第2話 誰がために

「基本はホルモンバランスだ」


 人は怒りを感じたとき、アドレナリンとノルアドレナリンが分泌されて、精神的な物が引きずられる。


「これを抑制するのが良いだろう」

 猪狩いかり 霧斗きりとはそう言った。




 ―― 高校時代からの友人仁野ひとの 義也よしやが変わり果てた姿で尋ねてきた。


 彼は優秀で、周りにも気を使う良い奴だった。

 大学卒業後は、大手の電気機器メーカーに就職をして、本当なら開発に従事したいと思っていたのだが、営業に回されたと嘆いていたのが、彼と会った最後だった。


 それから数年、久しぶりに会った彼は、比喩では無く、死にかけていた。

 開発に行きたいと希望を出す彼を、彼の上司は疎ましく思ったらしい。


「お客様の声を聞くのも大事な勉強だ」

 彼にそう言って、サポートセンターへ向かわせた。


 この会社では、サポートセンターは、派遣会社からのパートさんが使われていた。


 そんな中に、正社員の彼が来た。

 当然居心地は悪く、責任が重そうな案件は彼の所に回ってくる。


「上司を呼べやぁ」

 相手は、そんな言葉を吐くような連中ばかり。

 対応を間違えれば、会社を巻き込んで騒動となる。


 彼はそんな慣れない仕事に、そして、その重圧に神経をすり減らして、優しい彼の心も押しつぶされていく。


 そして、そいつは現れた。

 間違った使い方をして、機械が壊れた。


 販売していた冷風扇。

 その背後に瞬間冷却スプレーを設置して噴射。

 スプレーの主成分は、フッ素ガス系では無く、LPガスと水だったようで、冷風扇が故障。

 壊れたと思い、通電をしたままで分解をして、ガシガシしたら、何かのタイミングで火花が発生。部屋に充満をしていたガスに引火。爆発をして死にかかった。


 とまあ、どう考えても通常の使い方では無い。

 だが説明書にも、背後から瞬間冷却スプレーを使うなとは書いてないの一点張り。


 同じ缶スプレーを購入すると、各種注意書きが明記されている。無論成分も……


 その辺りも含めて説明するが、聞いてくれない。


 彼はため息を付きながら、総務部へつなぐ。そして、法的な対応をお願いする。

 それで終わったものだと思っていたのだが、彼の意見は却下されて怒ったらしく、なぜか矛先が義也に向かったらしい。


 そこからは、クレームでは無く、個人的な攻撃へと変わった。

 あることないことをでっち上げて、オペレーターへ言いまくる。

 無論信じはしなくとも、彼が原因で仕事が滞ると上に報告が行く。

 理不尽にも、彼は訓告を受ける。そう、嫌み上司からのお小言だ。


 それでも、執拗に連絡は来る。

 会社は、サポートセンターを閉じるわけには行かず、対外的には彼はすでに退職をしたと嘘をつくことになり、偽名で応対することになる。


 だが、そこまでしても、そいつは電話をしてきて、彼はさらに追い込まれていく。


 そして、彼女の浮気をきっかけに、本格的に彼は精神を潰されて、通院。

 仕事にすら行けなくなった。


 世の中の理不尽。

 非常識な奴が罰せられず、真面目に頑張る人間が潰される世の中。


 彼は思い悩んだ末に、友人を頼ったのだ。


「ひどい話しだが、かといってどうにもならん」

 最初、霧斗はそう言った。

 だが、そこで引かなかった彼。


「本当にそうか? 君は脳と感情について研究をしているのだろ。怒るとき脳内で何が起こっている」

「そりゃ、扁桃体が活性化をして、シナプスの暴走とかも起こるが、異常なホルモン分泌も要因ではある」

 それを聞いて、義也はうんうんと頷く。


「じゃあそうなったときに、抑制できる方法は無いか?」

「そりゃ、セロトニンとか…… まあ気持ちを落ち着かせるためには、時間をかけて、アンガーコントロールを実践。そう…… 先ずは、気持ちを落ち着かせることが重要だ」

「じゃあ、それを制御できない人は?」

 そう言うと、彼は困ったような顔をする。


「非定型抗精神病薬などは、興奮を抑える効果があるけどな」

「じゃあそれを、人にあらかじめ組み込めば、怒りの暴走を抑えられないか?」

 その提案を聞いて驚く。

 じゃあじゃあじゃあ、という攻撃。

 こいつ、最初からそれを考えていたな。


「人に組み込む?」

「ああ、酸素が増えた世界で、順応するために毒となる酸素を活用しようと、生き物はミトコンドリアを取り込み、おのれの武器とした。いや逆かもしれないが、酸素を使えるようになった生物は大型化をして、繁栄をした。それと同じように、怒りを感じたときに、抑制するホルモンを強制的に分泌させれば、人は冷静になれるのじゃ無いか?」

「理屈ではそうだが……」


 彼はそれを聞いて考える。


 昨今の異常な世界、増えすぎた人類は他者への攻撃を増し、それは、人類を滅亡へと向かわせ様としているのかもしれないと、昔友人達と語った記憶。


 そうそれは、高校時代の義也を含んだ友人との会話。

 その会話は、現在彼が脳科学の道に進んだことにも、多少影響を与えている。


「上手く行くのかは分からないが、やってみるか」

 彼は自分が行う実験の合間に、それを作ってみる。


 実験用ラットなどは比較的おとなしいが、ストレスなどで対物攻撃行動や、自傷、共食いまで起こす。


 それを確認をしながら、いくつかの実験を行う。


 その集団は、ストレス下でも異常行動を起こさなかった。

 入荷時期による偏差があるので、接種無しとは分けてある。


 定点観測の映像でも、ストレスのあり無しで差が出ない。

「ありゃ。なんか、すんなりと成功か?」


 そのウィルスは、ノルアドレナリンとかを嫌い、抑制をしようとして、トリプトファンという必須アミノ酸をセロトニンに変換したり、ドーパミンやオキシトシン、一時期話題になったβ-エンドルフィンまで、このウィルスがどう関与をしたのか、すべての数値が上昇をしていた。

 基本このウィルスは、安定をして変異しにくいタイプをベースに使っている。


 だが、予想を覆して、強すぎたのかラットは、ある行動を起こした。

 死後に解剖をすると、脳脊髄液中の5-HIAAの低下が認めらた。この物質は衝動的な自死に、関与する指標だと言われている。


「うーん。どうかなぁ。レスポンスがよすぎるけれど…… 世代を重ねると落ち着くかな?」

 彼は、よく分からないのだが、実際に結果が出たために、実験を進める事に決めた……




 #ホルモンなところは、突っ込まないでください。専門外なんです。

 SFを書きながら開き直り。

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