第2話 色褪せないスターチス

 「あなたは<優しい>子なのよ」

 その言葉は幾つになっても、自分の心を縛り付けていた。

 幼い頃に言われ続けて来た呪いの言葉だ。

 『またこの夢か...』ため息と同時に魂までも抜けていく様な胸糞悪さに目が覚める。

 拠り所など無く、助けてを求める声すら上げる事もできなかった思い出したくもない過去。

 自分の気持ちを押し殺し、否定や拒絶は良くない事だと思って居た。

 何も無く生きてる事が、死んでる事と何ら変わりなかった。

 周りに合わせ、楽しい事を楽しいと、悲しい事は悲しいと合わせる、どんな事にも文句ひとつ言わずに耐え忍ぶ事が、<優しい>だと思って居た。

 変わりたいと強く思えば思う程に、過去の過ちに引きずり込まれる。

 いつか自分も、心から楽しいと思える日がくると願いつつ、自分を変えるのは、自分しか居ないと知っているのに、それは難しい事と諦めてる自分がいた。


 花凛に出会い、花凛との全てが特別になるまでは、<優しい>が温かい物だと思うことを恐れてた。

 何も特別感じる事も無くなった、冷めた心が動き出し、自分の心さえも大切にしたいと思える様になった。

 心から人を思う事が<優しい>と花凛が笑顔で居てくれれそれだけでいいと。

 それらを乗り越えるために向き合う事が出来る事が本当の<優しい>なのかもしれないと。



 いい子であろうと努力した。

 そのおかげか、両親や周りの目を気にし、人の機嫌を取ることばかり長けて行き、偽りの<優しい>は、いくらでもばら撒く事ができていた。

 毎日ゴミ箱の様に様々な言葉を吐き捨てられ、文句一つ言えば、それ以上の攻撃を受け、弱い自分では反抗もできず、ただただ溢れないように押しつぶしてきた。

 一人泣きながら夜が明けるのを待つ日は、いつしか日常の一部になり、生きてる意味すら見つけられなかった。

 生に執着もなくなり、幾度と神様に殺してくれと願った所で、なにも変わらず、一人で死ぬ事ばかり考え、何かと嫌な事があるとそういう時ほど笑顔でいる事が上手になっていた。

 周りを伺い、程よく笑顔で相槌を打ち、人の気持ちを汲み取りながら馴染んでいく、協調性を大切に人に不快な思いをさせない。

 大人になり、それがそれなりに役には立っているのなら、そんなに悪くないのだろう。

 その思想こそが、願われてた事なのだろうか。



 学生時代の立ち回りもそこそこ

 一般的な事はある程度すべて経験し、そつなくこなしてきた。

 部活、恋愛、アルバイト、遊び

 そこそこの立ち回り、波風立てず、協調性そのものかの様に平凡に過ごしてきた。

 どこに居ても言われる<優しい>人だよね。

 何も嬉しくは無いが、そうしようとしてる訳ではなく、世間一般的な<優しい>とは解釈が違う。

それがうまく立ち回るコツだった。

 少し大人になった今もそこまで変わって居なかった。

 ただどんな選択も自分にだけは真っ直ぐに生きてきた。

 正解なんか無くていい、ただただ真っ直ぐに。



 微かに秋の匂いを感じ、連日の夜更かしのツケが回った気怠い体を起こし、顔を洗うや否や家を出る。


 いつもと変わらない道を

 いつもと変わらない速度で

 それなりの人生のレールの上を

 今日も歩く。

 


 お店に着くとコーヒーを置き、タバコを吸う

 いつものルーティン。

 今日もいつもと何も変わらい1日を始める準備は整った。

 ここOrchidea(オルキデア)は元々バイトしていた所で、元々のシェフの容態が悪くなり、3年前に引き継ぐ事になった。

 早く一人になりたくて1年でお金を貯めて家をでた。

 


 一息つき仕事に手をつける。

 決められた量の食材を切り

 決められた量を測る

 決められた味を作り

 決められた料理を提供する。

 誰にでもできる簡単な仕事だと常々思いながら、今日もいつものを繰り返す。

 


「おはよーございます」


 アルバイトの子達も来る時間か。


『んーおはようー、隼人今日もよろしくなー』

 いつもの返事。


「兄さん今日もやる事多いっすね」


『そうか?いつもと変わらないよ』


 仕事は仕事、多いだの少ないだの関係ない

 いつもの事だ。


「またまたー、いつもの強がりですか??」


 調子よくからかって来るのも、いつもの事だった事も忘れ、少しの寝不足で当たる。


『うるさい、早くやれ』

「はーーい」


 そんないつもの会話が少し心地よかったりする。


 役者を目指し夢を追いかけてる隼人が少し羨ましかった。

 自分には特に求めるものも無く、毎日を波風立たずに、いつもの様に過ごす事が染み付いているからだ。


「おはよーございまーす」


 少し気怠い今日は、その少し幼稚な声が耳障りだ。

 隼人と同い年のゆかりは、隼人の学生時代から仲が良く紹介で入ってくれた。

 とにかく明るく何も考えてなさそうだが、たまに変な感が働く。

 大学に通ってるが特別なにかしたい事もないらしく、人懐っこい性格で、人の懐に入るのが上手く、それで何とかなるらしい。


『はい、おはよ』

「仁さん今日の賄いなんですかぁー?」


 来て早々に賄いの事か

 いつもの事だ。


『何がいいの?』

「美味しければなんでもー」

『だったら聞かないでくれる?』

「えー少し気になっただけですよ」


 寝不足もあり、少し冷たくすると、

 ゆかりは少し口を尖らせ仕事に手をつけた。


 トマトソースやクリームソースを煮込み、

 パスタの麺やピザの生地、バケットの大きさを整え、ミネストローネにサラダを一皿分ずつ分け、カルパッチョの刺身を捌き終え

 今日のメインのヒレ肉をを低温調理していく。

 その他、細々した下準備を済ませる、いつもの作業だ。


 『隼人?後、デザートのティラミスを任せてもいいか?』

「はいー、兄さんは?またタバコ?やめたら?」

『うるさいちゃんとやっとけよ、後何回も言うけど、オレはやめない。』

「じゃーオレもデザート終わったらタバコしまーす」

『好きにしてくれ、ダメだなんて言った事ないだろう?ゆかりー?今日の予約状況はどうかな?忙しい?』


「んー普通ですよー?仁さんコースの準備だけしといてもらえれば余裕かな?」


 そういうゆかりの目はなぜか勝ち誇っていた

 まだ準備してない事を知っていたからだろう。


『なに?その顔は?タバコ吸い終わったらちゃんとやるよ』


 今日も毎日と何も変わらない、

 いつもの今日だと安心する様な、

 何ら変わりのない日。


『二人とも今日も頑張ろう!』


 そう自分にも言い聞かせ、今日と言う平凡な日々を謳歌する。

 いつもと同じ

 今日といういつもと同じ

 なにも変わらないいつもと同じ

 それでいい。


 口を揃え、気が利くね、落ち着くんだよね。

 そういうお客さん。

 それは自分にとっては、この上ない褒め言葉だろう。

 呪いがこうも役に立つとは思いもしなかった。

 それなりに愛嬌を振り撒き、何をして欲しいか汲み取る、機嫌を損なわぬ様に、大きすぎず、小さすぎないリアクションを取り、

 ゆっくりとした口調で話す。

 できるだけお客さんの無茶には応じて、メニューにはない料理も作り上げる事もする。

 時には相談にも乗る。

 旦那、嫁の愚痴や、うまくいかない恋愛の話

 上司の不満や、取引先とのトラブル。

 全てにおいてそつなく対応する。

 何もないからこそ、何にでもなれてしまう。

 相手の気持ちを汲み取れば簡単な事だった。


 それなりに慌ただしい店内、賑わうお客さん達

 楽しい時間を提供できてる事は少しだけ幸せだろう。


「美味しかったよ!」

『いつも贔屓にしていただいて、ありがとうございます。是非またお待ちしています。』

「また来るよ!」


 そう言って最後のお客さんを見送る時、少しだけ喜びも感じられる。


『今日はもう閉めようか?食材もほとんどなくなったし、最後休憩しておいで、そしたら片付けてご飯にしよう』

「いいっすね、今日気分いいんですか?」


 ニヤニヤしてる隼人


『いつも変わらないよ、たまたまそんな気分なの』


「わーい今日はトマトパスタ食べたいなぁー」

『そのつもり、それにそれが食べたかったんでしょ?もう準備してあるよ』

「えっ!?わかるんですか!?」


 わかりやすいゆかりの反応

 想像通りの反応だ。


『なんとなくね、明日休みだし少しお酒も飲もうか?』

「最高じゃん」

「私も飲みたい!」


 それなりの人生の

 それなりの幸福に

 いつもの毎日の

 いつもの平凡に

 少しの幸せは感じながら

 今日が終えようとしていた。


 そんな時に入口のドアが開く。

『いらっしゃませ』

 癖で出てしまう言葉。

 笑顔はちゃんと作れてる。

 まだ看板を消して居ない事に気がつき、断るべきか考えてる最中


『一人なんですけど、まだ大丈夫ですか?』


「仁さんどうします?返しますか?」

 ゆかりは既に仕事できないモードだ。

 せっかくのお客さんを返すわけに行かない。


『どうぞこちらへ』


 いつもと変わらぬ声や表情、どんな時も完璧だ。


『ありがとございます!』


 少し目を輝かせ貴方は席に座る。



 その時の自分は、花凛と出会った事が特別な日になるなんて、思いもしなかっだろう。

 花凛に名前を聴く事すらも怖かった、聞いて仕舞えば自然と心が動いてしまう気がして。



 このままでいい。

 このままでよかったのに。

 何も変わらない。

 何も変わらなくてよかったのに。

 このままから変わりたかった。

 この真心は、曇りもなく明るい物だった。

 生花で無くなっても

 いつまでも色褪せないスターチスの様に。




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