第17話 黒薔薇が居る日常

わずかに陽が昇り、淡い光がカーテン越しに差し込んだ。小鳥たちの囀りが、まるで「起きて、起きて」と歌っているみたいだ。ぼくは眠たい目をこすりながら、いつものように腕に絡まってる黒薔薇を見る。


ふわっ、ぱあぁぁ!!


黒薔薇は劇場の開演のように顔の前で勢いよく花を開き、「おはよう」を告げるように光を受けてきらりと輝いた。


……おはよう、黒薔薇さん。

腕から茎をゆっくりほぐして外して、花瓶に戻す。ねむ〜い。


姉さまが王都に行ってからも、ぼくは丘への走り込みを毎日続けてる。今では丘の上に黒薔薇たちが沢山いるので、お手入れも兼ねて日課はかかせない。


着替えてから聖水の入った大きな水筒を背負い外に出ると、ぽかぽかの優しい陽射しが降り注いだ。今日もいい天気。


青空を見上げていると、視界の左側に影が一瞬すっと入ってきた。花の自重を無くした黒薔薇が、茎をぼくの左耳と髪に器用に差し込んでくる。うん、今日も位置取りに成功したようです。


こんな不思議が、日常になってしまった。


黒薔薇はこんなに動き回ってるのに、しっかり動いてるとこは一度も見たことがないんだよなぁ、一瞬でいつの間にか居るんだよなぁ、と思いつつ聖魔法の光を浴びせながらなでなでしてた時に、風がふわっと吹いてぼくの頬をふれる感触があった。


……ん?


何か違和感を覚えたけど、寝ぼけた頭はそれ以上考えらず、丘へと駆け出した。






日課の走り込みと丘の黒薔薇たちのお手入れを済ませて館に戻ると、玄関でいつものメイドさんが掃除をしてた。


「おかえりなさいませ、ぼっちゃ……ま?」

「ただいま〜?」


ぽす、と箒が落ちる。

メイドさんの目が、まんまるになっていた。


「……?どうかしたの?」

「か、か、か……」

「……か?」

「か、髪が伸びておりますぅ!」

「えっ?」


「ぼっちゃまの髪が伸びておりますうぅ!」


メイドさんは「ぼっちゃまの髪が伸びておりますうぅーー!」と叫びながら館へ走っていった。そしてなんだなんだと館が騒がしくなってきた。


え、えっ!?


震える手で頭を触ると――肩にかかるほど、さらさらの髪。つまめる。目の前に持ってこれる。舞う。


「……ええっ???」


ぼくはその場でしばらく、ぽっかーんと石像になった。




館が騒然となってから、しばらくして落ち着きを取り戻すと、いつもの手慣れたメイドさんに髪を切ってもらうことにした。


母さまとメルはともかく、館の使用人たちまでなぜか見に来てる。なんで全員集合なの?どうして、わくわくした顔で見るの?


黒薔薇は髪を切るために、花瓶に移してすぐ傍の机の上に置かれてた。母さまが置いたっぽい。花瓶に入れられた黒薔薇は、どこか不満そうに見える。


正面に見える鏡に映ったメイドさんが、そっとぼくの髪へ手を伸ばし、ハサミをちょきっと鳴らすと――ぼくの肩から黒薔薇がにょきっと生えてきた。


「えっ?」

「ええっ!?」


えっ?

いや、花瓶にいるよね?

えっもう一輪?


そして、肩の黒薔薇が枝を蔦のようにするする伸ばし――「ぺしん」と近寄るメイドさんの手を払った。


「ひゃっ……!?」

「え、えええっ!?!?」


メイドさんがびくっとして、ぼくの叫びが館に響く。


メイドさんの手が近づくたびに黒薔薇の蔦が「ぺしん」「ぺしん」「ぺしん」と払う。まるで「切らせないからね」と言っているみたいに。黒薔薇さんが動いてるところ、初めてはっきり見た……。


おかしな防衛戦を繰り広げる黒薔薇は、ついにはメイドさんの持つハサミをくるりと巻き上げ奪い取った。ハサミにするりと黒薔薇の枝が絡みつき、ぼくの髪に近づけまいとひらひら揺れている。


…………これ、絶対ぼくの髪を伸ばした犯人だ!まちがいない!


唖然とするぼくに、母さまとメルがにっこにこで拍手してる。館の人たちも驚愕しながら、すごく嬉しそうにしてる。


「こ、これはもう……切るのは、無理じゃないでしょうか……?」


と白旗のメイドさん。黒薔薇の守りはとても固く、最後まで髪はまったく触れられませんでした……。勝ち誇ったように花弁をふわっと揺らし“当然です”とでも言ってるみたい。


そして、黒薔薇はいつもの定位置に帰ってきた、二輪に増えて……。ぼくは肩くらいの長い髪に黒薔薇の髪飾りをつけた――男装の女の子みたいになってしまった……。嬉しそうに黒薔薇がぴょんと揺れた気がする。


「なあに、これぇ、ねえぇ」が、口癖になってしまった。


ぼく、どんどん母さま寄りの方向に進んでない?大丈夫……?

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