『日奈子はテンプレを避けられない』

柊梨

第1話 定型からは逃げられない

 突然だが、白状しよう。


 私はある男性に恋をしている。


 ……………。


 いやいや、ちょっと待ってくれ。これには海よりも深い理由があるのだ。



 まず、階段を降りようとしたら、足が上履きの踵を踏んで転びそうになったところを、腕を掴まれて助けられた。

 次に、「プリントを運んでくれ」と先生に言われたから運んでいたら、片手にバッグ、背中に家に持って帰る用の教科書を積んだ袋を下げていたからだろうか。

 案の定安定せずにすっ転んだ。そして、「大丈夫?」と同性でも堕ちてしまうような可愛い顔をしてプリントを拾うのを手伝ってくれた。


 と、まあ、なんともお約束的な恋だ、と今更ながらも思う。

 だが、結果的に私は彼の虜になっていた。

 そして私は必ず彼とくっつくのだと覚悟を決めていた。なぜだかわからないが、神様のお告げというやつだろう。多分。


 だが、私は正直なことを言うと、今までこんな出来事は結構あったのだ。

 小学校でも、中学に進学したときも、「これが神のお告げか〜」と思うようなことがあった。

 でも、それはことごとく失敗してきた。


 それはなぜか。


 私は受験期間になってから、真剣に考え始めた。親がすすめてくる参考書や塾なんか見向きもせずに考えた。

 先生に「このままでは志望校のランクを下げる必要もあるかもしれません」と進路面談の中でもトップクラスの厄介な話を振られながらも、考え続けた。


 そして見つけた。……妄想しすぎていたのである。


 そう、私は稀有なことに小学4年生くらいからだろうか、過度な妄想と、妄想が行動に出てしまう病気、いわゆる「厨二病」を罹患していたのである。

 恋愛ものの漫画から、ラノベに、ドラマ。ほとんどの作品に明け暮れたのだ。

 その中で恋とはなんたるか、付き合うとは何かを徹底的に教え込まれていた。

 だが、今考えるだけでも恥ずかしいが、こういった空想上の話は全て作者の理想が形になったものだ。


 パンを咥えながら角すれすれを走る男子高校生などいるはずがないし、表は普通の人間だが夜になると、女性だけを狙って血を吸いにくる吸血鬼なんて飛んでいるはずがなかった。


 私は今まで先人が引いたレールを「これがあのヒロインが味わっていた景色かー」などと宣いながら、戯言という蒸気を発しながら走っていたのである。


 そしてそれが解体されたのがいつだったか。

 ……そうだ、高校入学した時だったはずだ。


 なんとか気合いを入れて「あの子みたいなかわいい恋をするぞ!」と腰を叩きながら、シャープペンシルに力を入れたらすぐに芯が折れてしまうほどに勉強に打ち込んだ。

 結果的に志望校のランクは下げずに済んだが、第一志望よりいくらか低い偏差値51くらいのいわゆる普通校に進学することができた。


 ……そして、私は新たな恋をしたわけである。

 私はいつまでも同じ轍を踏むわけにはいかない。


 だからーー。

 私は新しい形で、誰にも見たことのないようなアプローチをしてみようと思う。



ーーー



 次の日。私は教室の脇にあるベランダにいた。

 なぜこんな暴言が吐きたくなるほど風が吹く場所にいるのかというと、彼を観察しようと思ったからだ。


 情報を制するものは戦いを制する。

 先生が必死になって覚えさせたこの古代中国の孫子が記した名言が今になって意味がわかったような気がする。


 時刻は、午前7時前。授業が始まるでおよそ1時間弱ある時間だ。

 彼は早く登校するという事前情報を掴んでいたからこそのこの行動だ。

 手元にはお母さんに無理を言って早めに作ってもらったお弁当の入った肩掛けバッグがある。

 それを握る手がだんだんと熱を帯びてくる。

 顔が熱くなっている。胸が異常なほどに脈を打ちつけているのだ。


 普段ならここで「やっぱ無理〜!」とか言って退散するのがオチなのであるが、今回は違う。

 絶対に一番最初に「おはよう」と言うのだ。

 やはり、女子から一番最初に言われる「おはよう」より気分の良いものはないだろう。


 鏡を取り出し、昨日の夜から練習していた可愛い笑顔を再現しながらおはよう、と呼びかけ練習をしていたら、大音量のブレーキ音が中庭を満たした。


 ……来た!


 ベランダの隙間から顔を覗かせると、暑そうに服の中にバタバタと空気を送り込みながら自転車を降りて、鍵を掛ける1人の男子生徒が見えた。

 パッと見ると、その姿は大柄の男だが、目を凝らすと泣きぼくろがかわいい美男子が現れるのだ。


 バックを荷台から下ろす姿、鍵をかける仕草。その全てがかわいいで埋め尽くされていた。


 ……ここから顔を出して言ってみようか?

 いやいや、ここで挨拶したら出待ちしてたみたいに思われるからちょっと待とう?

 それが良いじゃないか。多分彼だってドキッとするに違いないぞ。

 いやいやいや。それやったらこの子の心臓が過剰反応して気絶しちゃうからダメよ!


 私の心の中の天使と悪魔が挨拶するかしないかで戦争を起こしていると、


 ぽんっ、と。肩が叩かれた。


「日奈、アンタ…何してんの」

「あっ、いやっそのこれはね!?」


 目の前には学年1頭がおかしいと女子の中で称される、高校初めての友達、優花が立っていた。


 頭がおかしい、そう揶揄される所以というのが、スカートをパンツぎりぎりのところまで折ってそのままダンスしてみたり、ちょっと身長がみんなより高いからという理由で教室の上に設置されているエアコンの電源コードを入れてあげたり、その度に男子の視線を集めるところとか。思い出せばそこの尽きないくらいの不純の塊なのだ。

 ……そのくせ彼氏がいるというね。それも6ヶ月くらい続いてる。


「ははーん。わかったわ。今アンタ、あれね。あれをしてたのね!」

「あ、あれって何よ……」

「この学校の名物、雄也ブレーキを聞いてたんでしょっ!」

「……ち、違うよ」

「あ、あれ?! 違ったかぁ……」


 これだから頭がおかしいと言われるのだ。ちょっと考えればわかるだろうに。


 だが、彼女は私のとてもかけがえのない親友でもある。

 いわゆるズッ友だ。……ちなみにズッ友という単語はすでに死語であるらしい。弟がそう言っていた。

 じゃあ今の流行の言葉は何なのと聞くと「マイメン」とかいう、ちょっとよくわからない返答が返ってきた。


「あのさ、正直に今の日奈の感想言っていい?」

「ど、どうぞ?」

「がちもんのストーカー」

「いやそれどういう意味よ!」

「いやだって、アンタの今の体勢見てみ? 驚くよ?」


 言われるがままに目を体の方に落とすと、そこには極限まで小さくなった体があった。そして左手にはスマホ。カメラアプリが起動している。しかもズームが最大にセットされていた。


 なるほど。これはガチもんのストーカーと言われてもしょうがない。


「た、確かに……これはストーカーね」

「でしょ? 雄也にこんな姿見られたくないなら、早くその体勢やめな」

「はぁい」


 足を伸ばし、スカートについた小さな石を右手でパンパン、と払う。

 と、同時に伸びをする。慣れない体勢をしたせいでちょっと体を捻ってしまったようだ。


「つかさー」


 ベランダの壁に寄りかかりながら優花が、


「アンタ、なんか変わったよね」

「ん?! どゆこと?」

「どーゆーことも何も、なんか雰囲気が変わったよねって話」

「それは良い方向ってこと?」

「うん。うちみたいな捻くれたやつとやってるって結構珍しいことだよ?」

「……それは、そうかも。優花みたいなちょっと頭の飛んでる女子とつるんでるって結構珍しいかも」

「……それはどういう意味じゃいっ!」


 ちょっと笑いながら突っかかってくる。

 正直、前髪が崩れるからやめて欲しいのだが。



 突っ掛かれながら、教室に入る。中には女子数人と、早起きをして勉強に励む真面目君数名がいた。

 彼の姿はまだいない。多分、下駄箱の自販機で飲み物でも飲んでいるのだろう。


 視線をドアではなく、女子たちに向けると、あからさまに彼の席付近に待機をしていた。

 私の席も近いからやめて欲しいのだが。


 私が占領された席にバックを置こうかと迷っていると、男子数名の影がドアの向こうから見えた。

 ……なるほど。友達と一緒に来たのか。それなら遅い理由も頷ける。


 女子たちは一斉に、後ろのドアへ。優花と私は前方のドアにそれぞれ待機した。


 落ち着け、心よ。2分の1だ。幸運値の高い私ならこんな確率当てられるに決まってる。

 大体、男子というのは目立ちがり屋で朝一番に大きな声でおはようと叫ぶのが慣例と決まっている。

 ……と言っても、私は初めてこんな時間に来るのだが。



 手を握りしめて祈る私を尻目に、ネイルを気にし出す優花に一発拳を打ち込んでやりたい気持ちを抑えながら、とにかく待った。


「「おっはようございまーす!」」


 声は二方向から聞こえた。

 結構想定外だが心配ない。

 バッと前を向いて私は誰彼構わず言った。


「おはよう!ゆう……あっ、先生!」


 先生だった。

 まさかのまさかだった。


「はい、おはようございます、日奈子さんに優花さん。今日もいい天気ですね」

「風がやばいけどね〜」


 やはり、彼氏持ちは風格がそもそも違う。

 爪を見ながら適当に返す姿は、まさに捻くれたやつだった。


 そして、私は答えの後ろの方を見た。

 やはり、雄也だった。


 心の中で「ほら見たことか、ベランダの時点で言っておけばよかったのよ」と天使がふんぞり帰りながら勝敗を悪魔とつけていた。


 あーあ。失敗したーー。1日1回限定のお話イベントを運が悪くて消費してしまった。

 そんな心の声が聞こえたのか、優花が教卓の角っこに立って私を見た。


「てかさー、日奈の席ってどこだっけ? 先週席替えしたから忘れちゃってー」

「え? んもう、しょうがないわね」


 私はやれやれと言いながら教室の後ろの方に歩いて行った。

 そして、新しく割り当てられた席の目の前に立ち、バックを席の横のフックにかける。


 そこは、席順ランキング第一位(個人差あり)の場所である、四隅の窓際の一番後ろだった。

 前に見えるは、女子の群れ。

 そして私は静かに席に座り、微笑んだ。

 視線を斜め前に動かすと彼が見えた。


 この学校の席の間隔は結構近い。というのもグループワークを基本としているため、4人班が作りやすいように意図的に近くなっているのだ。……決して、私がこの席に決まった時に偶然掃除担当でみんなが偶然返ってしまったから恣意的に近くしたっていうわけじゃない。


 まあ、そんなすぎたことを考えるのではなくて、現実を見よう。

 彼……雄也の斜め後ろに私がいる。そして彼の席は隣に仲のいい男子生徒がいるため、高確率でこちらを見る。

 そして私は自由に彼の勉強している後ろ姿を見ることができる。


 ……つまり、


「超神席じゃねーか!!」


 優花の叫びが響いた。



ーーー



 そのお昼。

 私は優花と机を隣り合わせにしてご飯を食べていた。

 箱を開くと、ちょっと冷たくなった卵焼きにプラスチックカップに溜まった野菜と滴り落ちたその水。それとお米の、まあ、普通の女子高生の昼食が詰め込まれていた。


「あのね、私思ったんだけど、」

「うん」

「見たことないアプローチってなに?」

「……いやそこかよ」


 そう、あんなに堂々とした態度で宣言したはいいものの、こっちは元厨二病患者だ。頭の中にはテンプレしか出てこない。


 改めてご飯を食べながら頭をひねる。むむむ。

 と、いうか見たことない、という答えが成立するには前提として相手の好意が必要なのではないか。

 どこかの転生小説も半ば両思い的な感情があったからこそ付き合えたわけで……。


 ダメだ。考えれば考えるほどにこんがらがってくる。


 そんな考える人となっていた私を見た優花は手を伸ばし、


「むにゃっ!?」


 両頬を掴んだ。


「アンタ、アプローチのスの字も知らないじゃないの」


 どこにスの要素があるのか。

 ……確かに、私は学問のすゝめならぬ恋愛学のすゝめを知らない。


 と、優花は偉そうに指をこちらに向けて、


「いい? 恋愛の基本は身だしなみからよ!」

「へ? 私、それなりに気をつかっているはずだけど……」

「ダメダメ。そんなすっぴんじゃダメに決まってるじゃない。それにその長い髪もそのままにしていいと思ってるの?」

「なるほどなるほど。で、なにすればいいんですか?」

「んーとねー、まず、彼の好みを特定することから始めようか」


 おっと。

 咄嗟に雄也の方に行きそうになった優花の腕を掴む。

 わかってない、わかってないよ。


「こういうのは秘密裏に聞き出すのが定石なんじゃないの?」

「なーに言ってんの。うちに任せときな! うまーく、ダブルデートできるようにしてやるからよ!」

「ね、ねぇ、嘘だよね? 早すぎるよね?」


 咄嗟に口を押さえる。彼がこっちを見たのが視界の端にとらえた。

 反射的にそっちを見てしまう。

 今日ほど視力を落とさなくて良かったと思った日はなかった。


 だって、私を見て微笑んでたんだもの。


 その隙に抜け出した優花が彼に接近する光景もなんか気にならなかった。

 だが、微笑んだ表情のまま彼の顔は動かない。どうしたらいいのか。

 とりあえず、微笑み返す? 手を振る? それとも……。


 有効な解決策を見出せないまま優花が彼のそばに到着するまで私たちは見つめ合う形になった。


 滑稽だ。


 恥ずかしいはずなのだが、2人の口元をずっと見てしまう。

 だが残念なことに、私には離れた場所の会話を読み取る選択式の特殊能力を持ち合わせていなかった。もし機会があったら読唇術を取ろうと思う。


 しかし、彼氏持ちは男子に対する耐性が低いな……。

 私にもあんな気概があったらいいのに。



「雄也、今日は忙しいってよ」


 ……しばらくして、優花がなにやら企んだ顔で戻ってきた。


「そっ、そう……まあ当然よね! 急に話題を振ったのが悪いんだし」


 当然と言えば当然だ。

 でも、ちょっとだけ期待しちゃったな。


「でもね! 好きな髪型とか、タイプとか色々聞いてきたよ」

「ほう。なんだったの?」

「えーとね、ここじゃあちょっと言いにくいから今日モールで色々話すよ」


 言いにくい好きな髪型とは。

 そんな感想が浮かんだが、唐突のデートフラグは回避できた。


 自分のさらさらとした髪を触る。

 肩下に届きそうな髪はどこぞの同人誌に出てもおかしくない髪質だ。


 いつか、この髪を彼に触ってもらえる日は来るだろうか。

 希望的観測でしかないけど、これくらいの願望はあってもいいよね。


 だが、一つ、疑問がある。


 彼は、果たして私のことを、少なくとも好印象と思ってくれているだろうか。


 答えは本人にしかわからない。

 優花に聞いてもらう、という手もあるが、それはなんか嫌だ。

 どうせなら2人きりの時に話してもらいたい。まるでどこぞの体育館の中の光景ように。


 そんな、人生で手に数えるほど真剣に考えていると、


「はーい、じゃあ授業始めますよー」


 授業が始まっていた。

 机の上には教科書はおろかペンさえ出ていない。


「……いっけね。お母さんに怒られちゃう」


 そんな小さな小言が彼には聞こえたのだろうか。


「……日奈子、おもしろ」


 そんな声が聞こえた。

 優花かと一瞬思ったが声が低かった。


 彼かと思って視線を動かす。


 だが、雄也はすでに友達と話し始めていた。

 幻聴としか処理できなさそうだ。


 むむむ。


 でもなぜだか、心臓が鼓動を早めている。

 この鼓動は見覚えがある。


 なんだったか。……そうだ、あれだ。


 思い出して思わずスカートの裾を握る。

 こんなところで再発してなるものか。


 握る手が次第に心臓に近づく。


 完治させたと思っていたのに。

 再発しないと思っていたのに。




 どうやら私は厨二病を再発しかけているようだ。

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