第3話 摂理(せつり)

 彼は、気がつかなかった。


 ケージの床敷きに、変異をして、いつの間にか強さを増したウィルスがいたことを。


 ラットの死体も、袋に入れて冷凍後廃棄される。

 床敷きと言われる木くずも同じだが、交換時に空気中に飛散。

 施設の排気はフィルターを通すのだが、この施設の管理はそこまで厳しくないP2レベル。


 清掃担当者は、専用のマスクをしていたのだが、微量に吸ってしまう。


 そこから、少し風邪のような症状が出たものの、その後はなにも異常がなく、それは密かに広がっていく。そう、接触感染しかしないはずのウィルスは、変異。

 飛沫などを介して、静かに広がっていった。




「―― どうだ?」

 絶望的なくらいやつれた、義也。

 もう仕事にも、行けていないとの事だ。


「うん。まあぼちぼち」

 だが初めて二ヶ月などで、結果が出るようなものでもない。


「上手く行かないのか?」

「そんなに簡単にはいかんだろ。気長に待て。俺だって仕事があってな」

 彼は丁度、製薬会社と組んで、新薬の効果を検証中だった。



 そんな中で、事件が起き始める。

「おい、これってまさか?」

 義也から、メッセージアプリを介して連絡が来る。


「いや、そんなはずは無い。あれはロタウイルスなどと同じ2本鎖RNA系ウイルスのはず。簡単に変異は起こらない」

 管理もしっかりしているし、大丈夫。

 頭の中で確認をする。


「まあどっちでも良いか…… 俺としては思ったような効果が出て、今は被害も少なくなったようだし」

 義也は嬉しそうに、教えてくれる。

「そうなのか?」

 彼の元に来ていた電話も、ピタリと止まったようだ。

 サポートセンターにいる、少ない味方から連絡があったようだ。




 ―― 彼は、田堰たせき のぞむ


 彼は、子どもの頃から、絶対に自分のミスを認めず、大きくなった。

 それは、幼少期に母親が彼を溺愛をしたためだ。

「望ちゃんは悪くないのよ。お片付けをしないなら、文句を言う前に先生がすれば良いのよねぇ」

 そんな感じ。


 宿題を忘れても、学校から帰ってまで勉強をしなくて良いでしょうと、学校にクレームを入れるようなタイプだ。

 無論給食にも、嫌いな物を出すなと言いに行った。

 そう、嫌いな物を出すのは、ハラスメントだと……


 そんな感じに、大事に育てられて、彼は中学で弾けた。

 いわゆる不良。グレタとか……

 無論グレタと言っても、政治的な主張をし始めたわけでは無く、学校には行かず繁華街を歩く。


 そう、彼は自由を求めた。

 幾度も補導されて、最初は頑張ってかばっていたのだが、流石に徐々に親にまで見放されたようだ。


 彼のおかげで、両親は教育方針を元に喧嘩が勃発、険悪な期間を経て離婚。


 離婚後、母親は生活のために働き始めて、彼を甘やかせる余裕がなくなってしまった。

 それがおもしろくなくて、さらに歯止めはきかず、悪さを行った。


 だが、友人達がもめていた連中と抗争を行い、喧嘩の最中に彼も捕まった。

 その後、保護処分となり、少年院へ。

 退院をしたのだが、中学すら卒業していない彼に、世の中は冷たかった。


 底辺と言われる仕事を転々としながら、ネットへの書き込みや、サービスセンターにクレームを入れて日頃の鬱憤を晴らしていた。

 日々、彼自身が使い物にならんとか、仕事が出来ないと言われ続ける。

 そんな彼が見つけた息抜き。


 文句を言うときには、相手は低頭になる。

 それを使い、彼は自身の承認欲求を満たそうとする。


 人を下に見て、マウントを取る。

「これ知らないの?」

「これやったほうがいいよ」


 その裏には、俺はお前よりも優れていると、という心がある。

 褒められ続けた幼少期。

 その記憶が、彼の心をゆがめてしまったのだ。


 その言動が、彼の周りからさらに人を遠ざける。


 エアコンの無い、ぼろアパート。

 何とか扇風機を買いに行き、店員にそんな安物を買うのかよと言われている気がして、高い羽無しファンを買う。


 だが、値段は高くて羽は無くとも、出てくるのは単なる風。

「チクショウ、暑いじゃねえか」

 ある日、安いビールを求めて薬局へ行き、そこで急速コールドスプレーなる商品を見つけて買う。

 これは布などに吹き付けると、表面に氷が出来たりする。


「おっ涼しい。こりゃいい」

 スプレーをパシュパシュしていたのだが、あることを考えた。


 縦型ファンの向こう側に台を置き、スプレー缶のアクチュエーター、つまり上部の押しボタンを押した状態で、ガムテープで固定した。


「おおっ、こりゃいい」

 自分は天才だと彼は思った。


 風は一気に、部屋の温度を下げたような気がする。

 だが缶はすぐに終わってしまう。

 一本六百円。

 少し落ち着いて考えれば、かなり高い。


 だが彼は、幾度か繰り返した。

 無論羽無しと言ってもケース内には存在をする。

 その下部には、モーターも存在しているのだ。


 つまり、羽は結露を繰り返し、縦型ファンはある日不具合を起こす。

「あん? もう壊れやがったのか?」

 彼は、わかりもしないのに分解を始める。

 スプレーを出しながら、ファンもコンセントも線が繋がったまま。


 そして火花が飛ぶ。


 使っていた急速冷却ファンはLPガスタイプ。

 そう、可燃性のガスだ。

 しかも空気よりも重いために、床側に溜まる。

 だから、ガス検知器は床に近いところに設置をする。


 火花により発火。一気に火焔は広がり爆発をする。


 彼は、意識を失ったのだが、少しの火傷ですんだ。

 だけど、近所に警察を呼ばれて、救急車に乗り、警察と大家に叱られた。


 その怒りは、当然の様にスプレー缶の会社と、爆発の原因となった縦型ファンのメーカーに向かったのだった。

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