第37話 安心と緊張は同じ温もり
「ジーク!!!!」
森を出る日を翌日に控えた朝。
目を覚ましたばかりのラーラマリーは僅かな沈黙の後、顔を真っ赤にして絶叫した。
「お……お願い、ジーク、起きて!! なんで、こんな……」
身動きが取れず、恥ずかしさと動揺で声が震えてしまう。
ラーラマリーは柔らかな寝台で、温もりの中にいた。
だがそのあたたかさは、耳元まですっぽりと掛けられた、羽毛がたっぷり詰まった布団だけによるものではない。
彼女を包む甘やかな熱は、何故か共にその布団の中で寝台に横たわり、ラーラマリーをがっちりと抱き締めたまま目を閉じているジークヴァルトの体温だった。
彼の胸の中、襟元を寛げたシャツに頬を寄せてぴったりと寄り添う体勢になっており、ラーラマリーの耳に響く大きな鼓動の音は、ジークヴァルトのものなのか自分のものなのかわからない。
服は着ている。
体にも異変はない。
むしろぐっすり眠れたようで頭はスッキリしている。
しかしそれを置いても、一体どうしてこんなことになっているのか。
問いただしたくて、と言うよりも一先ず離れたくて声を掛けても、ジークヴァルトから反応はない。
ビクともしない強固な拘束から逃れようと暫くの間必死でもがいていると、ラーラマリーを宥めるように、抱きしめる腕の力が強くなり、さらにぎゅうと距離が詰まった。
「──っ!!」
声にならない悲鳴が喉の中に消え、焦るラーラマリーの頭の上から、ジークヴァルトの噛み殺すような笑い声が漏れ聞こえた。
「ぶっ……くく……」
その声で、ラーラマリーは悟った。
「──もう、ジーク!! あなた、ずっと起きてたわね!?」
顔を真っ赤にしたまま声を荒げれば、拘束が緩まり、ジークヴァルトの細められた金の瞳と目が合った。
「ああ。ラーラマリーが起きる少し前から。──おはよう」
にこりと熱の籠った瞳で微笑まれ、するりと頬を掠め髪を撫でられる。
ラーラマリーは急いで起きあがろうとしたが、それを制止するように、ジークヴァルトは彼女の肩をやんわりと寝台へ押した。
「え?」
仰向けになったラーラマリーの上に、体重こそかけてこないが、そのままジークヴァルトがのしりと覆い被さる。
薄い肩の横、寝台にぎし、と彼の腕が沈む。
真上から見つめられ、掛けていた耳からこぼれ落ちた彼の赤い髪が、さらりとラーラマリーの首をくすぐった。
「じ……ジーク……?」
完全に押し倒されたような体制で閉じ込められ、バクバクと心臓が破裂しそうに煩い。
緊張をどうにかしたくて、思わず小さく名を呼んだ。
だがジークヴァルトは僅かに眉を上げ、すっと目を細めて怪しく微笑み、震える彼女を見下ろすと、わざとらしく首を傾げた。
「──ん? どうした?」
彼女の困惑を分かりながらも、知らないふりをするように短く問い返してくる。
「あ……あの……」
唇が震えて、上手く声が出ない。
そうしている間に、ジークヴァルトの大きな手が、つ……と彼女の頬に触れ、美しい顔が近付いて来る。
もう吐息を感じる程の距離しか残されていない。
首まで朱に染まるラーラマリーは涙の滲む目をギュッと瞑り叫んだ。
「ジーク!! 待って!! ま、まだ心の準備が──!!」
──ふ。
額に優しい温もりを感じ、固く閉じていた瞼をそっと開ける。
「どうした? そんなに大きな声を出して。熱を測るのに、ラーラマリーは心の準備がいるのか?」
見れば、ラーラマリーの額に手を当てたジークヴァルトが、彼女の間近、それは良い顔で意地悪く微笑んでいた。
「か……揶揄ったのね!?」
思わず抗議の視線で睨むと、ジークヴァルトはするりと寝台からおり、むくれるラーラマリーに布団を掛け直して頭を撫でた。
「熱もなさそうだし、顔色もいい。それだけ元気なら問題ないな。薬湯を入れるから、そのまま待っていろ。飲んだら朝食にしよう。ついさっきオルフェが持ってきてくれた所だ」
茶器の準備をしながら平然としているジークヴァルトに、ラーラマリーはまだ熱い顔を半分布団に隠し、口を尖らせた。
「……どうして一緒の布団に? びっくりして……心臓が爆発するかと思ったじゃない」
「心臓が? ふ……それはよかった。仕返し成功だな」
ジークヴァルトは片眉を上げ、チラリとラーラマリーを見て楽しげに笑うと、再び薬を準備する手元に視線を戻した。
「言っておくが、布団に引き入れたのはラーラマリーだ。離さなかったのもラーラマリー。俺を抱き枕にしてぐっすり眠れたようだな。俺も心臓は爆発しそうだったが、ちゃんと一晩耐えたんだ。寧ろ仕返しは手加減してやった」
淡々とそう言われ、ラーラマリーは目を丸くして記憶を辿る。
(そうだ……確かに、夜中に何だか怖くなって、見張りで側にいてくれたジークを……私が引っ張り込んだ……ような……)
思い出した自分の行動に再び顔が赤くなり、ラーラマリーはそのまま頭の先まで布団に潜り込んだ。
ラーラマリーが狙われていることがわかり、魔物であるアドロが再び部屋に侵入する可能性を懸念したジークヴァルトは、ナナレと三人で話したあの後から、片時も彼女から離れようとしなかった。
日中は「体力を回復させるため」と言って、ラーラマリーをこれでもかと甘やかした。
寝台に押し込めたラーラマリーに甲斐甲斐しく食事を食べさせ、薬湯を飲ませ、頭を優しく撫で、櫛で髪を梳く。
体調が戻ってきても、ジークヴァルトはラーラマリーを抱き抱えて離さず、歩いて移動しようとすれば横抱きにされ、座ろうとすれば彼の膝に乗せられる。
ひたすら側で世話を焼きたがるジークヴァルトにラーラマリーは困惑したが、「離れたくない」と真剣に請われれば、アドロに取り憑かれた自分と対峙したのが相当辛かったのだろう事が察せられ、されるがままにするしかなかった。
夜も寝台の隣に長椅子を置き、「俺は一週間くらい眠らなくても問題ない」と冗談かわからない冗談を吐いたジークヴァルトは、眠る彼女と手を繋いで見張りをしてくれていた。
そして昨夜。
ラーラマリーは、深夜に悪夢にうなされた。
心配したジークヴァルトの優しい声で目を覚まし、寝ぼけたまま、ジークヴァルトの温もりに慣れきったラーラマリーは、不安を取り除くために有無を言わさず彼を布団に引っ張り込んだのだ。
あたたかな温もりに包まれて満足したラーラマリーは、そのまますぐに眠りに落ちた。
だが可哀想なのはジークヴァルトだ。
確かに、ラーラマリーと離れたくはなかった。
アドロの事も危惧していたし、森から彼女が出る事は、彼にとって永遠の別れを意味していた。
だから、これが最後とばかりに、彼女の表情や声、温もりや手触り、香り──その全てを忘れないよう、心に刻み込むためラーラマリーに触れ続けていた。
(だが、これは……)
ジークヴァルトは彼女の温もりと香りが籠った布団の中、一人生唾を飲み狼狽えた。
日中自ら彼女に触れに行くのと、夜に無防備な彼女と寝台で触れ合うのはさすがに訳が違う。
ぴったりとくっつき、何なら自分の胸に頬擦りさえしてくるラーラマリーの寝息を聞き続ける夜は、想像を絶する程に長い、甘やかな拷問だった。
(……俺は、試されているのか?)
ジークヴァルトは、これを試練だと思った。
自分の事を優先するのではない。
ラーラマリーの事を本当に愛し、彼女の幸せを心から選べるのか。
無意識にも、それを彼女に試されているとしか思えなかった。
(本当は……今すぐ彼女を掻き抱き、乱したい。欲望をぶつけて、何も判断がつかないラーラマリーに永遠を分け与え、自分のものにしたい。ずっと俺の側に……彼女を、自分だけのものに……!!)
心に広がる目眩がしそうな誘惑を振り切るように、ジークヴァルトは固く目を閉じる。
(──駄目だ。彼女は……家族の所に帰すんだ。家に帰れば、きっともう、ここには来ない。それでいい。ラーラマリーが幸せなら、それが一番だ)
自身の中を駆け巡る激情と衝動を必死で抑え、ジークヴァルトはラーラマリーの眠りを守る事に徹した。
「それで──言うことは?」
優しく布団を捲られ、笑顔のジークヴァルトから薬湯の入ったカップを差し出されたラーラマリーは眉を下げた。
「ご……ごめんなさい。それから……ありがとう」
こくりとリュスタールの薬湯を飲みながら、申し訳なさそうにしながらもへにゃりと笑ったラーラマリーに、ジークヴァルトは僅かに苦しげに目を細めた。
(……よかった。衝動に負け彼女に酷い事をせずに済んで……。彼女との別れは……笑顔がいい)
別れの時は明日に迫っている。
一瞬でも気を抜けば、泣いて彼女に縋りたくなる心を必死で押し込め、笑顔を向けるジークヴァルトに、薬湯を飲み終わったラーラマリーが、躊躇いがちにぽつりと言った。
「ねえ、ジーク……。あの……私の勘違い、かも……しれないんだけど……」
ラーラマリーの水色の瞳が、不安げに揺れる。
「結界を出たら……もしかして私……もう、ここへは戻って来られないの……?」
投げられた思わぬ問いに、ジークヴァルトの息は止まった。
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