第20話 不調と飴玉
「……もういいのか?」
焼きたてのパンに、ベーコンと具がたっぷりのスープ、それから紅茶の香りが漂う食堂。
早々にカトラリーを置き、終わりとばかりに紅茶を飲むラーラマリーに、斜め横に座るジークヴァルトが言う。
共にテーブルを囲むキースとメルナリッサも、少し心配そうに彼女に視線を向けた。
季節は夏を飛び越え秋に向かい、ラーラマリーが森に来てから、もうすぐで半年が経とうとしている。
初夏に差し掛かった頃から、食事をしない精霊のオルフェ以外、全員で食卓を囲むようになっていた。
「うん……何だかお腹いっぱいで。昨日の夕食を食べすぎちゃったのかも」
へらりと笑って見せるラーラマリーに、ジークヴァルトは眉間に皺を寄せた。
「昨日も、そう言って残していたじゃないか。夕食だって、そんなに進んでいなかっただろう」
「ジークヴァルト様の仰る通りですよ。完食される回数も減っていますし」
「姫様、このスコーン美味しいですよ? もう一口だけ食べませんか?」
キースも同感だと頷き、隣に座るメルナリッサが、分厚いスコーンが並ぶ籠を差し出したが、ラーラマリーは困ったように笑って、やんわりとそれを手で制した。
「ありがとう。でも、本当にお腹いっぱいなの」
「それだけじゃ足りないだろう」
「前までが食べすぎていただけよ。先に中庭に行ってるわね。オルフェ、今日もとっても美味しかった。ありがとう!」
納得していなさそうなジークヴァルトの言葉を振り切るように、キースの横でふわふわと浮かんでいた小さな光に礼を言うと、ラーラマリーは一人食堂を出て行った。
「はあ……」
廊下を歩きながら、ラーラマリーはため息を吐いた。
(心配……掛けてるよね。でも胸がずっと苦しくて……正直、何も食べたくないくらい、食欲が湧かない……)
ナナレに森を出て行けと言われてから、ラーラマリーはずっと焦っていた。
ジークヴァルトのおかげで、確かに少しずつ強くはなっている。
だが彼が手加減をしているのは明白で、獣を狩ったり、誰かと本気で戦ったりの実践も積めていない。
相変わらずジークヴァルト達には「竜はまだ隠れて眠っている」と言われ、未だその姿すら見たことはないし、強さもどれ程のものかわからない。
ただ訓練を繰り返すばかりで、ラーラマリーは出口のない霧の中を彷徨っているような心地だった。
(どれくらい強くなれば……竜を殺せるの? いつになったら……帰れるのかしら)
鬱々とした気持ちで一度食事を残すと、後はもう砂城が崩れるようにどんどんと苦しさが増し、食欲はなくなっていった。
今朝も食べる事ができたのは、胡桃が練り込まれた小さな丸パンを1つと、スープを少し。
家にいた頃の彼女からは比べものにならない程、その食事量は減っていた。
「──こら、待てったら」
「わ!」
中庭に辿り着いたと同時に、突然、すぐ後ろからジークヴァルトに声を掛けられ、ラーラマリーは飛び上がるように驚いて声をあげた。
「もう、驚かせないでよ」
振り向いて抗議すると、眉を寄せたジークヴァルトが不満そうに言葉を返す。
「何度も呼んだ。なあ──大丈夫か? 熱とかはないのか?」
心配そうな眼差しで言いながら、大きな手がラーラマリーの額に触れる。
思ったよりも熱いその手の温もりが心地よく、ラーラマリーは振り解きもせず、熱を測ろうと頬や首筋をペタペタと移動するジークヴァルトの手に、大人しく身を委ねた。
「熱なんてないわ。呼ばれてたのに、気付かなくてごめんなさい。ちょっとぼーっとしてたみたい。──さ、早くやりましょう!」
手が離れるのを待ちそう言うと、庭の中心に掛けて行き、笑ってさっと構えて見せる。
ジークヴァルトは小さくため息を吐くと、グッと脚に力を込め彼女の方へ跳躍した。
(──右、左、左、下へ避けて、そのまま右、右、次が低い蹴り、突きは止めて、左、右──)
ジークヴァルトの動きを追いかけ、ラーラマリーは必死で頭を動かし続ける。
(早く……早く強くならなきゃ……竜を倒さないと、帰れない……!)
焦る気持ちのまま踏み込む足は速度を増し、崩れた体勢を立て直そうと体を捻って、その勢いで回し蹴りを繰り出した。
その時──。
「あーもう、やめだ」
「きゃあ!!」
ジークヴァルトはラーラマリーの蹴り出した脚を片手で掴み、もう片方の手で体勢を崩したラーラマリーの背中を支えると、そのままふわりと彼女の体を持ち上げ、横抱きにして抱え込んだ。
「ちょっ……! 何!? 降ろしてよ!」
突然の浮遊感に驚き抵抗するラーラマリーだが、彼女を抱き上げるジークヴァルトの腕はびくともしない。
少し呆れたような表情で視線を合わせることもなく、そのまま歩き始めたジークヴァルトに、ラーラマリーは眉を下げ瞳を揺らした。
「ど……どこに行くの? 訓練は?」
いつまで経っても弱い自分に、呆れてしまったのだろうか。
怒っているようなジークヴァルトの真意がわからず、尋ねた声は思いのほか弱々しくなってしまった。
ずんずんと庭から伸びる細い小道を奥へ進みながら、ジークヴァルトは腕の中で不安げに縮こまるラーラマリーに視線を向けると、僅かに苛立ちをのせた声で言った。
「今日はもう、やめだ。そんな眉間に皺を寄せて、力任せに飛び掛かられては、さすがの俺も怖くて震えそうだ」
言われて初めて、ラーラマリーは自分の顔がずっと緊張で強張っていたことに気付く。
困惑の色を浮かべた水色の瞳に、ジークヴァルトが「しょうがない奴だな」とでも言うように眉を下げて優しく微笑んだ。
「ここに来てから、毎日頑張っていただろう。今日は休憩だ」
歩みを止めたジークヴァルトは、ラーラマリーをそっと地面に下ろした。
「……わ……綺麗」
ラーラマリーは思わず呟いた。
連れて来られ降り立った場所は、木々に囲まれた広いリュスタールの花畑。
その真ん中には、茂る葉の色を黄色に変え始めた、大きな一本の木が、彼女を出迎えるように風でサワサワとその葉を揺らしていた。
そのまま木に近づき、枝にかけられたリュスタールの花輪にそっと触れる。
「これ……もしかして」
──ジークが編んだの?
そう言おうとすぐ後ろの彼を振り返ったラーラマリーは、驚いて目を丸くした。
「え、ちょっと、何してるの!?」
視線をやると、ジークヴァルトが木を見上げながら、今摘んだであろうリュスタールの花を口に寄せ、その花弁を
ラーラマリーは顔色を悪くし、その花を奪おうとした。
「ジーク、何してるの!? それ毒があるのよ!? 食べちゃ駄目よ!」
焦るラーラマリーの手からひょいと花を遠ざけ、その身を優しく受け止めると、ジークヴァルトは不思議そうにラーラマリーを見つめた。
「毒? 何を言ってるんだ。これは薬草だぞ? 何も害はない」
「嘘よ! リュスタールは花喰い竜が好んで食べる花で、人間には毒になるのよ? 知らないの!?」
「いや、別に好んで食べてる訳じゃない。人間にも害はないし、嘘じゃない。──ほら、ちょっと食べてみろ」
ジークヴァルトは、素早く持っていた花から花弁を一枚千切ると、ラーラマリーの頬に手を当て、優しくその口に花弁を捩じ込んだ。
花を持つまま、その手で頭の後ろを支えられ、もう片方の手は彼女の頬に置かれたままだ。
親指は彼女の口が開かないように、そっと唇に添えられている。
「ほら、噛んでみろ」
動くこともできず間近でそう微笑まれ、ラーラマリーは仕方なく、口の中の花弁を恐る恐る噛んでみた。
「……ん?」
毒だと思っていたリュスタールは、噛んでみると花の香りが口の中に広がり、僅かに苦い。
だが、舌にジワリとその味を感じた瞬間、何故かラーラマリーは、胸の苦しさが少し和らいだ気がした。
驚きながらも、ゆっくり咀嚼し始めたラーラマリーを満足げに見つめ、ジークヴァルトは両手を離し、羽織っていた上着の内ポケットから何かを取り出すと言った。
「口、開けてみろ」
リュスタールの花をごくりと飲み込み、ラーラマリーは大人しく従い小さく口を開けた。
言い出したら自分の思う通りにジークヴァルトが振る舞うことはわかっているので、もう抵抗するのも無駄だな、と半ば諦めた視線で口を開いて待つと、もう一度、ジークヴァルトがその手で口に何かを放り込んできた。
「……甘い」
口の中に入ってきたのは、木苺程の大きさの、つるりと丸く、固くて甘い塊。
「飴……?」
コロコロと口の中でその丸みを転がしながら、ラーラマリーは思わず瞳を輝かせた。
正解だと金の瞳を細めたジークヴァルトは、小さな袋を彼女に差し出した。
「やる。皆で相談して、オルフェに作ってもらったんだ。……これなら、食べられるか?」
手に取った小さな袋を開けてみると、中には綺麗な薄紙で一粒ずつ包まれた、宝石のような黄金色の飴達が見える。
ラーラマリーは、じんわりと心が温かくなり、袋を両手で握りしめると、ジークヴァルトに微笑んだ。
「……ありがとう。凄く美味しい」
「そうか」
嬉しそうに細められたジークヴァルトの金の瞳を見て、ラーラマリーは思わず言った。
「ジークの瞳も、飴みたいね」
「……飴?」
目を丸くして聞き返したジークヴァルトに、ラーラマリーはくすくすと笑った。
「ええ。綺麗な金色が、まるで飴みたいで、美味しそうだわ」
その言葉を聞いて、ジークヴァルトは固まった。
笑い返してくれると思ったラーラマリーは、暫く待っても返事がないことを不審に思い、首を傾げる。
「……ジーク?」
じっとその様子を見つめていたジークヴァルトは、目を丸くしたまま、呟くように聞き返してきた。
「……美味しそう? ……俺の瞳が……?」
「ええ。そう思ったんだけど……え? 嫌だった?」
何故か俯くジークヴァルトに、ラーラマリーは戸惑った。
表情を見ようと顔を覗き込もうとするが、ぶっきらぼうに伸びてきたジークヴァルトの大きな手が、彼女の両目を覆った。
「え? 何? ちょっと、見えない」
「見なくていい」
「なんで? ちょっと手を離してよ」
「うるさい。ちょっとそのままにしていろ」
唸るように言われ、ラーラマリーは手で目隠しをされたまま、大人しく彼の手が離れるのを待つ。
ラーラマリーは気付いていなかった。
隠されたジークヴァルトの顔は、金の瞳を揺らし、耳まで朱に染まっている。
(飴みたいで美味そうだと……? 俺の瞳が……?)
金の瞳は強さの象徴だ。
崇められ、遠巻きにされ、畏怖される対象だ。
それを、ラーラマリーは──。
じっと目の前で動かないラーラマリーが、尋ねる。
「ねえ、もういい?」
「駄目だ!」
震えそうになる声を隠すように大声で言う。
ジークヴァルトは長い長い孤独な人生を過ごし、この時、生まれて初めて──恋に落ちていた。
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