2

 墓穴から蘇った女が何人目かを殺害したところで、僕はふと我に返った。気がつけば、映画はもう中盤に差し掛かっていた。

 暗い室内で、テレビだけがチカチカ光を放っている。隣に座るシオンは、足を組み直したり、頬杖をつきながら画面を見つめていた。僕は、というと、ソファの上で膝を抱えるようにして、画面に向かっていた。

 思い出したように足を下ろして、僕はローテーブルのマグカップを手に取った。シオンが淹れてくれたココアは、もうすっかり冷めてしまっていた。けれど、つい癖で息を吹きかけた。

「あさひ」

 急に呼びかけられて肩がはね、カップに向かうはずだった口を慌ててシオンに向ける。しかし、彼の目には相変わらず四角い像だけがうつっていた。

「全然おもしろくなくない?」

「え」

「映画。これは不評なわけだ」

 真面目な声と顔でシオンは言った。僕は密かに胸を撫で下ろして、ぬるいココアを一口飲んだ。

「でもこういうのの方が好きなんでしょ」

「うん」

 頷いたシオンは、「ふふ」とかわいく笑った。

 シオンがB級映画好きというのは、いつだか本人から聞いた。どうして好きなのか、理由も聞いたはずだけど、「リアルなのはどうも苦手でね」という言葉以外はすっかり忘れてしまった。どれだけ付き合っても、僕にはその良さが分からない。けど、彼が僕の好きなものを覚えていてくれるこの時間は、嫌いではなかった。

 カップの中を覗きながらぼんやりと考えて、僕はまたココアを口に含んだ。ほろ苦いそれを飲み込むと、半分腰を上げてカップをトレイに戻す。ソファに戻ってまた膝を抱えた。

 しばらくの間、僕は黙ってテレビを眺めていた。しかし、派手な演出が繰り返されるだけの画面にはすぐに飽きてしまった。それでも我慢して目を向け続けたが、全然進んでいない時計を見た途端、内容を追うのを諦めた。

 暇になって、僕はなんとなくシオンに視線を移した。好きだと言った割に、意外にもシオンは気だるげにソファに背中を預けていた。いつもこんな様子だったのかと流しかけたけど、そういえばB級映画を見ている時のシオンを僕は見たことがなかったと思い至る。何をおもしろいと感じているのか。見ていれば分かる気がして、僕は映画を見るふりをながら横目でシオンを観察した。

 真顔で頬杖をついていたシオンは、ある時、静かに口角をあげた。それを見た瞬間僕は瞼を押し広げた。素早く画面を振り向いたけど、シーンが切り替わってしまって、シオンが笑った理由はわからない。でも、そんなのがどうでも良くなるくらい、僕に笑いかけるのとは全然違うその笑い方が、記憶に焼きついてしまった。瞬くたび、それが繰り返されて胸がざわめく。いやいやと首を横に振っても消えない。気がつけば、頭の中が勝手に小さな暴走を起こしていた。

 でも、と僕は自分とシオンとの間に空いている感覚に目を落とした。僕たちの関係はこれが「答え」だから、妄想を実現させることはできない。僕たちはお互いに恋人っていうラベルを張り合っているけど、その中身は多分全然違う。自分勝手な欲求なんて、押し付けちゃいけないのだ。

 これまでも同じ欲求が湧くたびに、同じことを言い聞かせてきた。感情や感覚をまるごと抑え込むように、重力にまかせて膝と胸の間に頭を落とす。そのまま目を閉じて、心の中で気を紛らわせる何か別のことを考えようとした。

 すると、突然頭全体に何かが被さるのを感じた。目元だけで上を見てみると、シオンが手のひらを載せていた。テレビに照らされたシオンの顔は、半分だけ白っぽくなっていた。

「眠い?」

「ううん」

「じゃあ、怖い?」

「あはは。それはない」

「嘘つかなくていいよ」

「本当だけど」

「ふーん」

 目を細めて見つめてくるシオンから逃げるように、僕は画面を注視した。テレビの中の薄暗い墓地では、血と泥に塗れたヒロインがゾンビの頭をシャベルで潰していた。彼女がシャベルを振り下ろすたび、血に見立てた赤い水が噴き出す。悪趣味だと僕は思うけど、B級映画が好きな人は、きっとこういうのが好きなのだろうと思う。シオンだって、こういうのを楽しみにしているはず。しかし、横髪に隠して盗み見たその瞳はまだこちらを向いているらしかった。

 シーンが切り替わるタイミングで、僕の頭から手が離れた。ふっと寒くなる感覚にほんの少し寂しくなって、今度はしっかりとシオンを振り向いた。ちょうどその時、シオンがぐっと腕を伸ばしてきた。

「わ」

 巻き込まれるみたいに肩を引かれると、僕はすっかり彼の腕の中に収まった。風呂上がりの匂いに包まれて、背中にじわじわと変な汗が浮かぶ。

「な、なに?」

 しなだれかかってくる重みに喋りかけると、「寒くて」という響きに近いような声が返ってきた。

「あ……そう」

「うん」

 「つむじ押さないでね」という冗談も半分聞き流した僕は、自分のパジャマの袖口を掴んで、膝を抱き込み直した。寒いなんて、嘘に決まってる。もう秋も終わりかけなのに、この人はずっと半袖を着ているんだから。じゃあなんで、というのは、考えてもいいことなのか。染めたばかりの金髪の癖毛を、じっと見下ろす。

 映画はラストスパートにはいり、復活した女のゾンビが、逆襲するように十人、十一人と人間を食い殺していた。

「あのさ」

 画面を見たまま、僕は言った。

「ん?」

「これ、終わったら」

 言おうと思った続きはやっぱり言えなくて、指を丸めたつま先を見る。少し間が空いて、シオンが口を開いた。

「三もあるけど」

「あ……えっと、そうじゃなくて」

「寝たい?」

「それも、違う。別に眠くない」

「じゃあなに?」

「えっと……」

 僕が言い淀んだとき、画面から叫び声がした。息を飲んでそちら見ると、ヒロインがゾンビがキスしていた、もとい、顔から食われていた。シオンが短く笑った。

「もしかして、これだったり?」

 その声が背中に響くと、口が開かなくなった。

 シオンは僕のことを笑ったりするようなやつじゃないって知ってる。いまのは、粗末過ぎる映画のワンシーンに対して言ったことなのも分かる。でも、なんだか口の中が苦い感じがして、もう何も言えなかった。

 膝に頬を押し付けるような格好で、僕はテレビを見つめ続けた。ヒロインは、とうとうゾンビに食い殺されてしまった。あんなにつまらなかったのに、僕はその映像から目が離せなかった。

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