなかの、いや、一番の改革者かと私は思っている。もちろん、天下平定を果たし、全国を統治する政権を作り上げたわけだから、その政治機構の構築樹立手腕はさることながら、家康の慧眼ぶりに感嘆するのは、市井の民の生活向上のため、利根川の東遷(それまでは東京湾に注ぎ、毎年のように洪水被害を出していた日本最長の河川である利根川の流れを曲げ、鹿島灘に注ぐように造成し、江戸の暮らしを天災から守った)と小判導入による実生活における利便性や経済効率の向上など、社会の実用面で大いなる改革を果たした「実践者」だと思っている。


 さて、その徳川家康が将軍職を退き、後進(秀忠)に道を譲った際に遺したとされる「東照宮御遺訓」が実に味わい深い人生訓となっており、徳川家康の人生哲学を如実に表しており、非常に興味深いので、ここに紹介しておこう。


【東照宮御遺訓】

人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。

心に望み起こらば、困窮したる時を思い出すべし。

堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思え。

勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害、其の身に至る。

己を責めて人を責むるな。及ばざるは過ぎたるに勝れり。



 前半2行はいかにも人質としての生い立ちを感じさせるし、中2行は信長・秀吉に仕えつつ、無理難題や裏切り行為を受けつつも平然とやり過ごした胆力を感じさせ、最後の2行は天下を獲ること、則ち、天・人・時の機微に通ずるところを感じさせ、短いながらも極めて含蓄のある言葉となっている。


 含蓄のある教えという意味では、厭世主義の大御所と言われるショーペンハウエルの哲学を深く学んで、とても勉強になったのであるが、ショーペンハウエルの考えの出発点は、「際限のない欲求が人生に苦役を与える」として、本当の幸せとは「満たすこと」ではなく、「求めないこと」であるとしている。


 これは「(満ち)足るを知る」という老子の東洋思想にも通じるもので、龍安寺の蹲踞つくばいには、中央の水穴を「口」の字に見立て、周りの四文字と共用し「吾唯足知われただたることをしる」の文字が刻まれ、釈迦が説いた「知足のものは、貧しといえども富めり、不知足のものは、富めりといえども貧し」という 「知足ちそく」の仏教教えの真髄を図案化したものとなっている。それは、他者と比べるという心を棄却し、幸福の重心を外部ではなく、自分の心の内部に置くことに他ならない。


 ショーペンハウエルの哲学を学べば学ぶ程、「人生をいかに楽しむか?」ということがテーゼとなっており、ただ、そのアプローチ手法が「富や名声をどれだけ得たか」ではなく、「人生につきものの苦悩をどのように見つめるか」という観点に立脚しており、自分なりの人生を受け入れた上で、尊厳と誇りを持ち、ぶれずに、いかに賢くアファーマティブ肯定的に生きていくべきかという知恵と気づきを我々に与えてくれているのだ、ということに気付かされた。


 英語で換言甘言すれば、

He showショーs us with the penペン important is how wellハウエル we live.

となろうか(笑編生有得)。



 さて、前置きが長くなった。では、人間の知覚できる個々の味覚に入っていくこととしよう。


 最初に覚え、受け入れる味と言えば「甘さ」であることは論を俟たない。なぜなら、それ以外の「酸っぱさ」「辛さ」「苦さ」は、食中毒や毒性に繋がるものであり、舌は本能的にこれら味覚を拒絶する。


 つまり、「甘い」という無条件幸福な味覚に対しては、我々人類は、生まれ落ちたその瞬間から無条件降伏なのである。母乳も仄かな甘さがあるというではないか?まぁ、多分にこれは幻想かもしれないが、そう特に男子の間では信じられている言説である。ちなみに、日本で人気の高いドイツの白ワインはLiebfraumilchという日本語に訳せば「聖母の乳」という実に官能的な名称であり、ドイツの白ワインには珍しい「甘口」である。


 物理的に甘い味覚は、強烈なアドレナリン、いや、脳内麻薬的な働きをしていることが多いように思う。それは、動物界を見ても、蜂蜜を集める働きバチや女王蟻が働き蟻を手名付けるのも甘い分泌液である。人間も甘いものが大好きなのは勿論である。ちなみに、これまたドイツではパンにつけるNutellaというチョコレートペーストは、幼少期に人を洗脳&中毒化させる作用を持ち、長いこと世代を超えて定番中の定番のソウルフード的絶対王座の地位を占めている。


 また、人間は観念的な意味においても「甘美な」体験、例えば、恋愛体験や名声を博するという味を一旦覚えると陶酔し、それを求める欲望が生まれ、大いなる推進力や進歩を生んだりもする。


 一方、家康の遺訓の「及ばざるは過ぎたるに勝れり」ではないが、何事も過ぎるのは宜しくない。甘いものも度が過ぎて、甘過ぎるのではいけないのである。ちなみに、手塩にかけて育てた娘に使った塩は、限りなく砂糖に近い塩で、一応、甘塩ということになっている。この先、上手く世間を渡っていってほしいものである。


 また、甘言に惑わされる、という言葉に代表されるように、「美味しすぎる」話は大抵ろくでもない詐欺の種であり、「褒め殺し」に代表されるように、世の中、「甘く陶酔するような」言葉には、気をつけた方がいい。なにせハニートラップなどの特殊詐欺で騙し取られた額が720億円を突破したという。これは1日に約2億円ずつ日々どこかで騙し取られていることに他ならない。


 そもそも人間は食べるために働くのであるが、カロリー過多の飽食の時代にあって、今見直されているのが、カロリー制限にこそ長寿の秘訣があると言われている。今、世間を震撼させている熊の冬眠ではないが、一定時間の「空腹」による「飢餓感」こそが長寿のメカニズムには大切なのだそうだ。


 ショーペンハウエル的に言えば、欲望こそが苦役を人生に与えるわけだから、諸悪の根源となっているのかもしれない。この「欲望」という「甘い蜜」の味覚への欲求を満たすのではなく、求めず「満ち足るを知る」の心を養成し、この「甘」という味覚との上手な付き合い方を人は認識 & すべきなのであろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る